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【2025大阪・関西万博 閉幕】

2025/10/15

10月13日は、大阪・関西万博の最終日でした。夕刻に閉会式が終わってから2時間あまり、噛み締めるようにリングや万博会場内を歩きました。約1週間前に喘息をこじらせてからの退院をし、先週は一日数件のオンライン会議からスタートしていましたが、初めての遠出でいつもより動きがスローペース。社会人になっての初めての入院でしたが、入院中からのリハビリのおかげで歩けることにも感謝しました。

誘致決定から7年間。数々の困難をその都度乗り越えての感動の閉会式で、石毛日本国際博覧会協会事務総長の閉会の言葉に涙が出てまいりました。クロージングでは、能登から高校生が参加し復興への想いを話し、続いて河瀬直美さんの心に響く「大丈夫、ばらばらにならへん」という言葉。分断の多い中、言葉による対話により愛を深めること、確かめること、河瀬直美さんの語りにも涙がポロポロ出てしまいました。

準備期間と約半年間の会期を通して、おおよそ160の国と地域の皆様、経済界の民間企業の皆様、日本政府、大阪府市、日本国際博覧会協会の皆々様、建設業の皆様、BIEの関係者、実に多くの関係者が一丸となることができました。約2558万人の来場者の方々、こども達、若者達、大人達、あらゆる年代の国内外の参加者が、国や宗教や民族や文化の違いをお互いに尊重し合い、慈しみ合うこと。太鼓の音がすればリズムを楽しみ、ピアノやバイオリンの音色にも耳を傾ける。一緒に歌う。衣装も違って、匂いも違う。それぞれの国や地域の食べ物を食べて、笑う。世界にはこんなにも楽しい知らない世界がある、万博に来たら世界を体感し楽しめる。実り多き素晴らしい万博でした。

医療スタッフも連日サポートしていただきました。熱中症に弱いベビーカーに乗った乳幼児や妊婦の方、身体障害等で車椅子に乗った方々や、高齢者の車椅子には特別優先レーンを用意するのも私のこだわりでしたが、大阪大学医学部救急の織田教授も医療救護計画の中核をなしていただき、最終日に会えて救急患者の概要を教えていただき、固い感謝の握手をしました。これも感無量でした。

私が万博担当大臣を拝命したのは、今から約2年前でした。1年1ヶ月務め、昨年10月1日にバトンタッチをしました。大臣を拝命した2023年9月13日当日、岸田総理から万博については差し迫った状態で大変だと思うが全力を尽くしていただきたい旨のご指示をいただき、緊迫した中で着任した数日後の初めての週末には大阪訪問。大阪府連自民党にも政務としてご挨拶し、公務として吉村知事、横山市長に面会しました。

その数日後にBIE博覧会国際事務局ケルケンツェス事務局長に面会しました。ケルケンツェスとの出会いは衝撃的で、以後私のお兄さんのような存在になりました。今まで20年以上も各国での万博開催に責任を持ちサポートしてきた経験から、どの時期に日本政府として何が必要か、どの国に何の支援が必要か、時期に応じて極めて適切に伴走していただき、アドバイスをしてくれました。

当初は国内の関係者の意思疎通にも課題があり、着任し、万博定例ミーティングを毎週オンラインでカチッとした議事は用意せずにカジュアルに開催しました。博覧会協会の方々、経産省の方々、内閣官房国際博覧会推進本部、経産副大臣と政務官を交えて、率直に意見交換をする体制を作りました。岸田総理のブレない強い姿勢には本当に助けていただきましたし、上川陽子外務大臣には強い信念のもとで、万博について各国を訪問する際に必ず話題にしていただきました。

初めての大臣で、初めての臨時国会で、初めての増額要求。建設業においては、2年間で上がった約30%の建築資材や約10%上がった人件費。いずれも当初政府が予算編成した価格では適正価格が担保できず、万博会場内の建築が進まない状態でした。建築業界の方々にも大変申し訳なく団体の事務所にも通いました。残念ながら昨年末に亡くなられた同期の参議院議員の足立敏之先生にも、幾度も専門家として助言をいただきました。

当時の斉藤国交大臣はじめ国交省の方々にも大変ご指導をいただき、お世話になりました。西村経産大臣や後に齋藤健経産大臣に牽引いただき国会で与野党から厳しいご指摘いただきつつ熱心にご議論いただき、国の負担分も認めていただきました。兎に角はじめてだらけで不慣れな中、関係者に支えていただきながらも、神経戦の毎日でした。

