2026/8/24
【「シベリア抑留」だけではなかった――モンゴル抑留の記憶を、北海道・白石からたどる】
本日8月24日の「広田まゆみのすっきりマンデー」には、先月に続き、ジャーナリストの井手裕彦さんをゲストにお迎えしました。
井手さんは、独自の調査をもとに「モンゴル抑留死亡者名簿」のウェブサイトを立ち上げ、死亡記録をご遺族に届ける活動を続けていらっしゃいます。
先日には、『モンゴル抑留――悲劇はシベリアだけではなかった』も出版されました。
終戦後、旧満州などでソ連軍に抑留された日本人の中には、シベリアだけでなく、モンゴルへ送られた人々もいました。
厳しい寒さ、食料不足、重労働、病気――。
「シベリア抑留」という言葉は広く知られていますが、モンゴルでの抑留については、今なお十分に知られているとは言えません。
今回のご出演を前に、井手さんが公開されている「モンゴル抑留死亡者名簿」をもとに、北海道に関係する方々について調べてみました。
名簿の北海道区分には60人が掲載されています。樺太分を含めると62人です。
私は、旧地名を現在の市町村名に置き換えながら、一人ひとりの氏名、本籍地・留守宅住所、所属、死亡年月日、死亡場所、収容所、埋葬地などを整理し、北海道版の名簿を自分の資料として作成しました。
その作業を通じて、「北海道の60人」という数字が、少しずつ具体的な地域の歴史として見えてきました。
札幌、旭川、小樽、函館、美瑛、名寄、愛別、深川、富良野……。
そして、私の地元である白石にも、モンゴルで亡くなられた方が少なくとも2人いらっしゃることが確認できました。
◆澤井二郎さん
札幌市白石町中央40
独立歩兵隊第574大隊伍長
1946年9月22日、モンゴル北部のイロ製材工場で死亡
◆高橋保次さん
札幌郡白石村上白石1区129
第6特別警備隊少尉
1946年12月2日、ウランバートル・アムラルト病院で死亡
名簿に残された住所を見ると、「遠い国で起きた戦争の歴史」が、突然、いま自分たちが暮らしている地域の歴史として身近に感じられます。
奇しくも、急きょエフエムしろいしのスタジオを移転することになり、その最初の放送が井手さんの回となりました。さらに、澤井さんの住所が白石中央だったことにも、不思議なご縁を感じました。
先ほどご紹介した白石のお二人は軍人ですが、モンゴル抑留の特徴の一つは、民間人が多かったことです。これは明らかなソ連の国際法違反であり、日本政府からの補償もありませんでした。多くのご遺族が、困窮の中で生きてこられたのだと思います。
番組では井手さんに、モンゴルと日本の知られざる歴史について、調査を始めたきっかけや、資料を集めながら亡くなった方々の名前をたどってきた経緯、そして記録を残すことの意味についてお話を伺いました。
また、死亡記録を届けた後のエピソードについても、貴重なお話を聞かせていただきました。後ほどYouTubeにアーカイブを公開しますので、ぜひご覧ください。登録も是非!
https://youtube.com/@hiromaruhokkaido?si=p0iBZLAbILp4n8lP
私からは、白石に関係するお二人についてもご紹介し、ご本人やご家族をご存じの方、当時のことをご存じの方がいらっしゃれば、ぜひ情報をお寄せいただきたいとお願いしました。
戦後81年。
年月が経つほど、直接お話を伺う機会は少なくなります。
だからこそ、残された名前や住所、記録を手がかりに、一人ひとりの人生を地域の記憶につなぎ直していくことが大切なのだと思います。
戦争を大きな歴史だけで語るのではなく、
「このまちから行った人がいた」
「帰ることのできなかった人がいた」
というところから、私自身も学び直していきたいと思います。
井手裕彦さん、貴重なお話をありがとうございました。
そして、白石にお住まいの皆さんをはじめ、澤井二郎さん、高橋保次さんについて何かご存じの方がいらっしゃいましたら、どんな小さな手がかりでも構いません。ぜひ情報をお寄せください。
記憶を、次の世代へつないでいくために。

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