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松本 いずみ ブログ

「この国のかたち」について④(明治憲法下の天皇の地位③)

2026/6/21

前回の更新から、また少し時間があいてしまいました。今回も引き続き、明治憲法下における天皇の地位について、少し考えてみたいと思います。前回述べた第4条とともに、伊藤博文が明治憲法に込めたもう一つの仕掛け、それが明治憲法第55条でした。今回は、私が明治憲法の中で最も重要な条文だと考えている第55条の意義(同条にはもう一つ、内閣制度に関する重要な解釈問題が存在しますが、それについては別途お話させて頂きたいと考えています。)について、第3条と併せてお話させて頂きたいと思います。

 第三条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
第五五条 国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス
   二 凡テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス

前回述べたように、明治憲法第4条後段に「此(こ)ノ憲法ノ条規ニ依(よ)リ之(これ)ヲ行フ」と定められていたことから、戦前においても大半の者が、天皇による権能の行使は憲法によって制約されていると考えていました。それでは、それは具体的にどのように制約されていたのでしょうか。軍事に関する事項については別途お話させて頂くこととして、ここでは明治憲法における一般原則を少し見ておきたいと思います。

まず、明治憲法第3条です。「天皇ハ神聖ニシテ侵(おか)スヘカラス」という条文は、一見すると、天皇の神格性を定めた条文であるかのように見えるかもしれません。しかしながら、この条文の主眼はその点にあったのではなく、明治憲法下において、天皇が刑事・民事の法的責任を負わないという、いわゆる「君主無答責(くんしゅむとうせき)の原則」を定めたものだと理解されていました。これは当時の君主制の国においてはごく一般的な規定であり、明治憲法だけが何か特別なことを定めていたわけではありません。そして、この原則と表裏になっていたのが、第55条の国務大臣の「輔弼(ほひつ)」の原則でした。

第3条で天皇が自らの大権行使に法的責任を負わないとされていた根拠は、「天皇は主権者だから」という理由ではなく(そのような主張も存在しますが、私はあまり理由になっていないと考えています)、天皇の大権行使の際には、第55条1項「国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼(ほひつ)シ其(そ)ノ責(せめ)ニ任ス」により、必ず天皇を「輔弼(ほひつ)」する者がおり、間違った行為の結果は、その者が輔弼を誤ったためだと解されたためでした。要は、天皇ではなく、天皇の大権行使を輔弼した者の責任だということです。

それでは、「輔弼(ほひつ)」とは一体何でしょうか。これには諸説ありますが、戦前の憲法学者で、東京帝国大学の美濃部達吉教授と並ぶ双璧であった京都帝国大学の佐々木惣一教授は、「君主の意思を執行することではなく、君主をして法上、又(また)政治上、其(そ)の道に合わしむるよう君主を輔佐(ほさ)することである」としています。端的に言えば、天皇が正しい判断を行えるよう、適切な進言を行うことが「輔弼」であったと言えます。そして、実態としては、戦前に天皇が奏上された案件を覆すようなことはなく、「輔弼」とは、「天皇に代わって実質的な意思決定を行うこと」であったとさえ言えました。

その上で、第55条2項「凡(すべ)テ法律勅令其(そ)ノ他国務ニ関(かかわ)ル詔勅(しょうちょく)ハ国務大臣ノ副署ヲ要ス」から、「輔弼」のない天皇の国務上の行為には、法律上の効力が生じないものと解されていました。そして、戦前の学説の多数を占めた美濃部や佐々木などの立憲学派は、天皇は(統治権の総攬者であるにも関わらず)国務大臣に「輔弼」を命じることはできない、と考えていました。すなわち、輔弼を行うか否かは国務大臣の良心に任せられており、仮に天皇の大命が憲法や法律に違反し、又は国家に対して不利益だと考える場合には、そうした命令を思いとどまらせることこそが国務大臣の責任であり、それでも天皇が輔弼を命じる場合には、国務大臣は辞職すべきであるとしていました。

この解釈に従いますと、明治憲法下で天皇が自らの大権を有効に行使するためには国務大臣の輔弼が必要とされた一方で、天皇は国務大臣に自らの意図に沿った輔弼を命じることはできなかったことから、天皇には、事実上、自らの意思では大権を行使することが出来ないという、非常に大きな制約が課されていたことになります。このことは、明治憲法下においては、天皇が実権をふるう「天皇親政」の余地が実質的に否定されていたことを意味していました。こうした法的構造が、第3条が天皇は刑事・民事上の責任を一切負わないと定めていた実質的な根拠であったと言えます。すなわち、天皇は実質的な意思決定の主体ではない以上、結果の法的責任も負わないということです。

このように、明治憲法の第4条と第55条を併せて読むと、天皇は統治権を総攬(そうらん)する主権者ではあるものの、その主権の行使は明治憲法に従って行う必要があり、憲法上、天皇の主権行使には国務大臣の「輔弼」が必要とされていたため、天皇は自らの意思に沿った大権行使を自由に行うことができないという意味で、憲法において両手両足を厳重に縛られた状態にありました。そして、これこそが、伊藤博文が、深い思慮に基づいて明治憲法に張り巡らせた仕掛けの最大のものの一つだったのです。ある意味で、明治憲法下の天皇は、平安時代中期から後期にかけて、藤原氏による摂関政治が行われていた頃の天皇と似た状態にあったとも言えるかもしれません。

それでも、天皇が自らの意思を側近に伝え、事実上、国家の意思決定に影響を及ぼすことが出来たようにも思えますが、実は、明治憲法下の3人の天皇は、いずれもそうした行為を厳しく自制していました。次回以降は、この点について少し見てみたいと思います。

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