2025/4/8
軽自動車メーカー、スズキの社長、会長を務めた鈴木修氏は、昨年12月25日、(95歳の誕生日を翌月に控えて)永眠されました。8日、ホテルで開かれた「お別れの会」でお花を捧げるとともに、人生を振り返る展示をじっくり見ました。
生前、お会いするたび、いつもエネルギッシュで、高齢を感じさせないぐらい、力強く握手してくださり、手が痛くなるほどでした。私が宣伝カーで軽自動車(どんな道も自由自在)を使っていることもあってか、ずいぶんとかわいがっていただきました。
展示の映像の中で一番印象的だったのは、「社長になった時、スズキは日本では後発だから、どこの国でもいいから一番になりたいと思った。それには、まだ車を作っていない国がいい。インドに決めた。インドの工場で私も作業服を着て、お昼には従業員用の食堂の列に並んだ。カーストの偉い人たちが2階から見ているんだ。そうしていると、しばらくして彼らも2階から降りて一緒に食事に並ぶようになった。スズキがインドの労働文化(working culture)を変えたんだ」
こうして、インドの国民車をスズキがつくり上げました。
ベルリンの壁が崩壊し、東西対立が解消した直後の1990年には、ハンガリーにも進出しました。
「日本は戦後、米国やヨーロッパに指導してもらい、急速に発展した、しかし、アメリカに恩返ししようとは思わない。その代わり、アジアの国に技術指導して自動車産業を根付かせていく」とも。
ご本人は「浜松の中小企業のオヤジ」と名乗り続けましたが、中小企業魂を持った世界一のオヤジでした。



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