10月15日に投開票されたオーストリア下院選で、セバスティアン・クルツ氏率いる中道右派・国民党が第一党となりました。過半数に達していないので自由党との連立交渉が現在進んでいますが、このまま進めば、クルツ氏は世界最年少31歳の国家主導者になります。
2016年オーストリア大統領選で自由党の候補が決選投票に残る一方、国民党の候補は決選投票にすら残りませんでした。そこから国民党を立て直したクルツ氏は「ブンダーブッチ(奇跡を呼ぶ男)」と称されています。
31歳という若さから、国民党を刷新し、何かをやってくれるという国民の期待は高まっています。また、そのイケメンぶりは政治とは関係ないメディアでも話題になり、「クルツ・フィーバー」とでも言うべき現象が起きています。
現在ヨーロッパでは、内戦状態に陥っている中東・アフリカ諸国から大量の難民が流入するという問題が起きています。ドイツが早くから難民の受け入れを表明したため、難民の多くはドイツを目指して中東・アフリカ諸国から大量に移動することとなります。その通過地点に位置するのがオーストリアで、数百万人超が立ち寄るとされています。
難民移動の中継地となったオーストリアでは、大量の難民流入への不安が高まり、従来の移民排除論と合わさる形で、反難民の機運が高まっていました。
当初、中道左派・社会民主党と国民党との「大連立」から成るファイマン政権は、ドイツのメルケル首相の難民受け入れを支持してきました。しかし、国民の高まる不満を背景として、即座に難民を通過させる措置をやめるなど、対応は混乱していました。そして、2016年2月には難民規制を強化する方向に梶を切ったのです。
クルツ氏は2013年外務大臣に若干27歳で就任して以降、国民党の中で反難民の急先鋒となりました。そして2014年にEUのヨーロッパ国民党の各国外務大臣リーダーに就任すると、今度はEUの中で難民制限を強く訴えるようになります。クルツ氏は、反難民を掲げながら党内改革を推進し、立場を固めていきました。
反難民の世論が高まる中行われた2016年大統領選挙では、与党社会民主党と国民党が擁立した候補が共に第一回の投票で自由党候補のホーファー氏に敗れるという波乱が起きました。それを機に、社会民主党と連立を組んでいた国民党の中で反難民の機運が決定的なものとなります。特に当時、外務大臣として欧州規模の難民制限を訴えていたクルツ氏は国民党の中で台頭することになります。ファイマン政権はこの結果を受けて辞任に追い込まれます。
2016年に国民党が大統領選で惨敗した後、党内で難民規制派が台頭し、国民党の刷新を求める声が高まった結果、2017年5月、クルツ氏は国民党代表に就任します。代表となったクルツ氏は、ケルン首相に解散総選挙を求め、その後社会民主党との連立を解消しました。党首クルツ氏は選挙期間中にオーストリアへの脅威として「政治イスラム」を挙げ、中東からの移民を激しく攻撃しました。
もともと既成政党と極右政党を隔てる論点であった「反難民」は、クルツ氏を通じて主要政党の大きな争点となり、現在オーストリアでは政党に関係なく、「反難民」を中心とする右傾化が進んでいます。
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