2021/11/21
【松原仁衆議院議員選挙報告会】
昨晩は、東京4区(品川区、大田区北部、島嶼部)の小選挙区で当選された松原仁衆議院議員の選挙報告会に参加してまいりました。
日頃「立憲民主なんでダメだ!」と叫んでいながらおかしい、とのお叱りを承知での参加です。
実は、松原仁さんとは深い因縁があるのです。遡ること36年前、昭和60年の東京都議会議員選挙の時に、地元のパナショップ(松下電器専売店)の社長から紹介されたのが松原仁候補でした。
松下政経塾を卒塾されたばかりの無所属候補には、ほとんど関心はありませんでした。それから数年後、大田区自衛隊協力団体の忘年会があり、遅参した私は、唯一空いていた席に着席すると、隣席が松原仁さんでした。
彼は落選後、東京商工会議所大田支部の羽田空港関連の勉強会の事務局に勤務していました。臨席ですから、酒を酌み交わしながら話込み、同じ年齢とわかり、その後の選挙は応援をするようになりました。
そして、平成元年の都議会議員選挙で初当選され2期務められました。平成5年、2期目当選の直後に小沢一郎さんが作った新生党に参画。地元大田区で新生党大田支部設立パーテイーを開催されました。
そこに招待され小沢一郎さんを紹介されてから、私の人生に松原仁さんが強烈に関わって来る事になります。
『犬伏さん、新生党第一期の区議会議員として立候補してください。』
その日以降、彼の執拗とも言える勧誘がありました。私は当時売上20億円、店舗6店を擁する旅行会社を経営していましたので再三お断りしましたが、結局、彼の熱意に負け立候補を決断し、見事落選をしてしまいました。
その後、松原仁さんは民主党に移り、私は小沢さんの自由党に残り、平成11年区議に初当選したのです。したがって、いまの立場や様々な政治的経験が出来たのは、正に、松原仁さんの隣席に座った結果なのです。
以上の経緯から、松原仁さんは私の「職親」と言うべき存在なのです。
昨晩の選挙報告会会場、大井町の区営施設のイベントホールには400名を超える人々が集い、立ち見が出る盛況ぶりでした。
印象的だったのは、壇上のご本人のポスターに挟まれて拉致被害者奪還のポスターが貼られ、受付では「救う会」の啓発バッチであるブルーリボンを頒布されていたことです。
また、元拉致被害者家族会事務局長の増元照明さんも参加されていました。立憲民主党と拉致、いささか違和感がありますが、「左翼政党、なんでも反対政党、立憲共産党」にあって、党の左傾化を防ぐ保守の橋頭堡として頑張って欲しいと思います。
庶民派、松原仁代議士❗️おめでとうございます❣️




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