デジタル庁の創設に代表される「官民のデジタル化への取り組み」が注目を集めています。選挙との関連ではインターネットを用いた投票(ネット投票)が注目されますが、ネット投票は実現されるのでしょうか。
ネット投票には功罪両面が想定されますが、ネット投票を実現するために乗り越えなければいけない壁を5つの数字で紹介します。
ネット投票を行うためには本人確認が必要になります。国政選挙でのネット投票を実現しているエストニアでは国民IDカード、あるいは政府身分証明書の入った特別なSIMカードを使って本人確認が行われています。
日本では本人確認の仕組みとしてマイナンバーカードの使用が想定されるところですが、マイナンバーカードの普及枚数は2020年10月1日時点で2,611万枚、人口普及率は20.5%です。日本の有権者数は1億598万人ほどですので、すべての有権者がネット投票を行えるようになるためにはマイナンバーカードがこれから約8,000万枚普及する必要があります。
現在、マイナポイントを用いたマイナンバーカードの普及活動が行われていますが、図表1が示す通り、2020年7月末時点での交付目標3,000~4,000万枚に対して、実績は2,325万枚となっています。マイナポイントの申請期限に向けた需要の増加や、来年4月に予定される健康保険証としての利用開始などの利便性の向上による普及効果が期待されるなか、どこまで普及するかが注目されます。
もちろん、希望する人だけがマイナンバーカードを取得し、ネット投票をすることができるようになればよい、との考え方もありますが、その場合はネット投票によるコスト削減効果に影響を及ぼすことが想定されます。
本年度の予算では、マイナンバーカードに要する予算として、発行経費(自治体の体制整備等)に1,365億円、マイナポイント事業に2,458億円が計上されています。
なお、今年4月の時点でマイナンバーカードの発行枚数は約2,033万枚でした。今年度末の目標である7,000万枚までの約5,000万枚を発行するために、1,365億円かかることになりますので、すべての有権者にマイナンバーカードがいきわたるためには概算でさらに990億円ほどの費用が必要になります。
では、仮にマイナンバーカードを用いずに、別の手段で対応する場合はどうなるでしょうか。
マイナンバーカードの仕組み(システム)を作るための初期投資には2,500億円以上の予算が投じられています。ここに毎年のシステム運営経費や、カードの発行費用が追加で発生していることを考えると、マイナンバーカード以外の本人確認の仕組みを作る場合にも費用面で大きな負担が生じることになりそうです。
ネット投票は費用に見合った効果が見込めるのでしょうか。
効果の1つとして自治体の選挙事務における経費削減効果と有権者の利便性の向上が考えられます。
行政レビューシートによると、前回(2017年)衆議院議員総選挙の費用は約600億円であり、そのうち自治体が要した費用は約556億円、実際に開票事務を行う市区町村には437億円ほどが交付されています。
市区町村の事例として示されている横浜市をモデルに、エストニアの実績を基に見込み効果を算出したのが図表2です。エストニア方式を採用した場合に見込まれるネット投票による事務効率化の効果は開票に要する費用の削減(投票数を考慮して45%減と仮定)と期日前投票所に要する費用の削減(期日前投票に占めるネット投票の割合を考慮して70%減と仮定)となり、1回の選挙でのコスト削減額は自治体費用の11.3%、49億円ほどとなります。
ネット投票の効果には有権者の利便性の向上もあるはずです。ただし、投票日に限って言えば、現状でも投票環境はある程度整備されています。明るい選挙推進協会の調査では7割を超える有権者が10分以内に自宅から投票所に移動できたことが明らかになっていますし、前回衆院選での投票所の数47,741か所はコンビニエンスストア大手3社(セブンイレブン、ファミリーマート、ローソン)の国内店舗数の合計52,058店舗に近い数となっています。
また、エストニアでのネット投票を紹介する記事の中には、ネット投票が必ずしも投票率の向上にはつながらなかったことを紹介する情報があることも気になるところです。図表3で示した通り、エストニアでは確かにネット投票の利用率は向上しているものの、投票率が比例して上昇しているわけではありませんし、若者世代がほかの世代よりも多くネット投票を利用しているわけでもありません。
ネット投票は選挙事務経費の削減や有権者の利便性向上につながる可能性がありますが、費用対効果などを考えたときにどこまで重視すべきものとなるでしょうか。
