
平均年齢33歳、若き精鋭たちが導いた日本必敗の結論があったにも関わらず、なぜ日本は日米開戦へと踏み切ったのかーー2026年8月15日公開の「選挙ドットコムちゃんねる」では、戦争をあらかじめシミュレーションしていた「総力戦研究所」を取材して著書「昭和16年夏の敗戦」の執筆した作家で日本維新の会の猪瀬直樹参院議員をゲストにお迎え!MCの政治ジャーナリスト今野忍記者が今知っておくべき歴史からの教訓について深掘りインタビューします。
※編集部お断り:出演者の発言に基づき、文中に出てくる一部の方のお名前は敬称略とさせていただいております。
MC今野記者:今からちょうど85年前、1941年(昭和16年)の夏のことです。当時、総理大臣の直属機関として「総力戦研究所」というものがありました。集められたのは、霞が関の各省庁(当時の大蔵省など)、陸軍、海軍、そして民間企業から選ばれし35人の、平均年齢33歳という当時の日本で最も優秀とされた若者たちです。
課題は一つだけ、「アメリカと戦争したら日本はどうなるのか」。これをテーマに、35人の若者で「模擬内閣」を構成しました。彼らは各分野のエリートですから、極秘データを持ち寄って徹底的に計算し、昭和16年8月に結論を出します。その結論が、「日本必敗。初戦は勝つが、石油が続かない。やがて長期戦になり、最後はソ連が参戦して日本は破れる」というものでした。原爆投下以外はほぼ当たっていて、その通りの展開になるわけです。
この結論が8月末、首相官邸で当時の総理や大臣たちを前に報告されます。すると、陸軍大臣の東條英機氏がこう言いました。「これはあくまで机上の演習である」と。そしてその4カ月後の12月8日、日本は戦争を始めます。
正しい答えが出ていたし、報告もされていた。最高権力者たちは、それでも止まらなかった。開戦すると決めた人がいたのか、いなかったのか。その謎を追ったのが猪瀬直樹氏です。1983年に書かれた『昭和16年夏の敗戦』について、今日著者ご本人にお話を伺います。作家であり、日本維新の会の参議院議員、元東京都知事でもいらっしゃいます。
猪瀬氏:僕は32〜3歳の頃にこの本を書き始めたんですよ。自分がちょうど総力戦研究所の研究生と同じ年代だったんです。だから自分に重ねて、当時の人たちにヒアリングをしました。当時みなさん70代後半くらいでしたが、僕が30代前半でヒアリングをして、最終的に35〜6歳で仕上げたわけですね。やはり歴史というのは、直接ヒアリングすることが大事なんです。
この模擬内閣で総理大臣役を務めた窪田角一さんという人は当時36歳で、みんなの中で一番最年長だったこともありますが、産業組合中央金庫の出身だったんです。今の農林中央金庫(農林中金)ですね。農林中金って、皇居の前にある旧GHQ(マッカーサー元帥がいた第一生命ビル)の隣にありますよね。ファサードを残して後ろを30階建ての高層ビルにした建物ですが、あれが農林中金です。
何を言いたいかというと、産業組合中央金庫と言った当時は、日本の雇用の半分が農業だったんですよ。
MC今野記者:当時はそうですよね。
猪瀬氏:だから非常にメジャーな組織だったわけです。彼が総理大臣役になる。各省庁からの出向者同士だと並列だから、喧嘩になっちゃうわけですよ。それで、中立的な人を置いたという理由があります。
MC今野記者:海軍の人を大臣にしたら陸軍の人が怒りますよね。
猪瀬氏:商工省(現在の経済産業省)と大蔵省(現在の財務省)でも喧嘩になる。だから窪田さんを置いたということが一つあります。それから民間人ですね。日本郵船や日本製鐵などからも来て正確に計算しているし、同盟通信(今の共同通信・時事通信の前身)の新聞記者も入っています。それから海軍から海軍少佐、陸軍から陸軍大尉が集まったわけです。
ここは何と言っても30代前半の人たちなんです。これを見ている人に言いたいんだけど、要するに学校を出てから10年くらいが一番仕事ができるんですよ。50代、60代になるとしがらみが出てくる。
MC今野記者:上が詰まってくるからみんなヒラメみたいになっちゃう。確かに30代って自由ですね。
猪瀬氏:仕事を覚えて10年目というのは何でもできる時期だし、実際の霞が関の省庁でも首相の答弁書を書いているのは30代前半の現場の人間なんです。現場の人たちが一番真実に近い場所にいる。だから、そこで模擬内閣を作ったというのは実に面白い試みだったんです。
MC今野記者:この模擬内閣を作る発想自体が面白いですよね。これは誰の発案だったのですか?
