9月15日の中央公聴会の映像を見た。慣れたスーツ姿の中年男性が並ぶ中、一人だけ浮いたように若者がいた。SEALDsの奥田愛基さんだった。
今回は、彼のスピーチについて、私が感じたことを書こうと思う。書かねばならないと思ったから、書く。
私のこの文章を読む前に、ぜひ、彼の言葉に一度目を通してほしい。
「私は、私たち一人ひとりが思考し、何が正しいのかを判断し、声を上げることは、間違っていないと確信しています。また、それこそが民主主義だと考えています」
率直に言って胸に詰まった。素直な共感を覚えた。
私は知っているからだ。デモに出ていた人たちが、多くの人々の支持の裏で、いかに凄まじい中傷を受けてきたか。私のような無所属・単独参加の人間ですら、不快な言葉でなじられた経験がある。何度も主催団体として先頭に立ってきたSEALDsは、尚更酷いことを言われてきただろう。そしてその中心になってやってきた奥田さんは、その矛先を一番多く向けられてきたに違いない。
「デモは野蛮で無意味だ」「学生ごときがこんなことをして何になるんだ」と、言われてきた人間には、必ず不安に思う時がある。「自分がデモに立って何が変わるのか」。デモが社会に何をもたらすのか、その意味について懐疑的な人は、政治的傾向を問わず一定数いる。そういう人の言葉を耳にして、不意に恐ろしくなった経験は、私にもある。
それでも立つのだ。奥田さんの言葉の通り。これが正しいと信じて、これが民主主義だと確信して、私たちはあの場所に集まっていたのだ。立ち上がる私たちの意志が国会前の群衆として可視化され、それを見た誰かがまた、今起こっていることについて考え始める。そうやって続いていく。
政治についての話題を避ける風潮はいまだ根強い。友達と安保の話をすることなんて、これだけのことが起きていてもほとんどない。おかしいと思う。考えていいはずなのだ。私たちは、考え、選び、声を上げるべきなのだ。
「最後に、私からのお願いです。SEALDsの一員ではなく、個人としての、一人の人間としてのお願いです。どうか、どうか政治家の先生たちも、個人でいて下さい。政治家である前に、派閥に属する前に、グループに属する前に、たった一人の『個』であって下さい。自分の信じる正しさに向かい、勇気を持って孤独に思考し、判断し、行動して下さい。」
聞きながら、じわじわと鳥肌が立った。
前述の引用部分からも分かる通り、奥田さんは「個人」を強く意識している。思考の最も小さく最も普遍的な単位は個人だ。そして、最も信じるべき思考の単位も、個人である。持っている肩書きを全部脱げば、そこにいるのはただの個人で、考えるということは本来孤独であるべきだと私は思う。奥田さんが希望を託したのも、その部分なのだった。
この連載の第一回で、私は「自分」について考える必要性を語った。自分の意志について考えなければ、「自分」はなくなってしまう。私は今まで、そのポリシーを一般市民のものとしか考えてこなかった。でも、政治家だって、政治家以前に個人なのだ。その通りだった。私は与党中枢の政治家たちに絶望しているので、彼らに対し孤独に思考して集団から立ち上がれと望むことはしない。しかし、奥田さんは、政治家の「個」を促した。これはきっと、奥田さんの懐が深いとか、そういう問題ではない、と私は思う。信じられない政治家の「個」を信じるしかないという、そういう状況まで来ているということなのだろう。自体は本当に切羽詰まっている。
「私たちは学び、働き、食べて、寝て、そしてまた路上で声を上げます。出来る範囲で、出来ることを、日常の中で。」
拍手したくなる。その通りだと思う。この国に生きているから、これは日常なのだ。一瞬で流れる非日常ではない。私は、自分の、家族の、故郷の尊厳を守るために、出来る範囲で抵抗をする。
今私は参院特別委員会の開催を待ちながら原稿を書いている。時計は9月17日午前0時20分を指す。選挙権も持たないただの若者が、深夜にテレビの速報を待っている。これも日常だ。私は、私たちは、この国の民主主義の行方を見届ける。
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