
高額な海外出張、毎週末の公用車での別荘通い……東京都の舛添要一知事の暴走が大問題となっています。いくらトップリーダーでもやりすぎだ!と批判の声が止まりません。
舛添知事は海外出張が多いという印象があります。都知事に就任したのは2014年2月11日ですが、初めての海外視察はそのわずか10日後の2014年2月21日。その後1年間に計6回も海外出張しています。
世間を騒がせたエボラ出血熱感染の疑いのある旅行者が羽田空港で見つかった際はベルリン・ロンドンへ海外出張に行くタイミングでした。その後もデング熱騒動、小笠原諸島近海への中国密漁船来襲事件など次々に問題が迫りましたが、舛添都知事は入れ違いで海外に行っていました。
東京で問題が!そんな時、なぜか海外で外交活動に真最中。そんな最悪なケースが起こらなければいいのですが…
突然の来客がこなくても、常に来客に備えるため、という理由でスイートルームに泊まっていることも、問題視されていますが、パリやロンドンを視察した2015年10月27日~11月2日で、
・出張費計約5,041万円
・航空費約 1,444万円
・宿泊費約 922万円(5泊)
ほどの出張費がかかっていることが明らかになりました。その内訳をみてみると飛行機は266万円のファーストクラス、泊まったホテルは最高級ランク、しかも部屋は1泊19万8千円のスイートルーム!しかも同行したスタッフは20人。せっかくスイートルームを用意したにも関わらず、宿泊した期間には要人との面談はなかったようです。
物議を醸している舛添知事ですが、その経歴を簡単に見てみましょう。
1948年生まれで現在は67歳です。福岡県北九州市に生まれ、高校卒業まで地元で過ごします。その後、大学進学を機に地元北九州市を離れます。東京大学法学部政治学科を卒業すると、そのまま東大法学部政治学科助手に採用されています。大学を卒業後、そのまま東大の助手として採用されるというのは、かなりのエリートです。当時から学者としての才覚を十分に発揮していたのでしょう。同時に、既存の慣習に対して独自の意見を主張するのも、この頃から変わっていないようです。助手時代には、海外への留学に際に大学と揉め、始末書を提出しています。
その後も東大で順調にキャリアを重ねていきますが、1989年には東京大学の体質を批判して退職、舛添政治経済研究所を設立し独立しています。昔から、型にはまらない姿勢を貫いていました。
政治家としてのデビューは1991年のことでした。北海道知事選挙への出馬を検討していましたが、断念。
第2戦は1999年の都知事選挙でした。石原慎太郎氏、現在自民党の衆議院議員を務めている鳩山邦夫氏に次ぐ3番手と、ここでも苦い経験をしました。
初当選したのは、2001年の参議院選挙でした。その後は当選回数が少ないにも関わらず、能力が買われ、政策審議会長や厚生労働大臣など、重役を務めます。しかし、2009年に民主党への政権交代が行われると、一転して自民党を批判。2010年には自民党を離党し、新党改革の代表になりました。そして2013年には、東京都知事選挙に出馬、現在のポジションとなります。
こう見ると、東大や自民党といった、古くからあるエリート的な団体に入り、その中で頭角を現すも、その後に批判して離れていく、というのが、舛添氏のスタンスのように思えます。それにしても、優秀な頭脳に恵まれ、経歴も華やかな上に、羨ましいくらい自由に生きてきていることが分かります。
プライベートな側面では、2度の離婚歴があり、最初の妻は留学時代出会ったフランスの方だそうです。2度目の妻は大蔵省官僚時代の片山さつき(当時:朝長さつき)氏と1986年に結婚。しかし結婚生活は長続きせず、調停を経て1989年に離婚しています。1996年6月に現在の妻である元秘書の女性と3度目の結婚、現在までに2児をもうけています。他にも、日本人女性2人との間に婚外子が3人おり、実子は計5人いると言われています。経歴だけではなく、プライベートな面でも、自由奔放に生きているようです。そもそも別荘を持っているという点から、普通の庶民とは大きく離れた生活をしていることが分かりますし、羨ましい限りです。
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