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小沢 タケル ブログ

町田はなぜ東京都? 130年前まで町田は神奈川県でした

2026/4/30

町田市議会議員 自民党 小沢タケルです。

町田市議会議員自民党 小沢タケル

私は、町田のことを学び続ける議員でありたいと思っています。 現場に足を運び、市民の声を聴く ── これは議員にとって絶対に欠かせない仕事です。けれど私は、それと同じくらい大切なことがあると思っています。自分が代表する町を、骨の髄まで知ること です。今日はその姿勢の一例として、町田の歴史にまつわる素朴な疑問を、一次資料にあたってじっくり調べてみました。

「町田って、神奈川じゃないの?」── 町田で生まれ育った私も、市外の方からこう聞かれることが本当に多いんです。地図を開いてみると、町田市は神奈川県側に半島のようにせり出していて、川崎・横浜・相模原という政令指定都市3つすべてに隣接する、日本でただひとつの自治体 です。これだけ神奈川と密着していれば、勘違いされるのも無理はありません。

実は、町田が「東京」になったのは わずか130年あまり前 のこと。それまで町田は、れっきとした 神奈川県南多摩郡 でした。

先日、日本経済新聞「東京ふしぎ探検隊」で、まさにこのテーマを扱った動画が公開されていました。動画タイトルは 「町田はなぜ東京都? かつては神奈川県、背後に政治闘争」。気になって一次資料にあたって調べ直してみると、町田の歴史は単なる豆知識ではなく、今の町田市政の課題と、これからの政策のヒント がぎっしり詰まった物語でした。

率直に、わかりやすく、お伝えします。


1. 結論 ── 町田が東京都になったのは1893年(明治26年)4月1日

まず結論から。町田を含む三多摩(西多摩・北多摩・南多摩)が神奈川県から東京府へ移管されたのは、1893年(明治26年)4月1日 です。

国立公文書館の資料によれば、明治26年に「東京府及神奈川県境域変更ニ関スル法律案」が帝国議会に提出され、可決成立。同年4月1日に編入が実現しました(国立公文書館「変貌」)。

もっと驚くのは、そのスピード感です。法案提出が2月18日、衆議院可決が10日後の2月28日、施行が4月1日。今の感覚では考えられない、わずかひと月あまりの“電撃移管”でした(多摩めぐり)。

つまり、もしこの法案がなければ、いま私が議員を務めているのは「神奈川県町田市議会」だったかもしれない、ということです。

🖼️ 画像配置推奨:明治26年三多摩編入当時の地図 alt属性:「1893年 三多摩が東京府に編入された当時の行政区画地図」


2. 町田が「神奈川県」だった時代(1871〜1893)

そもそも、なぜ町田は最初に神奈川県だったのか。

明治4年(1871年)の廃藩置県で、本来、多摩郡は東京府と入間県に分割される予定でした。ところが当時の 神奈川県知事・陸奥宗光(後の外務大臣)が、「多摩は 横浜の外国人遊歩区域 に含まれる」と上申。外国人居留地の安全管理という理屈で、多摩郡は神奈川県に一本化されたのです。

その後、明治22年(1889年)に 甲武鉄道(現在のJR中央線) が新宿〜八王子間で開通。東京と多摩の結びつきが鉄道で一気に強まります。これが、4年後の移管の地ならしになりました。鉄道がインフラを変え、インフラが行政区画を変える ── この力学は、令和の今も変わりません。

📅 確定タイムライン(保存版)

出来事
1868年 江戸→東京府発足
1871年 廃藩置県 → 多摩郡が神奈川県に統合(陸奥宗光の上申)
1878年 郡区町村編制法 → 多摩4分割(北・西・南多摩は神奈川)
1889年 甲武鉄道(現・JR中央線)開通
1892年 第2回衆議院総選挙で激しい選挙干渉
1893年4月1日 三多摩東京府編入(町田が東京になった日)
1943年 東京都制施行 → 東京府が東京都へ