マスコミからは、パビリオンが間に合わない、機運が醸成されてない、中止すべきではないか、リングは不要ではないか、能登半島地震があっても開幕するのか、開幕しても来場者が来ないのではないか、メタンガスは大丈夫か、こどもを行かせるべきではない等、沢山の質問を毎回受けていました。週刊誌でも新聞でもネットでも連日の批判的な報道に、特に日本で活動している駐日大使館職員や海外で準備を進めている外国の政府高官が不安になることも多かった中でその訴えを直接聞くことも多く、これもまた申し訳ない気持ちでいっぱいになり、細かな話しを含めて担当部署の方々と対応いたしました。

世界の参加する国々の関係者や国内関係者にも届くように「万博絆通信」なるものを関係者宛に始め、毎週のアップデートと共に、報道された内容のファクトチェックや政府の対応も記載しました。苦楽を共にした中野秘書官作成の表紙には必ず関係者の写真とメッセージを載せたり、私も必ずメッセージを書くようにしました。ドバイ万博がコロナで遅れて開催になった関係で、今回の万博までの準備は短くなり各国ともに多忙を極めました。また、担当者は各国でも連続して経験している方々が多く、世界で万博ファミリーになっています。コロナ後の初の万博。なんとか「絆」を保ちたいという気持ちを表したタイトルにしました。

撤退する国が公表される度にバッシングに遭いましたが、万博においては、それぞれの国内事情、例えば政権交代や財政難の話等がダイレクトに影響していることが多く、また万博参加表明や予算も各国で国会を経て決定されているものであり、時間軸も必要となることや、国際情勢や、その国の民意含めての万博、また日本国に対する信用信頼の厚さも大変勉強になりました。逆に言えば国家の威信をかけて臨んでいる、それぞれの国で背負っているものがあるということもまた鮮明になることを感じた時期でもありました。なぜなら、万博は、期間中には、その国の首相や王室なども来られ、ビジネス訪問団と文化交流や食文化の紹介とが相交じり、まさに国そのものの外交の窓口となるからです。

限られた準備期間でやるしかない、建築や食品輸入や保健所や労働ビザなどの事務的な申請書類を一元化するワンストップショップの開設も各省庁や大阪府市の全面協力で急ピッチで開設することができました。吉村知事、横山市長とも打ち合わせを重ねさせていただき感謝しています。

余談ですが、撤退したパビリオンの空いた場所には、他の展示を持ってきてスペースを埋めることだけではなく、休憩所と子供の遊び場を多く用意していただくことも小児科医としての希望として”こども真ん中万博”を密かに実現できましたが、開幕した後のニュースで遊び場が楽しくて列に並ばない子供達のニュースを秘書官だった中野くんが教えてくれて微笑ましくなりました。

しかし、準備期間を通して私が担当大臣として大変幸運だったのは、着任早々にリングの設計をしていただいた藤本壮介さんや、石川勝さんや小橋賢児さんや吉本の大崎さんらの話を個別にじっくり聞き、シグニチャーパビリオンの8人の全プロデューサーのコンセプトもそれぞれからじっくり伺い、BIEケルケンツェス事務局長とも親しくさせていただく中で、今回の万博の一番先に一番のファンになったことでした。

海外の方々とも積極的に面会させていただき、また国会のない時には海外にも出向きました。海外パビリオンのコンセプトもどれも人を惹きつける素晴らしいものでした。関西経済連合会松本会長の当初からの強烈な熱意、十倉会長の粘り強い落ち着いたリーダーシップ、また参加者達の余りにも素晴らしいアイデアに「成功は必ずする、大丈夫だ」と早い段階で確信に変わりました。

お気づきになった方もいると思いますが、万博では海外パビリオンはリングの中にありますが、民間パビリオンはリングの外にあります。そして万博の真ん中には静けさの森と湖があり、リングの上から見るとまるで地球そのものに見えます。リングの上は海風が心地よく吹き、空と海は向こうで繋がって、溶けているように見える。設計そのものの持つ強いメッセージもすでに「多様にして、ひとつ」を体現していたのでした。

