2025/5/20
第1回では多摩ニュータウン構想と誕生を紹介しました。今回は、第2回として1990〜2000年代、「成長と揺らぎ」の時代を書いていきたいと思います。1990年代、多摩ニュータウンは多くの人々でにぎわいを見せていました。
■ 商業施設の発展と“にぎわい”の頂点
多摩センター駅前には三越、イトーヨーカドー、京王プラザホテルが立ち並び、サンリオピューロランドも開業。週末には家族連れでにぎわう「都市型郊外」の象徴となりました。(今ではないものもありますね(涙))
南大沢(八王子)ではアウトレットモールの整備が進み、稲城・若葉台では新たな住宅地と駅周辺の開発が始まっていきます。都市としての利便性と自然環境が共存する希有な地域として、一定の評価を受けていました。
しかしその一方で、時代の転換点が静かに訪れていました。1990年代初頭、バブル経済が崩壊し、不動産価格は急落。再開発計画の多くが見直され、一部地域では土地だけが整備されたまま放置されることもありました。
団地の住民も高齢化が進行し、子どもたちは成長とともに巣立ち、空き家が目立つように。住民数のピークは1995年を境に下り坂をたどります。
参考)https://www.city.tama.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/005/878/shiryo6.pdf
こうした中で、多摩ニュータウンは「つくる」から「育てる」「維持する」段階へと移行していきました。団地の老朽化、買い物弱者の増加、防災体制の課題……。都市の高齢化が社会全体に先駆けて顕在化したのです。
しかし、ここで注目すべきは、住民が「諦めなかった」ことです。
1990年代後半、多摩ニュータウンでは数多くの市民活動が芽吹き始めました。
・団地住民による自治会・NPO活動
・高齢者を支える「買い物支援」や「見守りネットワーク」
・空き家や空き店舗を活用したカフェやこども食堂の運営
・まちづくりワークショップや住民参加型の再開発構想づくり
特に多摩市では、住民の対話からまちの未来を考える「地域会議」が活発になり、行政との協働モデルも進展。八王子の南大沢では学生や子育て世代との連携も生まれています。
バブルの終焉、人口減少という厳しい現実のなかで、多摩ニュータウンは単なる住宅地ではなく、「人のつながりが根づく場所」へと変わっていきます。
確かに、当初の“理想の都市”というイメージとは異なる現実があったかもしれません。
しかしこの地には、「課題を共有し、自ら動く人たち」が存在していたこと。それこそが、都市の“持続力”を支える本当の力なのではないでしょうか。
この記事をシェアする
ワタナベ ジュンペイ/41歳/男
ホーム>政党・政治家>渡辺 純平 (ワタナベ ジュンペイ)>【多摩ニュータウンについて】 第2回:成長と揺らぎ ― 1990〜2000年代