「日本で一番偉い人」は誰か、という質問があったとして、「偉い」が政治権力のことであるなら、その答えは総理大臣になるだろう。
あなたは「日本で一番偉い人」になってみたいだろうか? 私は嫌だ。国民の生活に対する責任も、新聞に1日の行動が載ってしまうような生活も私は求めていない。そして何より、「大宰相」を読んで分かった。「権力の椅子」には、「何かある」。
ここでいう「魔力」とは、人間の何かを変えてしまうということだ。座っている本人だけではなく、座った人間を眺めている群衆まで、長く座れば座るほど何かが狂っていくのだとしか思えない。
「大宰相」5巻は佐藤内閣の失墜に始まる。吉田内閣の記録を6ヶ月も超えた長期政権を達成した佐藤は、進退を発表するタイミングも後継者への引き継ぎもスムーズにいかず、結局次期首相は田中角栄となった。
前回4巻の時から言っていることではあるのだが、ここまでの「大宰相」には権力によって人間が変貌していくシーンが少なからず出てきた。人間の精神とは何によって決まっているのだろうか……。
それを偲ばせる5巻屈指の名シーンが、第四次中東戦争の勃発後、成長戦略の見直しも兼ねて行われた内閣改造の直後の田中角栄による回想である。
「俺のような心理を、歴代のどの総理も味わい、体験したのだろうか……」
群がってくる錦鯉にえさを与えつつ、田中は物思いに耽った。1巻で田中が「内政干渉ではないか!」と意見を叩きつけた、あの吉田茂の顔が田中の脳裏を過る。
「どうかね、大臣というもののあり方が、多少はわかってきたかね……? まだまだこれから、もっと…… 苦しまねば、ならんよ……」
……こんなに怖い言葉あります?? ないよ! 普通こんなこと人に言わないよ!
まだまだこれからもっと苦しまねばならない、そんな呪詛のごときセリフが長期政権を回してきた吉田のイメージで語られ、田中はえさがなくなって目の前から散っていく鯉たちを見つめる。
「田中は、総理大臣というものの宿命的なわびしさ……かつて味わったことのない孤独を、感じていた……」
「宿命的なさびしさ」とは、きっと「権力の椅子」に座った時だけに分かる心情なのだろう。その特殊な孤独が、人間を変えてしまうものなのか、それとももっと巨大なものの副作用でしかないのか、私には分からないし、知ることもないだろう。
そしてこの「総理大臣の孤独」について、再び言及される場面が訪れる。それが、金脈事件後、自身の退陣を視野に入れて後継の調整にかかる田中角栄と、彼のかつての師とも呼べる存在・佐藤栄作の会談シーンだ。
泣きながら佐藤に後継者へのスムーズな政権受け渡しを手伝ってくれと懇願する田中に、佐藤は葉巻を吸いながら答える。
「………… 総理大臣というのは……孤独なものだよ……(中略)辞めていく総理のいうことは、誰も聞くまい…… だから……ぼくも容易には、言えなかった……」
ウウーッ! なるほどなあ。総理大臣とは絶頂だ。座っている間は「日本で一番偉い人」であっても、降りてしまえば「かつて日本で一番偉かった人」になる。何も実績がなくとも「これから日本で一番偉い人になるかもしれない人」より、はるかに手垢にまみれた存在、もっと俗な言葉を使えば「老害」扱いもされよう。自分の言葉を届けるために何をすればいいのか、だんだん分からなくなっていきそうだ。
そしてたった一つの絶頂に立って見える景色と、それ以外の場所から望む景色には大いなる差がある。一度知ってしまえばその視点を捨てるのは難しいだろうし、周囲との意識のすり合わせも難しくなっていく。
退くにしたって、いつ椅子から降りることを告げるか、いつ誰にポストを譲ると発表するか、どうやって降りてどこに着地するのか。綺麗に接続できない権力ゲームは、気をぬくと一気に転がり落ちるのだ。
つまり、権力の椅子とは、座るのも降りるのも難しく、一度座ればこれ以上ないほどの孤独と辛苦を与えるという、いわば地獄なのであった。
「そして、新総裁誕生のドラマは、同時にまた、新たなる怨念のはじまりとなるのだった……」
5巻は田中の退陣で締めくくられており、最後のナレーションがこれである。
新たなる怨念。その通りだ。「気持ち良く終われた人間」など、これまでさらさらいなかった。
国一つを動かすその操舵席には、権力亡霊たちの涙と怨念が、数え切れないほどこびりついていることであろう。
政治の世界が本当に怖くなってきた。
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