猪瀬氏:総力戦研究所のような機関を作るべきだという構想は、昭和の一桁台からずっとありました。世界どこでもやっているじゃないかという話はあったんだけど、縦割り行政だからなかなか作れなかった。ガタガタしているうちにやっとできたのが昭和16年で、10年遅かった。
MC今野記者:その4カ月後にはアメリカと戦争を始めるわけですからね。
猪瀬氏:何をするか決まっていない中で、「模擬内閣をやろう」ということになったわけです。泥縄式にだったけど、それは良かった。
結局、南部仏印進駐(日本軍が今のベトナムへ進駐する)があって、アメリカが怒って石油の禁輸措置をとった。そのあたりから模擬内閣の検証が始まるわけです。
MC今野記者:アメリカは当時の日本の石油の8割以上を輸出していて、当時はまだ中東から石油が取れない時代でしたよね。
猪瀬氏:あんまりみんな知らないけど、当時は新潟で石油が取れたんだよ。当時は20万トン取れていたんですよね。今はコストが合わないから少ししかやっていないけど、それと当時は石炭の時代だったからね。北海道の夕張炭鉱や、九州の三井三池炭鉱、軍艦島など、色んな炭鉱がありました。石炭の時代だけど、石油がなきゃダメなんだよ。石油がなければ戦艦大和もゼロ戦も動かない。
この模擬内閣の一番の肝は、現在公開中の「開戦前夜」という映画でも描かれていますが、国力比較で1対20だとか、鉄鋼や石油の生産能力の違いを検証したことだけど、やっぱり一番のポイントは石油なんです。石油をどう手に入れるか。
MC今野記者:そういう意味では今の日本と変わっていなくて、今もイラン情勢などでホルムズ海峡が封鎖されたら95%を世界中からかき集めなきゃいけない。当時も80%を依存していたアメリカから禁輸措置を受けて「じゃあどうしよう」となった。
猪瀬氏:そこで色々なデータ、数字を出し合うんだけど、総力戦研究所の一番のキーポイントは「インドネシアに石油を取りに行く」という国策が浮かび上がっていたころです。
MC今野記者:ベトナムはフランス領、インドネシアはオランダ領で、そこまで行かなきゃいけない。その過程にアメリカの植民地であるフィリピンがあるから、当然ABCD包囲網でアメリカとも衝突しますよね。

猪瀬氏:インドネシアに取りに行けば、当然戦争が始まるわけです。
そこで問題は、インドネシアに取りに行った場合、それほど多くないオランダ軍を追い払って一気にやればいいけれど、問題はそれを船に積んで日本本土へ戻してくるシーレーンです。途中のフィリピンにはアメリカの基地があるし、ハワイのパールハーバーから太平洋艦隊がフィリピンに行ったり来たりもする。そこを通り抜ける際、タンカーが撃沈される可能性があるわけです。その撃沈されてどうするかという話を、模擬内閣でやるわけですね。日本郵船の人はは、ロンドン駐在経験があってロイズの船舶レジスター統計を持っていたんです。ロイズは世界中の保険の元締めだから、当時、イギリスの商船隊がナチスドイツの潜水艦にやられていたデータをすべて持っていた。世界で最も信頼できるデータです。
そのデータを使って、日本のタンカーが日本列島に戻る際の撃沈率を計算したんです。同時に、撃沈されるのを前提として、国内での船舶製造量と相殺していく。製造量が上回れば石油を運べるという計算ですが、結果は生産量よりも撃沈量の方が多くなってしまった。「これではダメだ」という結論に至った一番決定的なポイントはそこなんです。
ところが、政府も同じ計算をするわけです。僕の『昭和16年夏の敗戦』という本は、模擬内閣と実際の内閣をパラレル(並行)で描いています。
MC今野記者:2章で模擬内閣を描いて、また3章で戻ってくるんですよね。
猪瀬氏:当時の近衛内閣に対して、要するに9月6日の御前会議で「日米交渉がまとまらなければアメリカと戦争する」と決まってしまう。昭和天皇は座っているだけですが、親英米派だったからアメリカと戦争をしたくなかったわけです。若い頃にロンドンへ行って立憲君主制の素晴らしさを知っていたから、米英と戦いたくなかった。その時、皇族内閣に「東久邇宮内閣」で事態を乗り切るしかないという世論が盛り上がっていた。内大臣(今で言う宮内庁長官)の木戸幸一は天皇陛下に「ここは一番急先鋒である陸軍大臣の東條英機を総理大臣に任命し、あいつの忠誠心を利用して抑え込ませるしかない」と具申した。天皇陛下も「それは虎穴に入らずんば虎子を得ずということだね」とリスクを取って戦争を抑え込ませようとした。(中略)急先鋒の東條に「開戦するな」という意を含めて任命する。東條は皇族内閣(東久邇宮内閣)になると思っていたから驚くわけですね。
戦争反対派の東郷茂德氏を外務大臣に、賀屋興宣氏が大蔵大臣に入れて組閣した。ところが、政府と大本営は別々だから「政府大本営連絡会議」という最高意思決定機関で、東條は「我々がアメリカと戦争できるかどうか、もう一度データを全部出し合って客観的に決めよう」と言い出した。
MC今野記者:ファクトとデータで決めようと。
猪瀬氏:模擬内閣と同じことをやり始めた。模擬内閣は30代前半でしがらみがないから「戦争に負ける」という結論を導いていく。石油を奪っても帰りにやられるというデータが決定的なポイントだった。同じことを50代・60代の会議でやるわけです。彼らはそれぞれ後ろに利益共同体(陸軍、海軍、各省庁)を背負って議論する。で、最終的に「石油はどうなんだ」という話になった。

MC今野記者:総力研究所と同じ結論に行きついたのですね。
猪瀬氏:そこで指名されたのが、鈴木貞一・企画院総裁です。企画院というのは、今の経済財政担当大臣のような部署で、データを全部持っている。そのトップが鈴木貞一企画院総裁です。鈴木総裁はそこで数字をちょっとごまかす。
私は当時35歳で、93歳になっておられた鈴木貞一氏に直接会いに行ったんです。千葉の農村風景が広がる場所に、ちょうど今頃の8月中旬に行きました。
MC今野記者:なぜ行こうと思われたのですか?
