2026/8/6
今年も厳しい夏が到来しています。私は以前、「異常気象の常態化」という言葉を使っていましたが、最近では、これが新たな「日常」になってしまったのではないかと考えるようになりました。地球の長い歴史から見れば、一つの局面なのかもしれません。しかし、私の半生をふり返っても、子どものころとは比べものにならないほど気候は変化しました。私たちは、地球環境の大きな転換期を生きているのかもしれません。
そして、変化しているのは気候だけではありません。人々の心のあり様もまた、少しずつ変わってきているように感じています。
きょう、8月6日は広島原爆忌です。実は私の誕生日は、終戦から23年後の8月15日で、かつてはこの話をすると、「終戦記念日ですね」と返してくださる方がほとんどでした。しかし、最近は「あぁ、そうですか」といった反応をされることが増えてきたように感じます。
もちろん、それだけで何かを断定することはできませんが、戦争を実際に知る世代が少なくなるにつれ、戦争や平和に対する思いも、社会の中で少しずつ薄らいでいるのではないかと思えてなりません。世界各地では今なお戦禍が絶えませんが、平和の尊さについて考える機会は、以前より少なくなっているのではないでしょうか。私たちは、先人たちが積み重ねてきた歩みの上に今を生きています。そして、不幸にして戦争の犠牲となられた多くの方々の尊い命の上に、今日の平和があります。その歴史を忘れず、犠牲となられた方々を悼み、敬意を払い続けることが大切だと思います。
私の父は軍国少年として終戦を迎えた一人です。また、母方の伯母は戦時中、気球爆弾(戦後は風船爆弾と呼ばれました)の製造に携わっていました。私は祖父母や両親をはじめ、戦争を実際に体験した人たちから、その悲惨さや恐ろしさ、身の置き場のない恐怖について、幼いころから繰り返し聞いて育ちました。
私にとって戦争とは何か。その認識は、教科書だけではなく、実際に戦争を体験した方々の話を聞きながら育ったことで、自分の中に形づくられてきたように思います。先日の盆踊り会場でも戦争の認識について同じようなお話を伺い、人は育った環境や受け継いだ経験によって、その感覚が大きく異なることを改めて感じました。私たち世代は、戦争そのものは知りません。しかし、戦争を体験した方々から直接話を聞いて育った世代です。活字だけでは得られない実感を、語り継がれた記憶を通して受け取ることができました。
一方、今日の若い世代は、そのような話に触れる機会さえ少なくなってきています。もちろん、一括りにするつもりはありませんが、戦争を現実の出来事というよりも、歴史や映像の中の出来事として受け止めている人も少なくないのではないでしょうか。本当の戦争がもたらす恐怖や悲しみ、命の重さを実感する機会は確実に減っています。
私が学生だったころ、湾岸戦争がテレビでリアルタイムに中継されました。画面の向こうでは、戦火の中で人々が命を落としていました。その時、「こんな映像を日常のリビングで見ていてよいのだろうか」と強い違和感を覚えたことを、今でも鮮明に記憶しています。
戦争を直接知る世代が減り、その話を聞いて育った世代も次第に少数派になっていく中で、「戦争と平和」の捉え方も変わりつつあるように感じます。近年、安全保障をめぐる議論が以前にも増して強い調子で語られるようになっている背景には、戦争に対する実感や認識が、育った環境によって異なってきていることと無関係ではないように思います。
歴史を学び、戦争を知る人々の声に耳を傾け、その記憶と平和の尊さを次の世代へ語り継いでいくこと。それが、今を生きる私たちの責任ではないでしょうか。
気候が変わっても、変えたくない思い――。戦争と平和について静かに思いを巡らせる八月にしたいものです。
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