先日、自民党内で被選挙権年齢を「20歳以上」に引き下げる案が浮上したことが話題となっている。このタイミングでの被選挙権年齢の引き下げの理由は「若者の政治離れの食い止め」「党勢の拡大」にあるということだ。しかし、被選挙権年齢を下げることはそれ以上の意味を持つが、それを考えるには「被選挙権年齢の引き下げ」に限らない、そもそも若者が社会に参加することの意味を考える必要がある。
なぜ若者が社会に参加しなければいけないのか?
なぜそのような機会を作らなければならないのか?
端的に答えるならば、相対的に社会への影響力が下がっている若年層の影響力を高めることで、若者層のニーズを反映した良質な若者政策を構築&実施し、若者の生活環境を向上させるためといえる。これは、欧米先進国のスウェーデンやEUの若者政策や、これまでの国内の若者政策の研究者の提言からも明らかだ。
欧州議会のこちらの政策文書では、若者の参加が必要な理由を5つに端的に述べている。
若者参加が必要な5つの理由
1.基本的人権だから
2.子ども・若者が社会から排除されなくなるから
3.若者が生きる力や能力を高め、自信が持てるようになり価値観や規範意識を身につけ、抱負を抱くようになる
4.政策、公共サービス、実践の質が向上するから
5.積極的な市民になるためには、訓練が必要だから
A European framework for youth policy. Council of Europe, ,2002
それぞれの項目は、このように説明されています。
1.基本的な人権だから
子どもと若者に関わるあらゆることに、子ども若者が意見表明する権利があることは、欧州議会が勧告しているだけでなく、子どもの権利条約によって明記されている。とくに、国連総会決議の”A world fit for children (2002)” において社会的に排除されていて不利な状況にある子ども若者には、特別なケアの必要性が強調されている。
2.子ども・若者が政策の対象から排除されなくなるから
政策の意思決定過程において子ども・若者の意見が反映されなくなることは、あらゆる悪弊に繋がる。Garison Lansdown の研究によると、若者が大人(社会)に「挑戦」せず、意見表明できない状態は、結果的に若者の脆弱性を高めることになるとしている。例えば、経済的搾取、子どもの徴兵、児童売春などがその最悪の帰結だ。それゆえ子ども・若者は、大人の保身のための「御用若者」になるのではなく、自分自身の人生の主体となることが大事である。
3.若者が、生きる力や能力を高め、自信が持てるようになり、価値観や規範意識を身につけ、抱負を抱くようになる
意見を考え、疑問に答え、議論をする中で他者の意見を尊重していくような学びによって、子ども・若者は生きる力や能力を高め、自信を高め、価値観や規範意識を身につけ、抱負を抱くようになることは明らかだ。あるフィンランドの研究によると、学校で生徒が意思決定過程に参加することは、将来に仕事で必要となる他者と協働するスキルや、労働環境に必要なスキルの「基礎」を形作ると結論づけている。
4.政策、公共サービス、実践の質が向上するから
施設、活動、学校環境、公園、交通、余暇活動などの公共サービスや政策・実践の、計画・実行・評価の過程に子ども・若者を巻き込むと、それらの対象である利用者の満足度も高くなるとする例はあげるきりがない。彼・彼女らの暗黙知、感覚、アイディア、創造的な考え方は、子ども・若者にとっていい経験をもたらすだけでなく、これらの公共サービスの質の向上につながるのだ。
5.積極的な市民 (Active Citizen)になるためには、訓練が必要だから
家庭、学校、職場、余暇活動、子ども・若者の活動で、民主主義を教えることを怠ると、子ども・若者は政治に対してひがみっぽくなり、投票率は下がり、政治家や政党、若者団体への不信感が高まる。さらに、ある研究による 市民的な素養の教育経験がない若者は、同調圧力により極端な思考に陥り、暴力的な政治活動をしやすくなるという結果もある。
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これらの5つの項目に照らし合わせると、被選挙権年齢をを下げることはこれら全ての項目において意味を持つことがわかる。1では権利としての子ども・若者の参政権の保障の意味合いを持ち、2の子ども・若者の政策意思決定過程への参加という文脈は、「シルバーデモクラシー」や「世代間格差」の論点とも重なる。3と5は、教育的な意味合いが強く、日本では政治教育やシティズンシップ教育、模擬選挙などによって担保しようという流れがある。これによって5でいう「積極的な市民」を育て、自尊心が高まった若き市民である子ども・若者とともに政策形成をすることで、4の政策・サービスの質の向上につながるというわけだ。これが若者が社会参加する理由だ。
被選挙権年齢を引き下げると、いくつかの利点がある。まず若い世代の声が反映されやすくなる。若い政治家が増えると、若い政治家は若い世代の声を代弁する役割を担う(もちろんそれだけではない)ので、若者の声がより若者政策に反映されやすくなる。これまで、若者の声を若者政策に反映させるチャンネルは、子ども若者白書による実態調査、内閣府のユース特命委員の意見聴取と直接面談、子ども若者育成支援点検評価会議への参加などの、「間接的」な参加に限られてきた。ここに、若い政治家による「直接的」な政策形成の意思決定過程への参加が加わることになる影響力は大きい。年齢別の人口の割合が、年齢別の政治家の割合を反映していないことが長年指摘されてきたが、これを解消する先駆けとなるのだ。