また毎日開催された小橋さんのOne World, One Planet 願いのモーメントは、祈りのモーメントでもありました。ドバイ万博から始まったテーマウィークによって、この期間は地球環境、次はジェンダー、その次は健康など万博会場全体で同じ方向性に向かって各国パビリオンや関係者はそれに合わせたシンポジウムを企画したり、海外から識者にきていただき、国際発信をしたり、数多くの交流も生まれました。中島さち子さんにはシグニチャーパビリオンのプロデューサーとしてだけではなく、国際セッションの座長などでも大活躍いただきました。

今回の大阪・関西万博は国際的に高く評価されていますが、その理由の一つには、建築のメッセージ性と合わせてトークセッションやイベント等でも、強い精神性を打ち立てたことと、大きな世界的が必要とするメッセージが含まれているからでした。

着任当初は、赤と青のミャクミャクが、赤血球と静脈にしか見えなかった!のに愛着が湧き、年末には私が叩かれているのも察し、筑波大の恩師でもある熊本県の当時蒲島知事から夜遅くに電話があり、「くまモンが助けにいくよー」とミャクミャクとくまモンのコラボ企画がうまれたり、全国知事会や万博首長連合にも大変な機運醸成をしていただきました。

また、民間パビリオンやシグネチャーパビリオンの皆様にご協力いただき、万博に参加することができない遠方の子供たちや難病の子供たちにも命の大切さや科学の面白さを実感してもらう出前授業も沢山できました。難病の家族には兄弟含めて招待するプロジェクトも実施していただきました。私の任期後半にはボランティアの募集がありましたが、予想を上回る人数が応募してもそれでもまだまだマスコミは懐疑的でした。

海外とのやり取りでは、日本国政府内でも内閣官房、内閣府、外務省、経産省、国交省、観光庁、厚労省と多岐に渡る上に、JETROをはじめとした機関と海外とのビジネスマッチングの下地作りや、JICAによる発展途上国へのきめ細かな出展支援。国際博覧会協会と国との関係や、大阪府市との関係。網目のように複雑な有機体でしたが、つかさつかさで頑張ってくれていた方々がいたからこそ成り立つ一大事業でした。

膨大な建築資料に目を通しながら各国のサポートの支援を人知れず黙々とこなしてくれた方々も沢山います。在外公館や各地の日本商工会議所や日本人会等においても多くの機運醸成やビジネスや観光・文化のイベントを開催していただきました。国会答弁を徹夜で対応した職員も数多くいます。バスの運転手の手配に走り回った方々もいます。輸入したい食品を審査してくれた方々もいますし、港湾関係でご尽力いただいた方もいます。タクシーの運転手さんたちも研修を受けて頑張ってくれました。運営費などをぎゅっと絞ってくれた凄腕の担当者もいます。民間企業からの出向で博覧会協会を支えてくれた方々もいます。見えるところと見えないところでの一人一人の働きに感謝しかありません。

大阪・関西万博は、参加するスタッフ、来場者、多くの方々に愛された万博でした。また昨年10月から着任された石破総理にも熱烈に愛していただきました。伊東大臣にも数え切れないくらいのナショナルデーに主催者としてのお役目を果たしていただきました。役所仕事を経験すると、総理の力が入る案件かは非常に重要になります。石破総理には、声の出るミャクミャクを官邸に置いていただき、パンフレットにも目を通していただき、視察した際には電車にもご関心を強く御寄せいただくなどのチャーミングなところも関係者で話題になり、首相外交にも精力的に率先して行なっていただき、ついには、ミャクミャクに感謝状まで贈呈していただきました。

そして私が万博期間中に特に感じたのは、我が国の皇室外交の素晴らしさでした。秋篠宮皇嗣殿下には2025年日本国際博覧会の名誉総裁に御就任されましたが、天皇皇后両陛下はじめ皇室の方々には万博のイベント等にご臨席いただき、加えて万博に合わせて来日された数多くの賓客を皇居などでもお迎えいただきました。

私も僅かながら同席させていただく機会がありましたが、確かな信頼関係の中に長く続く皇室が担ってこられたこういった役割にただただ深い感謝の念を感じました。そしてそういった関係が普段は目に見えないのですが、我が国や私達を守ってくれているような感覚にもなりました。

私が初めて小学生の時に行ったのはつくば万博、父の仕事を手伝うようになり初めてご縁をいただいたのが2010年上海万博のジャパンデーでした。お元気だった堺屋太一さんが大阪の商いを再現したコーナーを説明してくださいました。着任して何冊も堺屋太一さんのご著書を拝読しました。開幕を見届けることなく亡くなった最大の功労者。担当大臣の任期が終わる前週には、経産省や内閣官房のメンバーと一緒に文京区にお墓参りに行きました。未亡人と愛犬もお墓まできてくださいました。近々、閉会式のご報告に伺いたいなと思っています。

