2026/7/14
2026年7月14日。
東かがわ市役所に、奄美市から4名の市議会議員の皆さんが視察に来られました。

視察のテーマは、和三盆の歴史や地域資源の活用についてです。
説明をしながら、「数年前の自分に、この景色を見せたら何と言うだろう」と考えていました。奄美と東かがわ。海を隔てた二つの地域が、サトウキビをきっかけに再びつながろうとしている。そんな日が来るとは、本当に思ってもいませんでした。
でも振り返ると、この日へ向かって歩いてきたわけではありません。その時その時で、「気になる」と思ったことを大切にしてきた結果、この景色にたどり着いたような気がしています。
すべての始まりは、先輩議員の一言でした。
「お前の地元なんだから、関良助や和三盆のことをもっとやれ。資料館くらい作らないかんぞ。」
その言葉を聞いた時、僕も「歴史は残さなければいけない」と強く思いました。
ただ、同時に現実的なことも考えていました。新しく資料館を建てるのは簡単ではありません。建物を造るだけでなく、維持し、運営し、次の世代へ引き継いでいくことまで考えると、大きな事業になります。
それなら、今の時代だからできる方法があるのではないか。
そう考えて、2021年9月17日の一般質問では「VR和三盆資料館の開館を」と提案しました。
先輩が言われた「資料館を作れ」という思いを、僕なりの方法で形にしたかったのです。結果として、市が整備することはありませんでした。それなら、自分で作ってみよう。そう決めて、VR和三盆資料館を制作しました。
当時は、「歴史を残したい」という気持ちだけで動いていました。まさか、それが奄美とのご縁につながるとは思ってもいませんでした。
VR和三盆資料館を作った翌月、本を出版しました。本を書いた理由は、知ってもらうことだけではありません。同じ思いを持つ人と出会えたらいい。そんな願いもありました。
そして2022年、「政治と介護を紡ぐ会」を立ち上げます。
その活動を通じて出会ったのが、鹿児島県で市議会議員を目指していた介護福祉士のめぐりさんでした。その頃は、同じ志を持つ仲間が一人増えたというくらいの感覚でした。
しかし、そのご縁が少しずつ広がっていきます。
2023年、めぐりさんが応援していた朝木さんが奄美市議会議員に当選されました。さらに、その会派には関良助の一族につながる市議会議員がおられることも分かりました。その時は、「世の中には不思議な巡り合わせがあるものだな」と思うくらいでした。
まだ、この先に何が待っているのかは想像もしていませんでした。
2024年12月、YouTubeライブで和三盆の歴史について話をしていました。特別な企画ではありません。自分が面白いと思っている歴史を、いつものように語っていただけです。
ライブが終わった後、めぐりさんから連絡が入りました。
「ライブを見ていました。朝木市議に話をしたら、『東かがわ市へ視察に行きたい』と言っています。」
思わず「本当に?」と聞き返しました。自分が発信したことが、奄美まで届いていたのです。その頃から、僕自身も奄美について調べ始めました。
すると、「ワンダーアマミ」というフリーペーパーを見つけます。何気なく最新号を開くと、特集されていたのは関良助でした。ここまでくると、偶然という言葉だけでは片付けられません。すぐに著者へ連絡を取り、お話を伺う機会をいただきました。
また一つ、ご縁が広がっていきました。
実は、この話を進める中で、ずっと心に引っ掛かっていたことがありました。関良助は、当時の奄美にとって大切な財産だったサトウキビを持ち出した人物です。
東かがわ市では和三盆の歴史を語るうえで欠かせない存在ですが、奄美の皆さんはどのように受け止めているのだろう。
もしかすると、あまり良い印象を持たれていないのではないか。そんな不安が、ずっとありました。
だからこそ、奄美の歴史を調べ続けました。すると、そこで知ったことは、僕の想像とはまったく違うものでした。
関良助のお父さんである當済さんは、奄美では今も「奄美の英雄」として語り継がれていること。そして、その子孫の皆さんも、その歴史を誇りに思いながら暮らしておられることでした。
その事実を知った時、肩の力がすっと抜けました。
僕が追いかけていたのは、「サトウキビを持ち出した人」の歴史だけではありませんでした。家族がいて、故郷があり、その土地で暮らした人たちがいて、その思いを受け継いできた子孫が今も暮らしている。
関良助という一人の人物の歴史が、人の歴史へと広がっていった瞬間でした。
2025年6月24日、東かがわ市議会で僕は一般質問を行いました。
テーマは、「奄美のサトウキビが運んだ奇跡、和三盆の物語をもう一度紡げないか」。
そして、その頃、奄美市議会でも関良助を取り上げた一般質問が行われていました。海を隔てた二つの地域で、ほぼ同じ時期に、同じ人物について議論が行われる。長い歴史の中で、少しずつ忘れられようとしていた人物を、両方の地域がもう一度見つめ直そうとしている。
こんな巡り合わせがあるのだろうかと、不思議な気持ちになりました。
今年10月には、僕自身も奄美を訪れます。
現地の皆さんとお会いし、位牌を持ってお墓参りをする予定です。二百年以上の時を経ての帰郷です。
さらに調べる中で、向良神社に名前が残る當済さんの子孫である師玉さんが、今回東かがわ市へ視察に来られた弓削市議のおじ様だったことも分かりました。歴史は、本の中だけにあるものではありません。
今を生きる人たちの中にも、確かに息づいていました。
振り返ってみると、このご縁は、どれか一つでも欠けていたら生まれなかったように思います。
たまたま僕がこの地域で生まれ育ち、子どもの頃に「さとがみさん」と呼んでいた山で遊んでいたこと。地域の歴史を大切にする先輩議員から「資料館を作れ」と背中を押され、リアルではなくデジタルという形で残す道を考えたこと。本を書き、「政治と介護を紡ぐ会」を立ち上げ、そこでめぐりさんと出会えたこと。そして、何気なく始めたYouTubeライブで和三盆の歴史を語り続けてきたこと。
その一つひとつは、その時にはまったく別々の出来事でした。目の前にあることを一つずつ積み重ねていただけで、「これが未来につながる」と考えて行動していたわけではありません。
それでも歩き続け、ふと振り返った時、点だと思っていた出来事が一本の線になっていることに気付きました。
人はよく、「点と点が線になる」と言います。
でも、その線は前を向いて歩いている時には見えません。見えるのは、少し遠回りに思えたり、意味があるのか分からなかったりする、小さな出来事ばかりです。だからこそ、歩き続けた人だけが、振り返った時に「ああ、ここまでつながっていたんだ」と気付けるのかもしれません。
奄美で始まったサトウキビの物語は、和三盆となって東かがわに根付きました。そして今、その物語は再び奄美へと戻り、新しい人と人とのご縁を育て始めています。
この二百年を超えてつながった一本の線は、決して僕一人がつくったものではありません。地域の歴史を守ってこられた先人たち、背中を押してくださった先輩方、出会ってくださった仲間、そして東かがわと奄美、それぞれの土地で歴史を大切にしてきた多くの皆さんがいたからこそ生まれたものです。
だから僕も、このご縁を「偶然の出来事」で終わらせるのではなく、次の世代へとつないでいける物語にしていきたいと思っています。そうすれば二百年後、また誰かがこの歴史を振り返った時、新しい一本の線が見えてくるのかもしれません。
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