(もちろん、これから生まれる未来の「若い政治家」には、若者世代だけでなく様々な層にいる人々の声を代弁する役割があるが、あえて若者世代の声を代弁することを強調しているのは、若い政治家にしかできない役割を忘れないで欲しいからである)
しかし、被選挙権年齢の引き下げによる若い政治家の輩出だけをゴールにしてはいけない。若者が社会参加する機会がこれで格段に増えるわけではないからだ。そもそも若者が社会参加する場所は、政治のみならず、学校、就労、余暇活動、家庭など多岐に渡る。また、市町村レベル、県レベル、国レベル、国際レベルと重層的であり、子ども若者はこれらの「空間」を流動的に移動する。そんな若者の声を反映させるには、若い政治家だけが声を届けるだけでは十分ではない。そういった前提を踏まえながら、改めて被選挙権年齢引き下げの次の一手は何か考えてみた。
1. 若者の声を代弁するノンフォーマルな若者の傘団体の活性化
世界の若者政策のシンクタンクであるYouth Policy Labによると、日本の若者政策で欠落しているのは、若者の中間組織だとされている。中間組織とは、傘組織(unbrella organization)とも呼ばれる小組織の集合体であり「加盟」して一員となることで互いに「共助」しあう仕組みだ。
こちらの記事でも紹介しているスウェーデンの全国の若者団体の声を集約し若者政策に反映させる中間組織「LSU」の仕組みは、多様な子ども・若者団体に参加してもらうことで、代表性を確保する試みである。スウェーデンでは、この仕組みが90年代に法制化されている。また、加盟団体には政党青年部は少ないので「政党色」を出さないように中立性を保つよう配慮もしている。この仕組みについては、自民党の若者の「政治参加検討チーム」に招いていただいた時の講演も参考にしてもらえたらと思う。
2. 政党青年部の活性化
とはいえ政党の力もさらにつける必要がある。そのためには若い時から政治に関わる若い党員を増やすことが重要だ。スウェーデンは、13歳から政党の青年部という子ども・若者が党員として参加できる部門が、それぞれの政党に位置付けられているが、これが若い政治家のキャリアの先駆けとなっている。実際に、30歳以下の若い政治家がこの国では約10%いるが、過去には18歳の国会議員も生まれている。これらの若者は、もちろんこのような政党青年部の活動で、みっちり鍛えられてきた若者たちが多い。政党青年部の活性化は、単なる「党勢の拡大」に留まらない、優秀な若い政治家の育成の機会にもなるということだ。民主的で堅強な政党青年部は、しばしば「本部」の主張とズレることもあるが、それもまた若い世代の声を代弁するという意味で不可欠なのだ。ただの広報機関としての青年部だとしたら若者から嫌われることになるのは想像がつくだろう。
3. 学校における政治教育
政治的中立性を守ることが日本では足枷となって、これまで学校で政治を教えることが忌避されてきた。しかし、最近では模擬選挙に始まり、様々なNPOや教員や研究者の取り組みによってこのハードルを乗り越えつつある。
以前、中立性を逸脱した教員を密告するフォームが出回ったことがあったが、そのような施策はさらに萎縮化を進めるだけである。しかし、一方で極端に偏った思想を教えることもフェアではない。そうしないためには、そもそも「価値中立」を守ることなどできるのか、どのような原則に沿って学校で政治を扱えばいいかという、根本的なロジックの整理が必要であるが、この点もまたスウェーデンの事例を参考にしてもらいたい。
4. 学校外での子ども若者の組織活動の支援、ユースワークの充実
上述したように、子ども・若者が参加する空間は多様だ。むしろ政治に携わる子ども・若者は、他の世代でも同じようにほんの一握りにすぎない。では、政治に興味がない子ども・若者が、欧州議会のいうところの「生きる力や能力を高め、自信が持てるようになり、価値観や規範意識を身につけ、抱負を抱く」ようになり、「積極的な市民 (Active citizen)になる」ためにはどうしたらいいのだろうか。
もちろん学校教育が果たす役割が大きいことはいうまでもない。しかし、しばし「銀行型教育」 ー学習者を金庫と例え、教師が一方的に知識を「預金」し、学習者は知識を受け入れるだけで、批判的な考えをしないというパウロフレイレの概念 ー と揶揄されることもある学校教育においては、子ども・若者の主体性や批判的思考が欠けることは長年指摘されてきたことだ。「義務」としての教育から自由になり、自分たちのサードプレイスとしての居場所やグループ(ユースワーク)もまた、他者との意思決定を通じて自信を高める機会になり、「積極的な市民」となりうる場なのである。欧州で、ノンフォーマル(学校以外)な場での社会参加の機会を保障することは、このような意味合いが強い。
日本でも最近では、各地で中高生が自由に放課後に活動できる場所や、その活動を支援する取り組みが注目されているが、そういう場における子ども・若者の活動を支援することが、学校や政治に興味がない層の子ども・若者の声を育み、響かせ、そして届ける機会となるのだ。これらの小集団が集まることでまた傘組織も形成されることとなる。また、子どもの貧困、ニートひきこもり支援などの社会的排除層にある子ども若者の受け皿を担っているのもこれらの取り組みであり、格差が広がる中でますます需要が高まっている。
「若者の政治離れの食い止め」「党勢の拡大」で終わらせず、若い民主主義を形成するために、被選挙権年齢の引き下げに留まらない、若者の社会参加の議論を加速していく必要がある。
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