自民党の歴史を振り返る大スペクタクル「大宰相」も遂に4巻……と言いたいところだが、「まだまだ4巻」である。しばらく慣れていたと思っていたオジサンてんこ盛りの画面がまた辛くなってきた。というか作画のさいとう・たかを先生もオジサンを書き続けるのに飽きてきたのではないだろうか? 証拠になるかは微妙だが、その当時の社会風俗の描写でなぜか本筋には全く関係ないシームレスストッキングの登場が紹介されていたり、ボウリングブームの描写でプレイヤーがみんな女性だったり、モブキャラに心なしか女性が増えてきた気がする……。
うーむ、30年後ぐらいにまた自民党漫画が出るとしたら、ちゃんと半分程度女性議員が出てくればいいと思う。政治とジェンダーの問題は、調べ始めたらきりがなさそうだ。
為政者が後継者を指名せずに死んだとか、指名したのに後で家中が割れて騒動が起きたとか、中世にはそういう話がごまんと溢れている。そしてこの1960年代の自民党もまた然り。自分の系譜が続いていくように、政治家たちはあらゆる工作をする。
前回3巻の最後で岸信介が退陣し、4巻冒頭では次の総裁を決めるために早速党内がざわつき始めた。吉田茂や幹事長の川島正次郎らに働きかけを行うなど積極的に自分を売り込んでいく石井光次郎、「自分のあとは大野」という岸の誓約書を信じた大野伴睦、次の機会への布石のために出馬した藤山愛一郎へ、旧岸派の票はガンガン割れていく……。こんなに内部が荒れていても与党でいられるって、よっぽど野党が魅力的でなかったのだろうか。それとも野党は自民以上に荒れていたのか?
そんな中で岸本人、そして佐藤は池田支持を表明し、池田政権樹立のために他派を切り崩しにかかる。
この切り崩しシーンは軒並み料亭だ。なんだか高そうな食事と酒を囲んだスーツ姿のオジサンたちが見開き全7コマのうち4コマを占めていたので思わず「お、おお……」と言ってしまった。まだこういう文化は残っているのだろうか。 これを読んでいる方の中に政治家の方がいたら、教えて欲しい。
歴史劇画 大宰相 第四巻 料亭で切り崩しの巻 P.78-79
そして反池田で固まるために大野が立候補を急遽取りやめると、大野派と石井派が連合に向けて調整している間に、岸らは川島を口説き落としてしまう。幹事長が動いたとなると追随するものは絶えず、池田はようやく政権を手に入れたのだった。例のフレーズ、「寛容と忍耐」は、そうせざるを得なかったから生まれたのだと思う。
「積年の友情も……吉田学校の縁も……壊れていくのは……やむをえんことだ……」
佐藤との対立を覚悟した池田のセリフがこれである。エモい。この「……」の間に、池田の胸に何が去来していたのか偲ばれるようである。
池田勇人と佐藤栄作は共に「吉田学校」で学んだ間柄、親しい友でもあったのだが、池田が三選目に挑むことを決めた時、その友情は崩れ去っていく。佐藤は友情と権力を握るチャンスとを天秤にかけた上で、総裁選に立候補したのであった。政治の場にあってはさしもの二人も「ズッ友」ではいられない。
池田は僅差で辛勝を収めるが、その後すぐガンが見つかり、結局
次期総裁として佐藤を指名した。
「皮肉なことだ…… こういうことになるなら……なにも、7月公選で、池田と、佐藤は争わなくても……よかったではないか…… だが……これも、すべて、運命のなせるワザなのかもしれん……」
二人について、吉田はこう回想している。ドラマティックな言葉だ。
これがフィクションで二人の物語がここで終わっていれば良かったのだが、この後佐藤は2798日に渡って政権を握り続け、結果として後継の福田赳夫と田中角栄との対立を招いた。「権力は人間を変える」。1巻の頃の幣原が頭をよぎった。権力の椅子はよほどに心地いいのだろう。私は座ったことがないから分からないけど。
三島由紀夫の割腹事件が起きたのは1970年のこと。1970年と言えば大阪万博の年であるが、戦後からめざましく発展してきた経済は少しずつ停滞を見せ、公害問題も深刻化してきた、そんな折である。「楯の会」を率いて市ヶ谷駐屯地で自衛隊へ決起を求める演説を行った三島であったが、結局同意を得られずに割腹した。
私がもし1970年を生きていたなら、間違いなくショックを受けていたと思う。三島は時代のうねりそのものだったと言ってもいいかもしれない。三島についてはよく知らないが、1925年に生まれ、戦争に呑まれていかざるを得ない環境でナショナリズムを育みながら青春を過ごしたのに身体検査の誤診によって兵役を「免れてしまった」、という彼の人生を思うと、戦時でなければ起こらないことが精神的事件として深く突き刺さっているように見える。
敗戦から怒涛の経済成長を迎えても、日本はやっぱり敗戦国であったし、戦後からいくら時間が経っても結局戦後だった。1945年以前を忘れようとする国が、思想を簡単に翻す大衆が、三島には許せなかったのかもしれない。1945年という<大転換点>に取り残された「亡霊」がああいう末路を選んだことは、当時の人々の心のほの暗い部分にグジュリと指を入れたのではなかろうか。
大衆は潮流に流されるが、民主主義の「民」とはこの大衆のことである。
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