2009年に31歳で全国最年少の市長となり、政令市・千葉市のかじ取りを行っている熊谷俊人市長は現在2期目。民間企業出身の感覚を活かしつつも、急激ではなく、緩やかでも着実に一歩ずつ前へ進めていく改革に取り組んでいます。地方政治は国政よりもずっと面白い、と話す熊谷市長に、政治家を志したきっかけや普段の市政運営で心がけていることなどをおうかがいしました。
―民間企業のご出身ですが、29歳で千葉市の市議会議員になられたきっかけは何だったのでしょうか。
子どものころから歴史に興味があり、自分もいつか政治で社会を変えられるような人になりたいと思っていました。その想いを一層、強くしたのは高校生のとき、阪神淡路大震災で被災した経験からです。それまで政治といえば国政をイメージしていましたが、震災をきっかけに地方行政が果たす役割の大きさをまざまざと知ることになりました。
それから大学、民間企業への就職という道を進みましたが政治への想いはずっとあって、地方行政に関心を持てば持つほど、国会以上に人材が不足している気がしていました。会社でも政治についての話をよくしていたのですが、たまたま上司が民主党(当時)の国会議員と知り合いで「そんなに興味があるなら一度、事務所に行ってみよう」と誘われて。そこで、いま千葉市議会議員選挙の候補者を公募している、と教えられました。
以前から政令市の市政運営に興味があり、千葉市の状況についても意識して見る中で「自分にも何かできることがあるのではないか」という想いは持っていました。行政や政治に文句を言う人だけでは非生産的ですし、自分でアクションを起こさなければ何も始まりません。それで「千葉市の未来を明るくしたい」、「政治の風土を変えたい」と公募に挑戦したら合格し、市議会議員選挙でも当選を果たすことができました。
―サラリーマンを辞めて政治家になる、という選択に迷いはなかったのですか。
私は何でも終わりから逆算して人生を考えるタイプなので、「死ぬときに後悔しない生き方はどうすればできるか」という基軸でライフプランを立てています。市議会議員選挙に出たときは29歳、次の選挙は33歳になる計算でした。33歳になれば仕事ではそれなりの役割を持って辞めづらくなっているだろうし、結婚して家庭を持っている可能性もありました。人より政治に関心の高い自分が政治に挑戦しないまま人生を終えるのは後悔するでしょうから、選挙に出ることを決断するなら今しかないだろうと思いました。
―その後、市長になられたのは31歳で全国最年少での就任でしたが、何か戸惑われたことはありませんでしたか。
市長に就任直後に『脱・財政危機宣言』を出さなければいけなかったほど、市は厳しい財政状況にあえいでいました。改革を断行するにあたって、市民の皆様方にご無理やご負担をお願いしなければならないことも多々ありましたが、「千葉市はこのままではいけない」と多くの方々にご理解をいただけたのは大変心強かったです。少数与党でしたので議会運営は苦労もしましたが、議員の皆さんとは何度も話し合いの機会を持ち、目指す方向性について協議を進めました。色々な方々にサポートをしてもらいましたし、他の市長さんに比べれば恵まれた立場だったと感謝しています。
―情報発信を積極的に行われていますね。
当初からブログには、私の考えや千葉市の現状などについて丁寧にデータも含めて情報発信していました。ブログを通して市民はもちろん、市の職員とも意識を共有できたのは市政運営を進めるうえで大きなメリットでした。
その後、東日本大震災が起こった時には原発の問題や計画停電などもあり、危機的な状況の中で多くの人がtwitterでリアルタイムに発信される情報を頼りにしました。このときに私のフォロワー数も爆発的に増えましたので、その後は自分の考えや取り組みについてはtwitterからも広く伝えやすくなりました。
もちろんインターネットの情報に限らず、市政だよりの市長メッセージも毎回、丁寧に書いていますし、あらゆる方法での情報発信に力を入れています。一昔前に比べれば、はるかに千葉市の状況や課題について市民と問題意識の共有ができているのは間違いありません。
