2025/6/27
橋本聖子 参議院議員が、日本オリンピック委員会(JOC)の新会長に26日、選出されました。女性初の会長です。「男女共同参画」を一緒に進めてきた仲間として、また、彼女の人柄と「根性」を知っている者としてうれしく思います。
山下泰裕会長の退任に伴う改選で、今回はJOC36年の歴史で初めて、投票で会長を選びました。日本サッカー協会の田嶋幸三前会長、日本バスケットボール協会の三屋裕子会長が立候補し、最後は三屋氏との決選投票を制しました。
橋本聖子さんは1964年(昭和39年)、東京オリンピック(10月10日に開会式)が始まる5日前に北海道勇払郡早来町で誕生。オリンピックを見に東京へ出かけていた父親が聖火リレーに感動し、電話で「聖子と名付けろ」と指示したというエピソードを持ちます。冬4回(スピードスケート)、夏3回(自転車競技)のオリンピックに出場し、1992年のアルベールビルオリンピックでは、スピードスケートで銅メダルを獲得しました。
こうした華々しい活躍の陰には、持病との厳しい戦いがあったり、若いころは「スケート選手が夏の自転車競技の日本代表にまでなるなんて、自転車専門の人がかわいそう」などと批判されたり、苦労も重ねています。
参議院議員の被選挙権は「30歳以上」ですが、1995年夏、30歳で初当選し、これまで5期務めています。
安倍総裁のもと、2019年に私が党広報本部長だった時には、橋本さんは参議院議員会長。党役員会などで週3回以上顔を合わせる間柄であり、コロナ禍の時期には、党女性活躍推進特別委員会の幹部として、橋本・男女共同参画担当大臣に「非正規の職場を突然失い、生活が困窮した女性、特にひとり親を救ってほしい」と提言を持って行きました。
また、橋本さんが党女性局長だったときには、一緒に全国の女性地方議員らとスウェーデンやフランスへ「男女共同参画」をテーマに視察に出かけたこともあります。
私が外務大臣政務官として初めて出張したのが、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボで、そのため同国との友好議員連盟を立ち上げたのですが、橋本さんのオリンピック初出場がサラエボ(当時はユーゴスラビア)大会だったこともあり、議員連盟に加入してもらいました。いろいろなご縁があります。
2019年の北海道知事選挙の際には、多くの道議から橋本聖子さんを推す声が上がりましたが、安倍総理(当時)が、「オリンピックをもう1度、日本で開催すると心に誓って国会議員になったんでしょ?」と留め、その後、東京オリンピック・パラリンピック競技大会担当大臣、さらに大臣を辞して、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長を務め、東京2020大会を成功に導きました。
橋本聖子さんは今夏の参院選比例区で6期目を目指します。私のお祝いのメールに対し、「あえて困難な道を選択してしまいましたが、スポーツ界がより一層発展するために、両立を目指して力の限り頑張ります」と熱の込もった返信がありました。
重責を担う橋本聖子新会長を、私も女性の仲間として、応援してまいります。


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