2026/4/19
広島は、かつて戦争を指揮した都市だった。 1894年、日清戦争の開戦に際して広島城内に大本営が置かれ、明治天皇と伊藤博文総理が滞在した。帝国議会も広島に移り、広島は臨時首都となった。 翌1895年1月、最初の講和交渉は広島県庁で行われ、宇品から陸軍が、呉から海軍が出撃した。 広島は「戦争を動かす都市」として、国家の中枢を担ったのである。
その記憶は、いまやほとんど語られない。 広島城の木造復元構想があるが、経済事情から実現は遠い。 姫路城や松山城のような観光資産としての価値を求めるよりも、 広島が戦争を指揮した都市であったという歴史を、平和の構造として再構成する方がはるかに意義がある。
広島城を再建することは、過去の形を取り戻すことにすぎない。 しかし、広島が再び歴史を語るなら、形ではなく構造を語るべきだ。 大本営跡、県庁交渉地、宇品・呉の戦争動線──それらを「戦争の都市構造」として展示化し、 広島が「戦争を指揮した都市」から「平和を指揮する都市」へ転換した過程を可視化する。 それこそが、広島の歴史的責任であり、未来への投資である。
城を建てるより、記憶を建てよ。 木造の城よりも、戦争と平和の構造を市民が理解できる空間を。 広島が再び世界に語るべきは、石垣ではなく理性である。 戦争を指揮した都市が、いま平和を指揮する都市として立ち上がる。 それが、広島の本当の復元である。
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ホーム>政党・政治家>さとう しゅういち (サトウ シュウイチ)>広島城を建てるより、記憶を建てよ──日清戦争と都市の責任