3. 表向きの理由 ── 玉川上水という「東京の水」

国立国会図書館のレファレンス回答には、移管の公式な理由がこう記されています。

明治26年4月1日、東京府の水道である玉川上水の水源確保、水質管理が行えるよう、三多摩地域(西多摩・北多摩・南多摩)は神奈川県から東京府へ移管された。 (国立国会図書館レファレンス協同データベース

要するに、東京の飲み水を握る水源地が他県にある という、当時の東京府にとっての安全保障課題があったわけです。「水を握る者が、都市を握る」というのは、明治も令和も変わらない真理です。

ただし、ここで注目すべき記述があります。同じ国会図書館の回答に、こうも書かれているのです。

町田を含む南多摩は直接の関係が少なかったが、多摩郡の沿革にかんがみ、あわせて移管されている。

つまり町田は、玉川上水の水源とは直接関係がなかった。それでも「三多摩まとめて」という大きな流れに乗って、東京府民になったわけです。町田の運命は、町田自身の事情ではなく、もっと大きな政治のうねりの中で決まった ── ここが、この物語の核心です。


4. 本当の理由 ── 自由民権運動と「政治闘争」

動画タイトルにある「背後に政治闘争」とは、何を指すのか。

町田市立自由民権資料館の公式解説に、率直な記述があります。

第2回総選挙では、選挙干渉があったにもかかわらず自由党が勝利します。県会で責任追求された県知事は、自由党の勢力地・三多摩の東京移管を考えます。 (町田市立自由民権資料館

噛み砕いて言えば、こういう構図です。

明治25年の第2回衆議院総選挙は、政府による激しい選挙干渉(投票妨害・暴力行為)で歴史に残る選挙でした。それでも神奈川県では自由党が勝利。県会で県知事が責任を追及されます。追い込まれた県知事が打った手が、「自由党の地盤である三多摩を、丸ごと県外に切り離す」 という荒業でした。

そして当時の多摩地域は、全国でも屈指の自由民権運動の中心地。養蚕業と絹織物を横浜港から輸出する商工業者たちが、産業振興と政治参加を求めて立ち上がっていました。町田からも、後に日本の議会政治を支えることになる気骨ある政治家が次々と生まれます。

4-1. 町田が生んだ民権家たち

  • 石阪昌孝(いしざか まさたか) ── 神奈川県会議長、衆議院議員。三多摩自由党の領袖。
  • 村野常右衛門(むらの つねえもん) ── 自由民権運動の中心人物。野津田町に「凌霜館」を開き、若者を育てた。後に衆議院議員、貴族院議員。
  • 森久保作蔵(もりくぼ さくぞう) ── 東京市政で活躍。

彼ら3人を顕彰する「憲政碑」が、今も町田市内に残されています。町田は、日本の議会政治の源流のひとつ なのです。一議員として、これは誇りを持って胸を張ってお伝えしたい事実です。

🖼️ 画像配置推奨:野津田町の憲政碑または自由民権資料館の外観 alt属性:「町田市野津田町に残る憲政碑 ─ 石阪昌孝・村野常右衛門・森久保作蔵を顕彰」

4-2. 三多摩壮士団の抵抗

移管法案が出ると、自由党の戦闘組織「三多摩壮士団」を中心に、激しい反対運動が起こりました。三郡町村長による反対陳情書、村野常右衛門への勾留状 ── これらは今も町田市立自由民権資料館に保管されています。

それでも法案は、わずか10日で衆議院を通過。町田の民権家たちの抵抗は、結果として届きませんでした。

しかし、負けた闘いではなかった と私は思っています。彼らの精神は、今も町田に脈々と受け継がれているからです。


5. 130年前の決断が、いまの町田に残したもの

歴史の話で終わらせるのは、もったいない。1893年の決断は、令和の町田市政に、3つの“贈り物” を残しました。

① 3つの政令市と隣接する「結節点」としての町田

繰り返しになりますが、日本で唯一、相模原・川崎・横浜という政令指定都市3つすべてに隣接する自治体 が町田市です。これは観光・経済・防災のあらゆる場面で大きな強みになります。

