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日本の地方振興策が失敗ばかりしてきた本当の理由~石破茂的な地方創生論が諸悪の根源(歴史家・評論家 八幡和郎)

2021/1/5

八幡 和郎

八幡 和郎

新型コロナ騒動を機に、久々に国土政策が注目されている。

 私は通商産業省から二度にわたり国土庁に出向し、草創期の『朝まで生テレビ』などで東京一極集中反対を取り上げたり、『「東京集中」が日本を滅ぼす』(講談社)などの著作を書き、『国会等移転に関する法律』やその後の移転候補地(東濃・那須・畿央)の決定の過程で、村田敬次郎、堺屋太一氏らと仕事をしていた。

 その後、バブルが崩壊して一時的に東京集中が緩和されると、首都移転も凍結のようになったし、地方振興策は迷走したのは無念で、亡くなった堺屋太一氏ともいつかは最チャレンジしたいという話を良くしていた。

 今回は、なぜ東京集中阻止と地方振興策が失敗してきたかを、振り替えてみたいと思う。どうすればいいかといった制度問題は、回を改めてにしたい。

 ちょうど、最近、YouTubeで『GOTOキャンペーン中止から考える”地方再生”』という動画が流されて私と松田学(元財務省・元代議士)が対談しているので、この動画も是非、ご覧頂ければと思う。

 また、この番組では、拙著「日本史が面白くなる47都道府県県庁所在地誕生の謎 (光文社知恵の森文庫)の解説もしている。

『日本列島改造論』が出てくるまで

 ここ半世紀の日本にとって大問題は、地方の人口減少と東京一極集中である。江戸時代後半は、日本の人口3000万人、米の収穫は3000万石で、飢饉や間引きなどで人口が抑制された結果、数字は横ばいだった。

 ところが、明治になると食料や医療の水準も向上して農村では人口が過剰となり、大都市や北海道、外地などに移ったりした。戦後も外地はなくなったが、地方にとっては大都市に子供たちを就職させて仕送りなどしてもらうことがむしろ好ましい現象だった。

 しかし、高度経済成長が成功し、高速道路や新幹線などインフラ整備が進んできた。

このころ、田中角栄より前に建設族のドンだった河野一郎は、浜名湖周辺への首都移転、京都のコンベンションシティー化、つくば研究学園都市建設、本四架橋は明石・鳴門優先で、などダイナミックな発想で国土建設を進めていた。

 しかし、河野一郎が死んだのち、国土政策は国土庁生みの親と言われる下河辺淳氏らによる『新全総路線』といわれるものになっていった。地方への工場進出を加速させるこの国土政策観は、中枢部門は東京に集中させ、ピラミッド状にブロック中心都市、県庁所在地、地域中心都市というように程度の低い機能に階層化するという発想だたが、残念ながら、高度な機能ほど成長性が高かった。

 これで、関西などは、副首都的な機能を果たしていたのが、むしろ、仙台や広島並みのブロック中心都市に落とされてしまった。

 関東武士のDNAを引き、アンチ西日本の権化であった下河辺氏の執念だったと思う(私が1978年に国土庁に出向したとき、省内の研修で、当時、局長だった下河辺氏のレクチャーを聴いて、西日本の没落が綿密な政策的誘導の結果だったことを知って激しい怒りを覚えたのが私が国土政策について独自の勉強を始めたきっかけだ)。

 また、各県の中でも県庁所在地の人口ばかりが増えることになった。

「日本列島改造論」は、田中角栄が昭和47年の自民党総裁選挙に立候補したときのマニフェストみたいなものである。日本中に高速道路と新幹線を張り巡らせるというのは、「新全総路線」と同じだが、工場だけでなく大学や研究所も地方に立地させようというところが目新しかった。

バブル経済の発生とその崩壊

 列島改造は、残念ながらオイル・ショックで重化学工業の成長が止まるなどして前提条件が失われたし、情報化やサービス化が進み、財政難で大型公共工事はやりにくくなったので、期待通りには行かなかった。

 そして、信じられないことだが、地方分散が進まないのは、職場がないのでなく、文化が足りないとかが原因なのであって。工場など要らないなどということがまことしやかに語られた。そんななかで、列島改造の発想を裏口入学的に苦心して復活させたのが、テクノポリス構想だった。

 しかし、公共事業は景気刺激のかけ声もあって、新幹線や高速道路などゆっくりと全国に広がり、四国にも橋が三本架かったのは列島改造の遺産だ。しかし、人口は高速道路ができるのを待っている間に減ってきたのをみると、田中の考えたように、一気にインフラ整備を進めるという考え方が正しかったと思う。(さらに、小泉内閣はなぜか道路公団を目の敵にしたので、過疎地の道の整備は続いたが、高速道路は一時中断という愚劣の極みの政策をやった)

 しかし、中曽根首相は、公共投資より民活を重視し、集中抑制策を放棄した。むしろ世界都市東京を強くしたら地方にも恩恵があると頓珍漢なことをいいだすなかで、一極集中は一気に進んでバブルの原因になった。

 関西などは、地方分権と自由化が進んだら東京に負けないと何の根拠もなく主張していたが、本当にそうなったら、関西に残っていた企業まで自主的に、あるいは、合併でみんな東京に行ってしまった。

 そこで、これではいけないというので、1980年代終わりから、私たちの努力もそれなりに実って、首都機能移転が構想され、法律まで出来たが、短期間だけ東京集中が鈍化したら、石原晋太郎都知事などの抵抗で、棚上げにされ、すぐに集中はますます進むばかりになった。工場も大学もどんどん東京に戻ることになった。

