さとう しゅういち ブログ
皇室典範改正案、壬申の乱や南北朝招きかねない
2026/7/10
飛鳥の世界文化遺産登録が進み、高松塚古墳の被葬者が
ヤマト王朝に滅ぼされた九州王朝の高市大王だった可能性まで語られる時代になった。
そんな歴史の重層性を前にして、皇室典範改正案は「養子を突っ込む」という拙速な制度変更。
それなら極論、藤原不比等に滅ぼされた九州王朝の子孫を復活させろという話にすらなりかねない。
そして制度の正統性が揺らげば、歴史は何度も“天皇乱立”の混乱を起こしてきた。壬申の乱(672年)
大友皇子系と大海人皇子系が同時に「正統」を主張し、国家が二分。
兵力動員・地方豪族の離反・行政停止など、国家機能がほぼ麻痺した。
南北朝の分裂(1336〜1392年)
後醍醐天皇の系統(南朝)と足利方が擁立した光明天皇(北朝)が並立。
60年近く「二人の天皇」が存在し、詔勅の正統性すら二重化。
武家・公家・寺社勢力がそれぞれ“どちらの天皇を支持するか”で割れ、
国家の統合は完全に崩れた。
平安末期の“院・天皇・皇太子”三重権力
白河院・鳥羽院・崇徳・近衛・後白河が同時に権威を主張し、
これが後の保元・平治の乱の火種となった。歴史が示すのは、
「天皇の正統性が揺らぐと、必ず複数の“天皇”が名乗り出て国家が割れる」
という冷酷なパターンだ。
養子導入を一日審議で決めるような制度改正は、
この“乱立の歴史”を軽視しすぎている。
象徴天皇制は「国民の総意」に基づく。
その根幹をいじるなら、拙速ではなく熟議が必要だ。日本国憲法第一条
「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、
この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」
さとう しゅういち
サトウ シュウイチ/50歳/男