② 境川という、生きた都県境

町田と神奈川県を分けるのは 境川。この川は今も、流域防災・治水・環境保全の現場で、神奈川県側との連携が欠かせません。

③ 「自由民権の街・町田」という誇り

野津田町の 町田市立自由民権資料館、村野常右衛門の凌霜館跡 ── 全国でこれだけの民権運動の遺産を持つ自治体は数えるほどです。

🖼️ 画像配置推奨:町田市と神奈川県3政令市の隣接関係を示す地図 alt属性:「町田市は相模原・川崎・横浜の3政令指定都市すべてに隣接する全国唯一の自治体」


6. 町田を語るには、町田を知らなければならない

ここで、率直に申し上げたいことがあります。

町田の地形、町田の鉄道、町田の産業、町田の人々 ── そのすべてには、必ず「そうなった理由」があります。1893年の三多摩移管の話も、玉川上水の話も、自由民権運動の話も、村野常右衛門や石阪昌孝の話も、私にとっては教科書の中の出来事ではありません。今日の町田市政の判断材料そのもの です。

なぜ町田は3つの政令市と隣接しているのか。なぜ境川が都県境なのか。なぜ町田には民権資料館があるのか。なぜ町田駅前は多摩地域随一の繁華街として発展したのか。なぜ町田は鶴川・南町田・玉川学園と、エリアごとにこんなにも顔が違うのか ── これらを知らずして、子育て支援も、高齢者福祉も、地域交通も、防災も、本気では語れません。

私は、町田のことを誰よりも勉強し続ける議員でありたい。歴史を知り、地理を知り、人を知る。その積み重ねの上にしか、本物の政策は生まれません。「足元を知る者が、未来をつくる」 ── これが、私が議員として大切にしている信念です。


7. 市議としての3つの政策提言

ここからが、現職市議として申し上げたい本題です。歴史を学ぶ意味は、未来の政策に活かしてこそ です。3つ、率直に提案させてください。

7-1. 都県境を「壁」から「強み」へ ── 広域連携の深化

町田市民の生活圏は、相模原・川崎・横浜と完全に一体です。買い物、通勤、通学、医療 ── 県境を意識する場面はほとんどありません。

総務省の広域連携促進事業では、すでに町田・相模原・八王子の3市連携が採択されています。これをさらに進め、境川流域の自治体ネットワーク として、地域交通・観光・産業振興に踏み込むべきです。130年前は「分けられた」町田が、今度は「つなげる主役」になる ── そんな未来志向の発想が必要だと考えます。

👉 関連記事:広域連携で町田の暮らしはどう変わるか(仮)

7-2. 境川流域の防災連携 ── 現代の「水問題」

明治の課題が玉川上水だったとすれば、令和の町田の課題は 境川の治水と流域防災 です。台風・ゲリラ豪雨が常態化する今、神奈川県側との河川管理協議は、市民の命に直結する仕事です。地味ですが、必ずやり抜きます。

👉 関連記事:境川の治水と町田の防災 ── 神奈川県との連携の現在地(仮)

7-3. 自由民権の街を、子どもたちの教育へ

「市民が自ら声を上げて社会を動かした」── そんな記憶を持つ街は、全国でも稀です。町田市立自由民権資料館を活用した 主権者教育・シティズンシップ教育 は、町田だからこそできる取り組みです。

子どもたちが「自分のまちは自分でつくる」という感覚を、教科書ではなく 足元の歴史 から学べる街 ── これ以上の郷土教育はありません。

👉 関連記事:町田の主権者教育 ── 自由民権資料館を学校現場へ(仮)


