2026/6/2


向良自治会の自治会長になってから、地域の歴史に触れる機会が増えました。その中でも、ずっと気になっている人物がいます。
関良助
東かがわ市の和三盆の歴史を調べる人なら、一度は名前を聞く人物です。
讃岐にサトウキビ栽培を持ち込み、その後の和三盆文化の礎を築いた人物として語られています。ところが、いざ地元を歩き、資料を集め、話を聞いていくと、不思議なことに気づきます。
「関良助は有名なはずなのに、意外と分かっていないことが多い。」
そんな違和感でした。今回、改めて向良の中を調べてみました。
すると、関良助の墓があります。位牌もあります。石碑もあります。確かに存在した痕跡は残っているのです。
しかし、その一つ一つを見ていくと、新たな疑問が生まれてきます。
本当の関良助の墓はどこにあるんだろうか。この位牌はいつからここにあるのだろうか。
なぜ由来が伝わらなくなってしまったのだろうか。
そんなことを考えながら、墓前に立っていました。

真夏の日差しの中、静かな空気が流れています。
風が吹くたびに草が揺れ、遠くから鳥の声が聞こえてきます。何百年も前、この場所で暮らしていた人たちも同じ風を感じていたのかもしれません。
墓石には「関良介之墓」と刻まれています。助ではなく介と刻まれてるのはこの墓だけです。
その横には「讃岐砂糖之恩人」という文字も見えます。

関良助の功績を忘れてはいけないと考え、建立したのは誰だったんでしょうか。
一方で、薬師堂の中には古い位牌が残されています。

文字は薄れ、一部は判読しづらくなっています。長い年月の中で守られてきたことだけは伝わってきます。
「あれ?」
資料として残っている関良助と、今ここに残っているものが、完全にはつながっていないのです。
誰が守ってきたのか。
なぜここに残ったのか。
どこから来て、どこへ向かったのか。
その途中の物語が抜け落ちているように感じました。
歴史を調べていると、つい大きな出来事や有名人に目が向きます。けれど本当に大切なのは、その人物を語り継いできた地域の人たちの存在なのかもしれません。
もし誰も墓を守らなければ。
もし誰も位牌を残さなければ。
もし誰も名前を語らなければ。
関良助という人物は、歴史の本の中だけの存在になっていたでしょう。
僕は自治会長として、そして議員として思います。
このまちの産業を作った人の足跡が、少しずつ薄れていくのは寂しいことです。もちろん、伝説を作りたいわけではありません。美談にしたいわけでもありません。知りたいんです。
本当はどんな人物だったのか。
どこから来たのか。
どのような思いでこの土地に関わったのか。
そして、なぜ今ここに墓や位牌が残されているのか。
その答えを探したいのです。
歴史というのは、特別な研究者だけのものではありません。地域のお寺に残る一枚の過去帳かもしれません。古い家の蔵に眠る一冊の帳面かもしれません。お年寄りがふと話してくれた昔話かもしれません。そんな小さな欠片が集まって、一人の人生が浮かび上がってきます。
今回改めて現地を見て感じたのは、関良助の歴史はまだ終わっていないということでした。むしろ今からかもしれません。
失われた物語を探し、残された痕跡をつなぎ合わせ、この地域の歴史として次の世代へ手渡していく。それもまた、地域に暮らす私たちの役割なのだと思います。関良助はどこから来て、どこへいったのか。その答えはまだ見つかっていません。けれど、少なくとも確かなことがあります。この土地には今も、その生きた証が残っています。だからこそ、僕はもう少し追いかけてみようと思います。
自治会長として、議員として、このまちの産業を作った関良助を改めて光の下へ。
そして、いつか胸を張って次の世代に語れるように。
歴史は遠い昔の話ではありません。
気づかないだけで、私たちの足元にも静かに残っています。だからこそ、小さな違和感を大切にしながら、これからも地域の記憶を探していきたいと思います。
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ホーム>政党・政治家>山口 だいすけ (ヤマグチ ダイスケ)>消えかけた足跡を追って 〜向良に残る関良助の謎〜