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日本ではなぜ二大政党が成立しないのか~55年体制と小沢一郎の呪縛(歴史家・評論家 八幡和郎)

2021/3/25

八幡 和郎

八幡 和郎

最新の日テレ世論調査では、自民党の支持率が40%に対して立憲民主党は6%。テレ朝の調査ではそれぞれ、44%と11%であった。これでは、とうてい、二大政党とはいえない。そのかわり、支持政党なしがそれぞれ42%と32%で、自民党と支持政党なしの二大政党だという人もいる。

世界の主要国では、だいたい、二大政党(勢力)が成立している。アメリカでは共和党と民主党、イギリスでは保守党と労働党、ドイツではキリスト教民主党・社会党と社民党といった具合だ。

フランスでは共和党と社会党だったが、社会党から分かれて中道派と組んだマクロン大統領の共和国前進が政権をとって過渡期的状況だが、いずれ収まるところに収まるだろう。イタリアは政党は多いが選挙では右派連合と左派連合が結成される。そのうち左派連合は旧民主党が手本としたオリーブの木の系統だ。

オランダとかベルギー、最近ではスペインは小政党がいっぱいあって、これは、保守革新と民族とかが複雑にからみあった結果だが、なんとなく、右派対左派の区別はある。

日本では、55年体制で自民党と社会党の二大政党になったはずが、自民党政権が1993年までつづき、細川政権から橋本政権までは混乱が続いたが、また、自民党政権と群小野党の時代があり、それが2003年に自由党が民主党に合流することで二大政党らしくなり、2009年から2012年までは政権についた。

ところが、2012年の総選挙での惨敗のあと浮上のきっかけをつかめず、2016年には維新の党と合併して民進党となり、2017年には希望の党に合流する騒動のなかで空中分解した。そして、2017年の総選挙ののちは、立憲民主党が野党第一党になっているが、政権交代のめどはまったくない。むしろ、立憲民主党は55年体制のもとでの社会党のような存在になっている。

小沢一郎の迷走はどこから始まっているのか思い出そう

それでは、どうして二大政党が機能しないのかと云えば、「55年体制の呪縛」と「小沢一郎の呪縛」があると思うのだ。

「55年体制の呪縛」というのは、自民党が憲法改正を唱え、社会党が政権奪取でなく憲法改正阻止を主目標としたことに起因する。つまり、両院で三分の一を確保すれば社会党にとっての勝利だったからだ。もうひとつは、ベテラン議員たちが議席を確保し、失業しないようにするためには、それで良かったのだ。

そして、三分の一の議席を確保するためには、かなり左寄りで非現実的な政策を掲げた方が、安定的に得票を得ることができた。

「小沢一郎の呪縛」というのは、1993年の離党の経緯からきている。宮沢喜一が政治改革に熱心でないと内閣不信任案に賛成した。6月18日、野党から宮沢内閣不信任案が上程され、羽田・小沢派ら自民党議員39名が賛成、16名が欠席する造反により不信任案は255対220で可決、宮沢内閣は衆議院を解散した。

このときに小沢は必ずしも離党する気はなく、政局の主導権を握りたかっただけともいわれるが、同年6月21日に不信任案には反対したうえで、武村正義らが自民党を離党して新党さきがけを結党した。

こうなると、小沢らは党内に留まることが難しくなり、小沢らは6月23日、新生党を結成した。

そして、小沢は細川政権を樹立したが、その後、自民党への復帰を実質的に狙ったこともある。自由党時代の1999年に自自連立政権が発足し、与党へ復帰した。1999年10月、公明党が政権に入り、自自公連立政権が成立。小沢は小渕総理・総裁に自自両党の解散、新しい保守政党の結成を要求したが、小沢自身も「復党が認められなければ連立解消だ」とし、小沢・小渕は2000年4月1日に会談するが、連立は解消され、この時の興奮も一因となったらしく小渕は脳梗塞で倒れ、5月14日に死去し、これで、小沢の自民党復帰は可能性がなくなり、その結果、上記の2003年の自由党が民主党に合流する伏線になった。

