2026/3/20

1986年、同時デビュー
宮原学と久保田利伸「運命を分けた革新性」
【実録・完結編】宮原学と久保田利伸。1986年、運命を分けた「革新性」の正体
1986年。
同じ月にデビューした二人の新人がいた。
一人は、後に日本の音楽史を書き換えることになる男。
もう一人は、私が現場で「次のロックスター」だと信じていた男だ。
■ 同じ年の、同じ月にデビューした二人
1986年6月。二人が同時にメジャーデビューを果たした。
一人は、私が『MVツアー』で心血を注いだ宮原学。
もう一人は、後にJ-POPの歴史を塗り替えることになる久保田利伸である。
MVツアーの現場にいた私の実感として、当時の期待値や「スターとしての華」だけで言えば、宮原は久保田と同等、あるいはそれ以上の輝きを放っていた。
端正なルックスに、鋭いギターテクニック。
彼はまさに、私たちが夢を託した「次世代のロックスター」そのものだった。
当時、二人が互いをどう見ていたのかは分からない。
しかし現場の空気としては、同じ年にデビューした二人を「次の時代の担い手」として並べて見る視線が、確かにあったように思う。
■ 「It's BAD」という早すぎた才能
しかし、久保田利伸には決定的な「武器」がすでに備わっていた。
彼は自身のデビューより半年以上前、1985年の時点で田原俊彦に『It's BAD』という楽曲を提供している。
当時のアイドル歌謡の枠をぶち壊すような、本格的なラップとファンク。
「こんなカッコいい曲を書くやつは誰だ?」
業界中がざわついたあの瞬間、久保田はすでに「作曲家」として、自分のスタイル――R&Bという武器を完成させていた。
対して、私とF氏が300分の放送枠をこじ開けて勝負をかけた宮原学は、まだ何色にも染まっていない、最高に熱い「原石」だった。
■ 「王道」と「革新」の境界線
今振り返って、一体何が彼らの運命を分けたのか。
それは音楽における
「圧倒的な革新性」
があったかどうか、ではないかと思う。
久保田には、それまでの日本の音楽シーンを根底から塗り替える「和製R&B」という、誰も見たことのない武器があった。
彼は時代を「なぞる」のではなく、自らのリズムで時代そのものを「作り変えて」しまった。
対して宮原は、極めて質の高い、しかしあくまで「王道ロック」の中にいた。
そのわずかな「新しさの純度」の差が、時代を突き抜けるかどうかの境界線になったのではないか。
今になって、私はそんなふうに思う。
■ あの夜の「光」は消えない
最近、宮原学の不祥事をニュースで目にした。
そんな姿を見るのは、言葉にできないほど残念だ。
スターの運命は残酷である。
時代の寵児となり頂点へ駆け上がる者もいれば、波に飲まれていく者もいる。
しかし、あの日。
伏見ハートランドで300人の若者を熱狂させた、あの光景だけは、誰にも奪えない真実だ。
■ 結び:仕掛け人として
メディアの仕事とは、誰かの運命を大きく変えてしまう、恐ろしいほどの影響力を持つ仕事である。
だからこそ、私たちはその「熱」に責任を持たなければならない。
あの1986年の夏。
私は、確かにその「時代が動く瞬間」のすぐそばに立っていた。
(当時の記憶と現場感覚をもとに書いています)
□邦楽ミュージックビデオを約300分流した夏休みの話 MVツアー
【実録】僕がテレビマンだった頃
https://go2senkyo.com/seijika/197896/posts/1325457
□テレビ業界に関わったきっかけ【実録】僕がテレビマンだった頃
https://go2senkyo.com/seijika/197896/posts/1305759
□僕が北名古屋に「ロケ」を呼びたい本当の理由【実録】僕がテレビマンだった頃
https://go2senkyo.com/seijika/197896/posts/1312412
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【実録】僕がテレビマンだった頃|全話まとめ - 村上さんせい(ムラカミサンセイ) | 選挙ドットコム
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ムラカミ サンセイ/68歳/男
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