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選挙を旅する(鹿児島編)前編 特攻を知り平和を考える

2015/11/5

高橋 茂

高橋 茂

実際に現地に行って、空気を感じるシリーズ第2弾。第2弾というのは、実は第1弾が山形市長選挙編だったからだ(前編後編番外編)。この記事は多くの方に読んでいただけたようで「第2弾を書け」と編集部はせっついてくるが、なかなか興味深い選挙にスケジュールが合わない。そこで今回は、別件で業務のために訪れた鹿児島県で、「選挙を考える」旅をしてみた。

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10月20日朝、JAL643便で羽田を飛び立った私は、どうでも良い話だが飛行機が大嫌いだ。毎回怖くて仕方ない。10時に鹿児島空港についたときは、いつものように憔悴しきっていた。空港からはバスで鹿児島市街まで1時間弱。ホテルに着き、西日本出版の内山正之社長と書籍『黒島を忘れない』の著者、小林広司氏の妻で、広司氏が8割書いて死去したあと残りを書き上げた小林ちえみさんと待ち合わせして、3人で知覧特攻平和会館へ向かった。

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知覧特攻平和会館

「黒島を忘れない」

黒島を忘れない

黒島を忘れない

今回の旅の主な目的は、黒島のある三島村役場を表敬訪問し、大山辰夫村長に直接お会いすることであった。私は業務として自主制作本の制作・出版も行っていて、そこで昨年11月に特攻兵の真実を書いた「黒島を忘れない」を出版したわけだが、まだ黒島に行ったことは無かった。今回、黒島には船のタイミングの関係で行かれなかったが、村長が20日の夕方、役場に来られるということで、そこに合わせて鹿児島行きを決めたのだった。

特攻兵の話は、日本にとっては隠したい過去に入るようで、公にされていないことも多い。大東亜戦争末期に特別攻撃(特攻)作戦がとられたことはよく知られているが、本土を飛び立った戦闘機が整備不良や燃料不足で何機も墜落し、死体が黒島に流れ着いたことはあまり知られていなかった。その中でも、瀕死の重傷ながら生きていた特攻兵を、黒島の人たちは懸命に看病した。中には治療中に終戦を迎えた兵士もいたが、元気を取り戻し、命がけで本土に戻って、再度特攻に向かった兵士もいた。「黒島を忘れない」は、そのドキュメンタリーである。

フジテレビのドキュメンタリーを制作していた小林広司氏は、「これは日本として残さなければならない事実だ」と、書籍化を決心し執筆を始める。しかし8割方書いたところで病魔に侵されて命を落としてしまう。原稿は、妻のちえみさんのところに残されたが、その原稿をなんとか書籍化まで漕ぎ着けたいという人々の思いが徐々に盛り上がってきた。しかし、昨今の出版不況で、なかなか書籍は企画にならない。

そこで、私はクラウドファンディングで初版費用を調達することを提案し、立ち上げた。その結果、多くの人の協力で初版費用が集まったので、自費出版にこぎつけられたわけだ。現在、「黒島を忘れない」は「愛蔵限定版」としてAmazon世論社サイトのみで販売されている。そして11月中には西日本出版社から「普及版」が発売される。来年公開予定の映画化も決まった。

夕方の市長との対談まで時間があったので、3人で知覧特攻平和会館に向かった。知覧は鹿児島市内から車で1時間近くかかる。知覧では平和会館には入らずに挨拶だけして鹿児島市内にもどった。そして三島村役場を訪問し、マリックスライン株式会社の岩男直哉社長に懇親会を開いていただき、初日は終了した。

鹿児島といえば、きびなごと焼酎、そして甘い醤油を思い浮かべる方も多いだろう。鹿児島初日の夜は、まさにきびなごにちょこんと生姜を乗せ、甘めの醤油にちょっとだけつけて焼酎で流し込むといった『ザ・鹿児島』を堪能した。

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きびなご

知覧特攻平和会館と富屋食堂

翌日午後、私はひとりで再度知覧特攻平和会館に向かった。知覧に来たのはこの旅が初めてだ。知覧飛行場は、大東亜戦争末期に陸軍の特攻機が出撃していった場所として知られ、現在は特攻兵の遺書や遺品、写真などを展示している平和館などがある。館内は撮影禁止だったので、残念ながら写真を撮ることはできなかったが、そこには「戦争の真実」があった。お国のため、大切な家族を守るために「敵を倒す」。自らが砲弾となり敵艦に突っ込んでいく。