こうした経緯をみても分かるが、小沢が目指したのは、自民党と違う政策と支持基盤をもった別の党をつくるのでなく、支持基盤を乗っ取ることだったようにみえる。だから、民主党政権のときでも、農協、医師会、公共事業業界という自民党の伝統的な支持基盤を取り込むことに全力を挙げた。

このために、自民党政権の宿痾というべき課題があるこれら業界の問題の改革に熱心なわけでなかった。

つまり、自民党とそれなりに違うタイプの政策を掲げて、海外のようなほどほどに左右に振れる二大政党のひとつでなく、いずれは、55年体制のもとでの自民党のような永久政権、それも、小選挙区制のもとだから、党執行部の権力がより強い党をめざすことにあったようにみえる。

そして、自民党も逆にこの永久政権哲学にとらわれてしまっている。二階幹事長は二階派に細野豪志を招き入れたように、野党の政治家を招きいれている。これは、自民党の政権基盤を強化するが、もともと自民党が頑張っていた人の利益はならない。

また、党内での反主流派は小選挙区のもとで執行部の権力は強化され自由闊達さが失われているといわれる。

本来は、二大政党制のメリットは、与党が強くなりすぎると、与党のなかの不満分子が野党に移るとか、本当は与党から選挙に出たい人の一部が野党から立候補して与野党の政権交代の契機になるということがあったはずなのが、逆のことになっているのは、もともと小沢氏と行動をともにしていた二階氏が小沢流を実践しているといえるのかもしれない。(小沢一郎チックな政治哲学の問題点も含めて現代日本政治の問題点の歴史的視点からの指摘を、扶桑社文庫「 最強の日本史100 世界史に燦然と輝く日本の価値」に書いた)

憲法改正を認めてしまった方が野党にチャンスは広がるかも

多くの人が中選挙区制の復活を望むという。しかし、それは筋違いだ。世界中で比例代表制か小選挙区制、あるいは、その併用なのである。それが日本でうまく機能しないという理屈はなったくない。ただひとつ、それの居心地が悪いのは、自民党永久政権を前提にするからだ。

どうして、中選挙区がよくないかといえば、長期政権が維持できないからだ。世界中で、大統領や首相の平均在任期間は数年間だ。中以上の評判なら8~10年(大統領制だと2期)、もうひとつでも4年程度だ。大統領制で現職大統領が再選を望むなら、よほどのことがなければ、与党内から候補交替など要求してもまず無理だ。

それでいいのである。安倍首相が大きな外交成果を上げられたのは、7年半の在任をしたことがもっとも大きかった。健康が許せば、10年間でも短すぎたくらいだ。そうすれば日本の世界における立場は劇的に変わっただろう。

かつて、福田赳夫とか大平正芳などはかなりできのいい首相だった。しかし、党内抗争で短期での交代が繰り返され、ろくなことはなかった。その時代に戻ってはならないのだ。中選挙区制の時代はよかったなどというのは、政局でしか政治を見られない人の誤りだと思う。

しかし、そのためには、野党が「55年体制の呪縛」と「小沢一郎の呪縛」の両方から解放されること。つまり、憲法改正阻止を主目的にすることをやめて、与党になったり、野党になったりを数年から10年を目標に繰り返す党をめざすことだと思う。

与党の政策が評判が悪ければ、よく練られた改革政策を打ち出して政権をとることをめざすべきで、政局をもてあそんだりすることで、政権が転がり込んでくることを目指すのでは長続きしないはずなのだ。

そういう意味で、ひとつの考え方としては、いまの自民党案など毒にも薬にもならない常識的なものだから、通してしまってもいいくらいなのだ。それを済ませてもらったほうが、野党が政権に近づく最短の道かも知れない。

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八幡 和郎

八幡 和郎

評論家、歴史家、徳島文理大学教授 滋賀県大津市出身。東京大学法学部を経て1975年通商産業省入省。入省後官費留学生としてフランス国立行政学院(ENA)留学。通産省大臣官房法令審査委員、通商政策局北西アジア課長、官房情報管理課長などを歴任し、1997年退官。2004年より徳島文理大学大学院教授。著書に『歴代総理の通信簿』(PHP文庫)『地方維新vs.土着権力 〈47都道府県〉政治地図』(文春新書)『吉田松陰名言集 思えば得るあり学べば為すあり』(宝島SUGOI文庫)など多数。

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