2026/4/20
私は、東日本大震災当時、民主党政権下で衆議院議員秘書をしていました。
菅直人内閣のもと、原発事故対応の混乱を、現場ではなく“政治の中枢”から目の当たりにしてきました。

あのときの混乱は、決して忘れることができません。
指示系統の曖昧さ、責任の所在の不明確さ、そして何より「現場との乖離」を強く感じました。
その後、野田佳彦内閣、さらに安倍晋三政権へと移り変わる中で、私は強く思うようになりました。
――このままではいけない。
そう考え、私は出身地である東京都から福島県に移住しました。
外から批判するのではなく、自ら現場に立つことを選びました。
福島県に来て最初に取り組んだのは、除染活動です。
理屈ではなく、現実と向き合う日々でした。
土を削り、袋に詰め、運び出す。
単調で終わりが見えない作業ですが、それでもやらなければならないものでした。
その後は土木技術者として復興事業に関わり、相双建設事務所での発注者支援業務にも携わってきました。
図面の一本、工程の一日、その積み重ねが「復興」でした。
復興とは、政治のスローガンではなく、現場の積み重ねだと実感しています。
このたび、福島県の双葉、浪江両町にまたがる沿岸部に整備された県復興祈念公園が25日に開園するとのこと。

こうした立場から、今回の復興祈念公園を見たならば、単純に賛成とも反対とも言い切れない思いがあります。
正直に申し上げれば、
「優先すべき課題は他にもあるのではないか」
そう感じたこともあります。
しかし同時に、こうも思います。
現場にいると、人は常に「前に進むこと」を求められます。
終わらない作業、積み重なる課題、限られた時間と予算。
その中で、「立ち止まる場所」がいかに少なかったかにも気づかされました。
福島県復興祈念公園除染や土木の現場では、合理性が重視されます。
効率、コスト、安全性が最優先です。
しかし、その中で時に、「なぜこの作業をしているのか」という根本が見えにくくなることがあります。
誰のための復興なのか。
何を取り戻そうとしているのか。
祈念公園は、その問いを思い出させてくれる場所だと感じています。
犠牲になった方々。
帰れなくなったふるさと。
失われた日常。
それらに向き合うことなしに、復興は完結しないのではないでしょうか。

私は政治の現場と、復興の現場の両方を見てきました。
その中で共通して感じた課題があります。
それは、「全体を見渡す視点の不足」です。
政治は現場を十分に見ず、
現場は全体像を語る機会が少ない。
その分断が、さまざまな歪みを生んできたように思います。
祈念公園は、その両者をつなぐ可能性を持っています。
政治に関わる人も、現場で働く人も、訪れた一般の方も、同じ場所に立ち、同じ景色を見ることができます。
それだけでも、大きな意味があるのではないでしょうか。

私は、この場所に「答え」を求めて来たわけではありません。
むしろ、「逃げないため」に来ました。
あの原発事故の日、衆議院の議員会館はガランとして、議員も秘書もほとんどいなくなりました。もう日本は終わりだと思って逃げた人もいたのでしょう。私はその瞬間をあの議員会館で本当に情けなく思ったことを今でも覚えています。
あのときの政治の無力さや判断の重さを、他人事にしないためです。
だからこそ、この公園も単なる施設ではなく、
自分自身に問いを投げかける存在として受け止めています。
復興は、いまだ道半ばです。
それは現場にいれば誰もが感じていることです。
しかし同時に、人は前に進み続けなければなりません。
祈ることと、つくること。
記憶することと、再生すること。
その両方があってこそ、復興は成り立つのだと思います。
復興祈念公園は、その両方の意味を問いかけている場所です。
私自身もこれからも現場に立ち続けながら、この場所の意味を問い続けていきたいと思います。
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