今はどこに行っても「twitter見ています」と言われますし、若い方々から声をかけられることも多くて時代は変わったなと思います。twitterで政治や行政について質問されれば返信もしますし、そのようなやりとりを通じて多くの人が政治に興味を持ってくれたら良いなと考えています。市長から返信が来ると驚かれるかもしれませんが、市民にとって身近な存在でありたいと願っています。
―積極的な情報発信は、千葉市の魅力を高めることにもつながっている気がします。
千葉市は素晴らしい街なのに、明らかに過小評価されています。市民にはもっと自分の街を誇りに感じてもらいたいですし、全国の皆さんにも真の魅力を知ってもらいたいです。千葉市は自然が多く残り、田舎的な暮らしを楽しみながら都市生活も謳歌できる最強の環境を持っています。東京のベッドタウンと思われがちですが、幕張新都心や京葉工業団地もありますし、実は市内勤務率がとても高い市なのです。そのため朝に海でサーフィンをしてから出社するなども夢ではありません。
関東で海と言えば、房総や湘南などをイメージされる方が多いでしょうが、千葉市には東京に最も近くて本格的なビーチがあります。高度経済成長期の埋め立てが行われる前、千葉市の海は多くの人々にとって憩いの場所であり、保養地や別荘地としてにぎわっていました。歴史を振り返っても、海が千葉市にとって大きな財産であることは明らかです。海は海水浴や潮干狩りなどレジャーを楽しむ場所と考えている人がほとんどですが、スーツ姿やハイヒールのままビーチに立ち寄って、海の雰囲気を楽しむライフスタイルを千葉市から発信したいと思っています。多くの日本人が抱いているビーチに対する価値観そのものを変えたいのです。
ビーチの魅力だけではなく、市民の皆さんには千葉市の地政学的な位置づけを理解しましょう、とよく話しています。例えば成田と羽田の間に位置している点を見れば、海外を志向する場所として最適でしょう。2015年からは幕張海浜公園でレッドブル・エアレースも実施していますが、これも千葉市の魅力をブレークスルーさせるための一つの仕掛けです。海、都市型リゾート、そしてグローバル。千葉市のポジショニングの強みを活かすなら、この3つがキーワードになると考えています。魅力を新たに創るのではなく、もともと千葉市にあるもので勝負をしていくべきなのです。私は千葉市の外から来た人間として千葉の強みを見せたいですし、見せられると信じています。
―千葉市はドローンによる宅配サービスの実証実験などで注目が集まっていますが、未来に向けてどのような改革を行っていますか。
20年、30年先にはどのような社会経済情勢が待っているのか、常に意識しなければいけないと思っています。未来を見越して今から考察していくべき課題も多いので、国家戦略特区の指定を受け、無人飛行機(ドローン)を使った宅配サービスの実証実験に取り組み始めました。
一方で市長に就任して1年目にやったことは「将来維持できない事業は今すぐ見直す」と言うことでした。どこの自治体でも5年後、絶対に維持できない制度や計画を持っています。5年後にやっぱり無理でした、と言うより、今すぐ見直して取りやめる方がよほどコンセンサスを得やすいわけです。もちろん反対もありますし、市民からおしかりを受けることもあります。でも怒られても、嫌われても、将来にわたって出来ないことは最初からきちんと伝え、未来に責任の取れる市政運営をしなければなりません。そうやって、20年、30年後のあるべき社会に向けて少しずつ動いていくことが大事なのではないでしょうか。
自分では「ひたひた改革」とも呼んでいるのですが、行政は進む方向を90度曲げるような急激な変化はできません。そのため私はゴールに向けて角度を1度ずつ変えていくような感覚を大事にしています。少しずつ、少しずつの変化なので分かりづらいかもしれませんが、明らかに分かるような改革だと反動や衝撃も大きく、結局は続かないことが多いのです。ですから反作用を極力作らずに、でもしっかり流れを作って変革を起こすのが私の仕事だと思っています。
―市長としてやりがいを感じるのはどのようなときですか。
