2026/4/24
私は高校時代、バスで通学していました。利用していたのは「水分橋停留所」。水分橋は地名ではなく橋の名です。「水分橋までバスで帰る」と言うと、市内に住む友人でも「それ、どこ?」と首をかしげたものでした。
現在の水分橋は、戦時中の昭和18年に架けられたものです。長い年月を経て老朽化が進み、いま架け替え工事が進められています。工事に伴いルート変更なども重なり、渋滞が発生することもありますが、私も可能な限り、その解消に向けて当局へ申し入れを行っているところです。架橋から80年余。この橋について、地元のご高齢の方から「戦時中に軍用車両が渡るのを見た」との話をうかがったことがあります。そこに刻まれた長い歴史を、あらためて感じずにはいられません。
「水分橋」という名の由来も興味深いものです。この場所は、川の流れが分かたれる地点でもあります。橋のすぐ上流には頭首工があり、主流は庄内川へ、分かれた水は瀬古から矢田川の地下をくぐり、御用水や堀川へと導かれていきます。まさに、水を分かつ要衝に架かる橋なのです。
新しい水分橋は、令和9年度に下流側半分が完成し、供用開始される見通しです。東日本大震災クラスの地震にも耐えうる強度を備えるとされ、安全性の面でも大きな期待が寄せられています。
かつては戦時の記憶を背負い、いまは地域の暮らしを支える水分橋。新たな橋は、単なる交通の要にとどまらず、暮らしと文化を結ぶ「人と未来をつなぐ架け橋」として、これからも静かに、その役割を果たし続ける橋であってほしいと願っています。
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ハットリ マサヤ/57歳/男
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