 また、日本の人口は減少に転じているが、その最大の原因は東京一極集中である。なにしろ、東京都の特殊出生率は1.1で、全国平均が1.4、九州だと1.6である。

 この状況はローマの奴隷に支えられた繁栄を思い起こさせる。つまり、ローマの奴隷はそこそこの生活水準だったが、家庭を持ち子孫を残すのは難しかった。そして、奴隷が足らなくなると戦争して集めてきていた。

 日本では地方から子供を集めてくる。そして、彼らのなかには、結婚しない人も多いし、あまり子供を作れない。それで補充が必要になって、また、地方から連れてきていた。しかし、地方にはだんだん送り出す子供もいなくなってきたというのが現状である。

 もし、首都機能に限らず東京の仕事を九州に移せば、それだけで、夫婦一組あたり0・5人子供が増えるわけでだが、そういう発想はないのだから、どうしようもない。

 国会議員の定数是正をサボっていたら違憲判決を出されて、参議院などふたつの県で一人とかいうことになって石破茂氏など慌てて憲法改正も第九条よりも鳥取県にも一議席割り当てることが優先課題とかいっているが、何十年も代議士やっていて、しかも、石破氏の父親は知事だったのに地元の人口減少を食い止められる政策を実現できなかったのだから、いまさらなにをいうかということである。

里山資本主義と石破茂地方創生の愚劣

 その石破茂氏は、安倍内閣で地方創生を担当し、それまでの政治家人生のすべてを賭けるチャンスだったし、そこで成功していたら、すんなり総理になっていたかもしれない。

 しかし、まったく、無為無策にすごして、閣外に逃げ出した。石破氏にこの重要な問題を託した安倍首相にとっても、この人事は七年半の政権で最大の失敗だったと思うが、なぜ、石破氏が失敗したかを分析しておくのは、意味のあることである。

 石破氏は、つまるところ、竹下内閣の「ふるさと創生路線」の継承者だった。田中角栄の国土政策は、「陣笠発想」だった。つまり、新潟三区をなんとかしなくてはという意識はあるが、河野一郎のような国家的発想に欠けた。

 それに輪をかけて、県議出身の竹下登の発想は、「おらが村」をなんとかしたいと言うことである。その結果、島根県には莫大な公共事業予算がつぎ込まれて、町役場に行くのは便利になったが、松江に高速道路が開通したのは、石破茂氏の鳥取とブービー争いのすえだった。

 また、「里山資本主義」もそうだが、かれらは、地元の産品などを生かした小さな成功を求めるし、そういう努力も必要だが、あいにく、そこでできるもののマーケットはそれほど大きくなく、ニッチな狭い市場を求めて、地方同士が競争して疲弊するだけのことになる。

 そして、問題は東京やほかの大都市との競争を避ける、また、地方の生活の弱点に対して鈍感になることだ。地方には東京のマネをして欲しくないというのは、東京の人の論理である。地方の人は東京の人に近い生活をしたいし、それができないと転勤も嫌がられるし、観光客だって喜ぶとは限らない。

 四国にセブンイレブンが進出したのは、2013年だったが、そのことで四国での生活はだいぶ快適になったし、観光客も安心だ。観光客も郷土料理を好むとは限らない。フランスやイタリアのような美食の国を旅行しても、食事はマクドナルドやラーメンですませてじっくり美術館を回りたい人だっている。京都では、最近は世界のブランド・ショップが充実したが、それまでは、コンベンションで来た人が家族に買う土産がないといって嘆いていた。京都の伝統商品よりは、シャネルのバッグを喜ぶ女性の方が多いのである。

 そもそも、たとえば、大阪なら、東京と同じものやサービスがあれば、日本人の半分にとっては大阪の方が近いのだから、東京の市場の半分を取れるのだ。それを東京人の甘言に乗ってチャンスを逃しすぎてきた。

 それが馬鹿げたことだと気がついたのは、おそらく、中国や韓国からの観光客が、押し寄せて高級ブランドや電化製品を買ってくれだしてからだ。

 なにしろ、中国や韓国からなら、東京へ行くのと大阪では時間も費用もだいぶ違う。だから、同じものを提供したら喜んで大阪に来てくれることが分かったのである。

 黒門市場の焼き魚の串焼きや、難波のたこ焼きの売り上げが、東京で流行しているパンケーキの店に食われて減るわけではないのである。

 そして、地方分権が地方分散のために役立つのかいえば、善し悪しに過ぎない。逆にやり方によっては、マイナスである。たしかに、維新チックに大改革ができることもないわけでないが、石破氏のようにじっくり話合ってコンセンサスをつくっていけば、大胆な改革など普通は無理だ。地方分権が地方発展のために役立つことはそんな簡単でないし、工夫がいる。そのあたりは、何週間か後にまた論じたい。

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八幡 和郎

八幡 和郎

評論家、歴史家、徳島文理大学教授 滋賀県大津市出身。東京大学法学部を経て1975年通商産業省入省。入省後官費留学生としてフランス国立行政学院(ENA)留学。通産省大臣官房法令審査委員、通商政策局北西アジア課長、官房情報管理課長などを歴任し、1997年退官。2004年より徳島文理大学大学院教授。著書に『歴代総理の通信簿』(PHP文庫)『地方維新vs.土着権力 〈47都道府県〉政治地図』(文春新書)『吉田松陰名言集 思えば得るあり学べば為すあり』(宝島SUGOI文庫)など多数。

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