市民のみなさんからは日々、さまざまな声をいただきますが、「まちづくりを考えるきっかけになった」とか、「政治が身近に感じられるようになった」など言ってもらえたときがうれしいです。いつか市長は退く存在ですから、普段から市民が行政や政治に参画する素地を作ることが一番大事だと思っています。例えば住民同士で家の前の道路や駅の駐輪場、水道など、生活に密着した部分での議論が盛り上がれば、段々と行政や政治の仕組みも見えてくるでしょう。色々なことが分かってくると、自然と県政や国政のことにも関心を持てるようになるはずです。
地域には地域の理屈があり、ケーススタディを数多くこなさなければ分からないことばかりです。現実にはさまざまな要素から一つを選択しないといけないのに、どれも正しい、というようなことが多々ありますから。そのため千葉市においては具体的なケーススタディの内容と選択肢、そして選んだ結果とプロセスを“見える化”して市民に示しています。そのことによって問題の本質をとらえ、地域の課題に向き合う経験値を持った市民が増えていけば日本全体が変わることだってあるでしょう。
―地方から国政を変えていく、というスタンスでしょうか。
目的を実現させるため、現実にいま何をすべきか、という視点を持った実務肌の政治家なり、政治土壌が求められています。100すべてが無理なら、そのうちの20でも実現させる議論をしよう、という流れがあって良いと思うのです。
いくら国政で大きなことを言っても、何も変えられなければゼロのままです。国政で100を目指して結局ゼロになるなら、5か10にしかならないことでも地方行政で確実に実行した方が、実は後々、全体が変わる方向に傾けていけるかもしれません。地方行政は国政に比べれば小さな、小さな動きですが、着実に実行、実現する政治を地方から発信していきたいと思っています。
―民間出身という立場から今の政治に対して思うことはありますか。
サラリーマンが一時的に政治家や公務員になる、もしくは公務員が民間企業で働く、など公務員と民間の間でもっと人材流動が活発になった方が良いでしょう。行政には民間の発想が必要ですし、逆に行政の知識を持っている人間が民間企業で活躍できる土壌もあるはずです。実際に千葉市では市内に本社のあるイオンと人材交流を進めていますが、それだけでも行政は劇的に変わります。特に農業や経済など、民間との混合部隊で組織した方が明らかに良い分野もあると思っています。
―ご自身の今後について夢や展望はありますか。
よく「いつ国政にチャレンジするの?」というような問いかけをいただきますが、私なら逆に、国会議員に「いつ市長になるの?」と聞きたいぐらい市長はやりがいのある仕事です。だから夢は、子どもたちから「市長になりたい」、「市長ってカッコいい」と言ってもらえるような存在になることです。国会議員のことは知らないけれど、市長だったら顔も名前も知っている、というようなぐらいに。
―どのような人に政治を目指してもらいたいですか。
政治家っぽくない人になってほしいですね。しっかり人と信頼関係を構築できて、現実的に社会を一歩でも前へ進めたいと願う人に政治の世界へ入ってほしいと思います。選挙や公務員について書いた著書を出したのも、従来の、どちらかと言えばイデオロギータイプの政治家ではなく、実務家的な政治家や若い政治家が地方行政にもっと増えてほしいと願ってのことです。
少しでも政治に関わり、社会を変える意思決定に参画した人は本などで記録を残す責任があると考えています。人類は何があっても、どんなときでも、ちゃんと前へ進まなければなりません。そのためにも失敗を含めた経験談を後世に伝え、意思決定の場面でどのようなことが起きていたのか、何を考えていたのか、きちんと記録していく義務があると思うのです。
私自身も選挙に出る前は過去の事例を参考にしましたが、研究材料は多ければ多いほど目標や真実に到達しやすくなるはずです。次世代の人たちが新しい社会を作るとき、参考となるような情報はこれからも発信していくつもりです。聞き手:吉岡名保恵
熊谷俊人(くまがい・としひと)
1978年生まれ、神戸市出身。2001年早稲田大学政治経済学部卒業、NTTコミュニケーションズ株式会社入社。2007年5月から2年間、千葉市議会議員を務め、2009年6月、千葉市長選挙に立候補し当選。当時全国最年少市長(31歳)、政令指定都市では歴代最年少市長となる。2013年5月、再選。現在2期目。
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