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陸軍の主力戦闘機「隼」映画のために復元製作された

頭では理解できても、特攻機に乗るのはほとんどがまだ10代後半から20代の青年だ。特攻兵には「お守り」はいらない。もう何時間後かには確実に死ぬからだ。だから彼らは、地元の女学生や恋人が作ってくれた「人形のブローチ」を胸につけて「お前も一緒に行ってくれるな」と人形に語りかけて戦闘機に乗り込んだ。中には胸には着けず、実家に「お母さま、これを私だと思ってください」という遺書とともに送った兵士もいたという。

館内では、特攻兵の写真と遺書がずらりと並べられていた。私が遺書を読んでいると、左隣りに来た90過ぎと思われる老婆が、車いすに座って遺書や写真を見ながら、付き添いの女性(60代以上と思われる)に当時の話をしていた。しかし、話をしていくうちに当時の記憶がリアルに蘇ってきたのか、だんだんと涙声になってきて、頬を伝う涙を拭いながら語っていた。右隣りには女子高生のグループだろうか。5人ほどが来て最初は静かに遺書を読んでいたが、そのうち一人の女の子が涙でむせ始め、止まらなくなってしまったので、別の子たちが必死になだめていた。

敵機から見えにくくした「三角兵舎」で寝泊まりしていた特攻兵に「明日、出撃せよ」との命が下る。早い場合は「5時間後」とかもあったそうだ。「国を護る」ために志願した特攻隊ではあったが、そこはまだ10代、20代の若者。いくら覚悟はできていても、夜になるとすすり泣く声も聞こえたという。家族を残し、恋人を残し、これからという世代が先に死にに行く気持ちはいかばかりであったか。

三角兵舎の中

三角兵舎の中

特攻のようなものは、そのときの状況を鑑みれば仕方なかった。今後は起こりえない作戦だ・・・はたしてそうだろうか。たとえば、南シナ海の領有権を争って戦争が始まった場合、アメリカが参戦すれば日本も戦わざるをえない。中国が日本を直接狙ってきたら本土が戦場となることもあるだろう。安保法制が議論されていたとき、ネット上では「素人は使えないから徴兵されることはあり得ない」と意見を述べていた人もいたが、普通の国民はいつもの生活をしながら、戦争兵器だけがドンパチやって簡単に戦争は終わるのか。先の大戦と同じことは無いとしても、戦争は国同士の殺し合いなのだから、一部の人は儲かるとしても、国全体で見れば経済的打撃は大きく、文化的損失、そして教育、医療、福祉そして公共事業までも「日本国が戦争に勝つこと」が優先され、国民の生活が犠牲になっていくのだろう。それはおそらく、いつの時代も変わらないのだ。英霊たちに、以下の日本はどう写っているのだろうか。

そんな重い気持ちで次に向かったのは、平和会館から車で5分ほどのところにある「ホタル館 富屋食堂」だ。富屋食堂とは、「特攻の母」と言われた鳥濱トメさんが経営していた食堂で、現在は展示館となっている。「息づまるような状況下で、軍の指定食堂「富屋食堂」を経営する鳥浜トメは、娘たちとともに、出撃する特攻隊員をあたたかく迎え。そして送り出した。晩年はまさに命をかけた参拝の日々が続いた」と公式サイトにある。

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富屋食堂

富屋食堂にはいくつものエピソードが展示されているが、入り口はいってすぐ左にあるのが黒島と特攻兵との話だった。これには驚くと同時に立ちすくんでしまった。他にも、映画『ホタル』の元となったエピソードや、戦争秘話として語り継がれている『アリラン』などのエピソードが掲示されている。

すでに、これをお読みの多くの方が行かれていると思うが、これから行かれる方は知覧特攻平和会館と富屋食堂の両方とも訪れていただきたい。鹿児島市内から往復で約2時間。ゆっくり見るには半日かけたほうが良さそうだ。

すっかり気持ちは重くなったが、昼食を摂っていないことに気が付き、途中の蕎麦屋で軽く腹を満たしてから、今夜の宿泊地である霧島に向かった。

車内から見た桜島

車内から見た桜島

(後編に続く)

 

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高橋 茂

高橋 茂

2000年、電子楽器のエンジニアから政治とインターネットの世界へ。政治家のネット活用をサポートするVoiceJapan社を経営する傍ら、講演、執筆も行う。武蔵大学非常勤講師。選挙ドットコム顧問

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