猪瀬氏:まだ生きていると分かったから。「この人に聞かないと分からない」と思って取材に行ったんです。
MC今野記者:(書籍の一部を引用)(猪瀬氏が)「企画院総裁の提出数字は、開戦の辻褄合わせに使われたと思うが、その数字は客観的と言えますか?」と聞くと、鈴木総裁は「客観的だよ。戦にならないようにとデータを出したつもりだ」(猪瀬氏)「でも、石油は南方進出した場合のみに残ると出ていた」(鈴木氏)戦争を何年やるかの問題で、仕掛けた後は初戦に勝利してすぐに講和に持ち込めば、戦はせいぜい1年か2年。それなら石油は多少残る」と答えた。
猪瀬氏:1〜2年で終わるという都合のいいことを言っているんですよ。
MC今野記者:しかし実際には3年分の数字が提出されている。
猪瀬氏:1〜2年と言いながら3年分出していて、3年分でも残ると言っているから矛盾しているんだよ。
MC今野記者:僕はここで一番鳥肌が立ちましたが、鈴木総裁の答えはとにかく僕は憂鬱だったんだよ。やるかやらんかと言えば、もうやることに決まっていたようなもんだった。そのために辻褄を合わせるようになっていた。腹の中では戦争をやる気がないのに。猪瀬さんがさらに突っ込んで、やるやらんともめている時に、やる気がない人がなぜやれるという数字を出したのか。鈴木総裁は「企画院総裁としては数字を出さなければならん」と答え、(猪瀬氏)「客観的でない数字でもか」と尋ねると、(鈴木総裁は)「企画院はただデータを出して、物的資源はこのようになっている。あとは陸海軍の判断に任すというわけだ。やった方がいいとかやらん方がいいとかは言えない。みんなが判断できるようにデータを出しただけなんだ」と答えたわけです。これすごいですね。(中略)
猪瀬氏:それだけ緊迫した93歳と35歳のやり取りがあります。
MC今野記者:(猪瀬氏が)「質問の答えになっていないと思う。そのデータが問題なかったのかと聞いているんです」とさら問いすると、鈴木総裁は「そうそう、問題なんだよ。海軍は1年経てば石油がなくなって戦ができなくなるが、今の内なら勝てるとほのめかす。だったら今やるのも仕方ないとみんな思い始めていた。そういうムードで企画院に資料を出せというわけなんだ」と認めたわけです。
猪瀬氏:彼も苦しいわけです。東條も、身内の陸軍が「やれやれ」という雰囲気だから、割とジェントルマンな海軍に「やれない」と言ってほしかった。東條が海軍に水を向けてもハッキリしない。その背景には予算がある。陸軍は歩兵中心だけど、海軍は戦艦大和やゼロ戦のような巨大な装置を持っていて、予算のほとんどは海軍(に充てられている)。だから海軍は「何のために予算をもらっているんだ」と言われるのが怖かった。(中略)それで鈴木企画院総裁も苦しまぎれに1〜2年ならなんとかできるという数字を出してしまった。でも、鈴木貞一さんは秀才なので、ものすごい記憶力で僕の質問にも答えていて、ただの弁解ではなく、きちんとした言い訳をしている。ただ、鈴木企画院総裁の出した数字でやれるということになっちゃった。(中略)
MC今野記者:模擬内閣では30代のしがらみのない人たちがファクトとデータに基づいてできません、と。
猪瀬氏:結局はエビデンスなんです。色んな数字がありますが、最終的にこの1点というエビデンスの場所でひっくり返る。冤罪事件の再審請求などもこの1点でひっくり返る。必ずこの世の中には「この1点」がある。

それで一点突破、全面展開をしてくということが大事なんだよね。そこの1点から世界を変えていく。
この詳細は、ぜひ動画本編でご確認ください!
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