2024/2/20
6年前の今日、豊島区議会本会議で手話で質問を行いました。手話に関する質問の部分だけだけですが。
6年前は豊島区議会の本会議に(録画にも)手話通訳が付いていなかった。
私が手話推進に取り組むきっかけは、東日本大震での事情に触れ災害弱者の問題に取り組み、障害のある方とそのご家族と勉強会をしたり障がい者団体の勉強会に参加し、障害による情報取得の格差が命の分かれ目になってはいけないと障がい者の情報取得問題に取り組んだこと。
そして、豊島区聴覚障害者協会の勉強会に参加した時、近年までろう学校で手話が禁止されて、口話(発語をし、唇を読み取って会話すること)を強制さていたことを知り、手話を言語として尊重することの大切さを学んだ。
それ以来、手話推進に取り組み、とりわけ行政からのお知らせや政治、災害情報などに手話による情報提供に動いた。
国際的にも手話は言語と位置付けられており、当事者団体が国に「(仮)手話言語法」の制定を求めているにもかかわらず、国が動かないので、全国の超党派の議員に呼びかけて「手話推進議員連盟」を設立し、各自治体での手話言語条例制定を進めた。
手話推進議員連盟の初会合は、文京区の手話カフェ「sign with me」。
活動のキックオフとして、聞こえない人を実行委員に、手話ダンスパフォーマンスユニット「HANDSIGN」のコンサートを開催したり、各自治体に波及させる活動等が評価され、日本最大の政策コンテストマニフェスト大賞の議会部門優秀賞を受賞した。
東京オリンピック・パラリンピックでの放映に手話通訳が付けるよう、NHKやJCOに内容証明打ったり、東京都知事や総務大臣や各政党の代表にも要望書を届けたり、関係各所に働きかけ、オリンピックの開会式放送になかった手話が閉会式にはついて、大きな話題になった。
東京デフリンピックの招致にも動いた。
私の最初の手話質問は、豊島区議会の旧庁舎の時。
取り壊す前の最後の旧庁舎での本会議場での登壇者となり、手話推進に関する質問の部分を手話で行った。
当事者の最大の団体である全日本ろうあ連盟方々や、手話推進を支援する日本財団の笹川会長、中国のろう者で作る手話パフォーマー集団、手話推進先進自治体だった明石市の前泉房穂市長等、この政策を進めるためのキーマンにもどんどん会いに行った。
コレ!と突き動かさせるものがあると、政策実現のために地域も立場も超えて動いたある意味ぶっ壊れていた私。
紆余曲折段階を経て、今、国政の場で力を尽くしていこうと動き始めていますが、政治の力で、誰かの困ったを解決に繋げよう、人を幸せにしようという根っこの部分、自分らしさは変わらず、これまでと違った立場、手法でどうやって活動していくのが良いか、ちょっと手探り試行錯誤の現状でもあります。
自分の使命がここにあると思う限り、政治の場で力を尽くしていきます。
と、過去の投稿を見て、自分に言い聞かせている投稿となってしまいました。(^^;
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