「関西から日本を元気にしたいんや」を言い続けた関西経済連合会の松本会長。気骨と人情味のある松本会長のファンもまた多いと思います。本当にありがとうございました。

一昨日の閉会式の後は、会場を本当に去りがたく、リングに上がってまず中村義雄北九州市議会議長とバッタリ会い記念撮影、途中で、いるに違いないと電話をしたらやはりおられたお仕事柄万博に通い詰めて約80回の井内摂男さんにリングに上がって来ていただき、夕日を見ながらおしゃべり。心地よい風に長話していたところに、話しかけてきたのは、なんと驚きの130回通った80代のおじいさま。またまたおしゃべり。楽しい万博だったと。

井内さんに輪島塗りの夜の地球儀をご案内いただき感無量に。一段落して座って休憩していたら、昨年まで内閣府地方創生に奈良市から出向していた方のご夫婦に見つけていただき、またまたおしゃべり。宮田館で虹とクリスタルの宮田ワールドに浸り、花火の後にはいよいよ退場。

西ゲートから手を振って送ってくれるボランティアさんやスタッフも今日が最後。ハイタッチしながらゲートをくぐり、帰りのタクシー乗り場での行列では、奈良から来た5歳のお兄ちゃんと3歳の妹ちゃんとお母さんとおばあさまと、おしゃべり。子供達の記憶に残るといいなとお母さん。3歳の妹ちゃんがむくっと起き上がって楽しかったと目をこすりながら。

関わらせていただいた人間として、万博の全てが名残り惜しく、目に焼き付けて、五感にたたきつけて、帰路に着きました。

そして最後ですが、準備期間の一時期に、寛容と思いやりと助け合いという当たり前のものを削ぎ落としたのは、一体なんだったのでしょうか。はじめの2ヶ月はどの万博も入場者は少ないのは常。後半には盛り上がる。行くならば前半が空いている。それも過去のデータの通りでした。準備に苦労や試行錯誤は当たり前です。なんでも初めから完璧はありません。

準備にあたっている国内外の現場では、普通の心を持った人達がそこにはいます。努力している人達がそこにはいます。予算を通していただいた際に私が教訓にしたのは、事実は予算含めて全部出す、出し切って会見するのが私の大臣時代の方針でした。また、必要な対応は内部のコミュニケーションを取りながら迅速に行う。これも方針にしました。

国際的には開幕時にすべてのパビリオンが間に合ったものは過去に例もないそうですが、開幕時にまだオープンしていなかった海外パビリオンがあり、沢山の方々があたたかな声援を送ってくださいました。

批判は私たち政治家は受けて対応しますし、もちろん正確な記事を書いていただくための大臣をはじめとした役所の説明努力も何倍も必要な時があります。しかし、マスコミの皆さんの極一部には意図があり、根拠の数字が違う事実を歪曲した煽動的な記事に、正式に抗議したこともありました。国益を損なうからです。

私は、高校生の時にはジャーナリストに憧れていた時期もあり、ジャーナリズムは健全な民主主義には不可欠なものだという強い信念も持ち合わせていますが、透けて見えるその意図に苦しんでいる関係者が沢山いたこともマスコミの関係者には今一度考えていただけたらと思います。

何れにしても、この2025大阪・関西万博のもたらした感動は決して失われません。

テクノロジーや科学の進歩は確実に私達の未来を変えていきます。しかし大切なことは、人々の心や実際の体験や交流だと改めて教えてくれたのも今回の万博でした。

これからも難しい時代は続きますが、この万博をきっかけに、私たちの住む地球において、世界平和や地球環境の保全、人々のウェルビーング、経済発展、文化交流、そして何より相互理解と愛がより深まっていくことを心から祈念しています。

関係したすべての皆様に心からの感謝を込めて
自見はなこ

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著者

自見 はなこ

自見 はなこ

選挙 第26回参議院議員選挙 (2022/07/10)
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比例代表 自由民主党 [当選]

肩書 参議院議員、医師(小児科専門医、認定内科医)、日本医師会参与、前内閣府特命担当大臣
党派・会派 自由民主党
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