8. おわりに ── 町田の未来へ、現実的な一歩を

率直に申し上げて、町田の今の姿 ── 神奈川にせり出した形、3つの政令市と肩を並べる存在感、そして市民の自立心 ── は、すべて 130年前の闘いと選択の結果 です。

歴史は、過去の話ではありません。今をかたちづくり、未来を指し示す羅針盤 です。

私は、この町田の物語に誇りを持っています。そして、その誇りを実行可能な政策に翻訳するのが、市議としての私の仕事だと思っています。

子育て支援、高齢者福祉、地域交通、防災、教育、地域活性化 ── すべてのテーマで、「町田らしい現実解」を一歩ずつ積み上げてまいります。

そのために私は、町田の歴史を学び続けます。 130年前に町田を東京にした人々の決断、その前に神奈川県民として生きた町田の祖先たち、自由民権の旗を掲げて立ち上がった先輩政治家たち ── 彼らから受け取ったバトンを、私は次の世代へつなぐ責任があります。

町田を語るなら、町田を知る。 これは私が議員として譲れない一線です。

ご意見・ご感想、いつでもお寄せください。町田の現場の声を、そして町田の歴史の声を、これからも大切にしていきます。

町田市議会議員 自民党 小沢タケル


9. よくあるご質問(FAQ)

Q1. 町田市は東京都ですか?神奈川県ですか? 町田市は 東京都 です。1893年(明治26年)4月1日に神奈川県から東京府へ移管されて以降、現在まで一貫して東京都に属しています。

Q2. なぜ町田は神奈川県側に突き出した形をしているのですか? 町田を含む南多摩郡が東京府に移管された一方、隣接する高座郡(現・相模原市)や都筑郡(現・横浜市青葉区など)は神奈川県に残ったためです。境川を境に、町田だけが「東京の半島」になりました。

Q3. 町田の郵便番号や電話番号は東京と神奈川どちらですか? 郵便番号は東京都として「194-」「195-」が割り当てられています。電話の市外局番も東京と同じ「042」エリアです。

Q4. なぜ町田は東京都への移管が決まったのですか? 公式には 玉川上水の水源確保・水質管理 のためですが、実際には自由民権運動・自由党の地盤を切り崩す 政治的意図 も指摘されています。町田を含む南多摩は水源と直接の関係は薄かったものの、三多摩一括処理の流れで移管されました。

Q5. 町田市出身の有名な民権家は誰ですか? 石阪昌孝(衆議院議員、神奈川県会議長)、村野常右衛門(衆議院議員・貴族院議員)、森久保作蔵(東京市政で活躍)の3名が代表的です。3人を顕彰する「憲政碑」が町田市内に残されています。

Q6. 町田で自由民権運動の歴史を学べる場所はありますか? 町田市立自由民権資料館(町田市野津田町)があります。村野常右衛門が開いた「凌霜館」跡地に建ち、移管反対陳情書や勾留状などの一次資料が公開されています。

Q7. もし1893年の移管がなければ、町田はどうなっていましたか? 町田は今も 「神奈川県町田市」 として神奈川県に属していたと考えられます。実際、町田市民の生活圏は今も相模原・川崎・横浜と一体的につながっています。


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町田の暮らしと政策をさらに深く知りたい方へ。


👤 著者プロフィール

小沢タケル(おざわ たける) 町田市議会議員/自由民主党所属

町田の現場の声を大切にし、子育て支援・高齢者福祉・地域交通・防災・教育・地域活性化に取り組む。誠実に、率直に、わかりやすく伝えることを大切にし、町田の未来につながる現実的な政策提案を重視。

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著者

小沢 タケル

小沢 タケル

選挙 町田市議会議員選挙 (2026/02/15) [当選] 3,308 票
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肩書 株式会社サクセスマネジメント・代表取締役・自民党町田総支部青年部副部長・明治安田生命保険相互会社保険代理店・防火防災管理者・上根囃子連・白山囃子連・町田市消防団 第4分団第8部・ 町田市農業研修16期生
党派・会派 自由民主党
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