選挙に係る600億円という費用を減らすという観点のみに着目するならば投票所に「電子投票機」を導入することも考えられます。電子投票機は、前回総選挙の登録有権者数が9億人を超え、世界最大の民主主義国家と言われるインドをはじめ、ブラジルやアメリカなど様々な国で導入され、開票事務の効率化などに貢献しています。
日本でも選挙事務の効率化を目指して2002年より地方自治体の選挙において電子投票機を導入できるようになったものの、機器やオペレーションのトラブルとそれに伴う選挙の有効性が争われた訴訟、利用者が増えないことによる機器のリース代の高止まりなどが続いたことで、10団体25回の選挙での実施にとどまっています。
ネット投票を導入し、投票の電子化を進めていく上では、電子投票機の二の舞とならないように取り組みを進めていく必要があります。
現在、すべての国民がネット投票をできるのはエストニアのみです。
総務省「投票環境の向上方策等に関する研究会」における会議資料(2018年2月)では、エストニア(全国)とスイスの一部の州において国政選挙でネット投票が行われていることが報告されています。しかし、スイスでは、システム開発費の高騰やセキュリティ面での問題が発覚したことなどによってネット投票に使用できるシステムがなくなってしまい、2019年の連邦議会選挙ではこれまでにネット投票を行っていた州も含めてすべての州でネット投票の実施が見送られることになりました。
同研究会の資料では、他にノルウェーやフランスの実証実験も取り上げていますが、ネット投票の導入は見送られています。現在、エストニア以外にネット投票を実現しているのは、ニュージーランドやアメリカ(一部の州)の在外投票くらいです。
関連記事:「withコロナの時代に「ネット投票」が救世主になるか?各国も実現には今なお道半ば」
GAFAMを擁し、かつ新型コロナウィルスの感染者数が日本よりも格段に多いアメリカですら、大統領選挙をはじめとする各種選挙でネット投票は実現されていませんし、アメリカ科学振興協会〔AAAS〕などの有識者団体からはセキュリティ面での問題などからなる反対意見が表明される状況の中、ネット投票ではなく郵便投票での対応が主流となっています。
ここしばらくの政治家の発言では、与野党を問わず日本の行政サービスのデジタル化は他国よりも劣っているものとされています。確かに、新型コロナウィルスの特別定額給付金の申請を巡って、6月2日時点で43自治体においてオンライン申請が中止や休止となったことや、新型コロナウィルスの感染者情報のやり取りにFAXが使用されている部分があることなどが象徴するように、住民サービス面でのデジタルデータの利活用はまだまだ改善の余地がある状況のようです。
そのような状況にある日本が、他の国でも導入が断念されている「ネット投票」の仕組みを安全に実現できる保証はどこにあるのでしょうか。「エストニアが導入しているのだから、日本でも実現すべき」といった論調を目にすることもありますが、「電子投票機の導入失敗」という過去の経験や日本の実情も踏まえながら、安全面での懸念も乗り越えていく必要があります。
ここまで見てきた事項も踏まえてネット投票を実現していくためには、実現方法を工夫することが考えられます。
例えば、実証実験が行われているように在外投票に対象を絞って導入していくことも一案です。10万人を超える海外に暮らす有権者の中には投票のために交通費などで1万円もの費用が必要となる人がいることも報じられています。在外投票に限って導入する手法はアメリカやニュージーランドも導入していますし、問題が生じた際の影響範囲も全国一斉で導入した場合に比べて限定して対応していくことができます。
また、ネット投票を全国一斉ではなく、特定の自治体や、政党の党首選挙などの限定的な範囲で実施し、経験を積むとともに改良していくことも考えられます。先日行われた自民党の総裁選挙において国選選挙では全面的に導入されていない郵便投票が実現されているなどの事例もあります。
ネット投票には様々な期待の声もありますが、導入に向けて多くの準備や多額の費用、時間を要するのも事実です。withコロナの時代に貴重な政府の資源をどの政策に割り振っていくのかは大きな課題となっています。社会のデジタル化に向けた機運が高まっているなかですが、ネット投票を推進するかどうかについては、具体的な課題も踏まえた日本の実情沿った検討が求められます。
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