2024/9/29
京成押上線の現「八広(やひろ)駅」が旧「荒川駅」から名称変更され、30年経ったのを祝う「八広駅誕生30周年記念祝賀会」が29日、墨田区立八広小学校で開かれました。地元の6町会・自治会主催で、駅や会場周辺は、赤い幟(のぼり)が並びました。
同駅は、1923年(大正12年)、荒川放水路の土手の上にできたことから「荒川駅」と命名されました。荒川放水路(今の荒川)は、東京東部の下町を洪水被害から守るため、明治末期から大正にかけて地面を掘削して造られた人工河川で、1924年に完成しました。
ところが、その後、1932年(昭和7年)に都区制度の改革で、荒川区が誕生しました。ちなみに、八広地域は向島区となりました。そこで、誤解を招くことから、地元町会が駅名変更を京成電鉄に申し入れてきました。
特に1965年(昭和40年)、墨田区の改正で、8つの町が一緒になって「八広」(1丁目から6丁目)となったことから、「八広末広がりの願いがこもった縁起の良い町の名をぜひ駅名に」との運動が長く粘り強く続きました。
そして、やっと1994年(平成6年)4月1日に変更となりました。実は、これには裏話があります。この日配られたパンフレットによりますと、京成成田駅の手前に「公津の杜(こうづのもり)」という大ニュータウンを京成電鉄などが造成中で、その住民のために「公津の杜」という新駅をつくることになったから、そのついでに「荒川駅から八広駅」に変更してもらえたそうです。「公津の杜駅」さん、ありがとうございます!と書かれています。
墨田区で私が政治活動を始めたのは「八広駅」誕生の翌年、1995年3月のこと。地図には荒川駅と書かれているのに、行ってみたら、八広駅という名前で驚いた記憶があります。
また、東武鉄道が業平橋駅を「とうきょうスカイツリー駅」に改称した際、東京スカイツリー誕生による、めでたいことで、自社の都合にもかかわらず「全駅に貼り出されている路線図を取り替えたり、コンピューターの内容を変更したり、莫大なお金がかかった」と、こぼしていたことを思い出します。






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