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「この国のかたち」について③(明治憲法下の天皇の地位②)

2026/5/3

前回の更新から少し時間が空いてしまいましたが、今回は、「この国のかたち」を考えるに当たって検討が必要となる「天皇の地位」について、明治憲法の条文を眺めながら、少し考えてみたいと思います。

明治憲法下における天皇の地位をどのように考えるか。この問題は、「戦前は天皇が主権者だった」という一言では言い表せない複雑な問題をはらんでいます。

よく知られているように、明治憲法の制定過程においては、英国流の議院内閣制を志向する大隈重信や福沢諭吉らと、プロイセン流の大権君主制を志向する伊藤博文や井上毅(こわし)らとの間で大きな対立があり、また後者の間でも天皇の政治的な位置づけに関する考え方には相違がありました。最終的に出来上がった条文は、議院内閣制を排しつつも、随所に様々な考え方の折衷的要素が含まれており、いずれかの立場から明快に説明できるものではありません。この点を理解するため、まずは、明治憲法第1条と第4条の規定を眺めてみたいと思います。

第一条  大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
第四条  天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ

戦前は天皇が主権者であり、現に統治権を行使していた。このように理解されている方もいらっしゃるかもしれません。確かに上記の明治憲法の条文を読むと、そのように理解するのが自然であるかのようにも見えます。ですが、戦前の学説の多数を占めていた見解は、「天皇」ではなく、日本という「国家」に統治権が存在すると考える「天皇機関説」でした。それは一体どういうことを意味していたのでしょうか。

伊藤博文ら起草者の見解によると、明治憲法第1条は、国家の統治権の所在が天皇にあり、日本の国土と国民は天皇が大権を行使して治めるものであることを明らかにしたものとされています。その上で、第4条は、「天皇が統治権を総攬(そうらん)する」という「主権の体」と、その「統治権の行使を憲法の条規に従って行う」という「主権の用」の別を示したものとされています。

これだけだと何を言っているのかすぐにはよく分かりませんが、枢密院における明治憲法の審議過程において、伊藤は、日本が共和制ではなく君主制の国であるという「主権の所在」のことを「主権の体」と呼び、それが第4条前段の「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ」の意味するところであると説明しています。そして、その主権の行使、ひいては日本の政治の在り方が、専制政治ではなく立憲政治であることを示すものとして「主権の用」という言葉を使い、このことを意味するのが第4条後段の「此(こ)ノ憲法ノ条規ニ依(よ)リ之(これ)ヲ行フ」であると述べました。

つまり、伊藤は、第4条に後段の「此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」という文言を加えることで、明治憲法下の天皇は統治権を有する主権者ではあるものの、絶対君主制の国とは異なり、その行使は天皇の恣意に委ねられているのではなく、あくまで憲法の定める要件及び手続に従って行わなければならないという、立憲君主制の国であることを明確にしたのだとしています。

そして、この伊藤ら起草者の見解を理論づけた「立憲学派」と呼ばれる学者のうちで、最も有名なのが、美濃部(みのべ)達吉(たつきち)・元東京帝国大学法科大学教授でした。美濃部の学説は複雑ですが、敢えて単純化すると、天皇が主権者であるということは、天皇が「統治権の主体」であることを意味せず、統治権はあくまで日本という「国家」に属しており、天皇はその「最高機関」として、国家内において最高の地位を占めるに過ぎないのだとします。

つまり、第1条は、日本の政体は歴史上常に「君主政体」であり、これは万世にわたって動かすべきでない、最も根本的な原則であることを示したものだとします。その上で、第4条後段「此(こ)ノ憲法ノ条規ニ依(よ)リ之(これ)ヲ行フ」は、立憲君主制の国として、主権者たる天皇が自らに課した制約として、国家の最高機関としての権能を、憲法の制限の下で行使することを宣言したものであるとしました。美濃部のこの学説は、「天皇機関説」と呼ばれていました。

天皇機関説は、明治憲法第1条と第4条の文言を整合的に解釈できる巧みなものであり、戦前の憲法学界で通説的地位を占めていました。そして、この見解は、「統治権」の所在などの違いはあれど、明治憲法の起草者である伊藤博文の見解とも大枠において整合していました。伊藤は、天皇及びその側近が独自の意思をもって政治に介入したり、あるいは天皇が政治に利用されることを防ぐために、天皇親政を志向していた井上毅とは対照的に、天皇の政治的突出にたがをはめることにこだわったものとされています。そして、その一つの現れが、第4条後段「此(こ)ノ憲法ノ条規ニ依(よ)リ之(これ)ヲ行フ」だったのです。

哲学者の久野収・元学習院大学教授は、こうした戦前のシステムについて、「国民全体には、天皇を絶対君主として信奉させ、この国民のエネルギーを国政に動員した上で、国政を運用する秘訣としては、立憲君主説、すなわち天皇国家最高機関説を採用するという仕方」であったものと表現しています。まさに明治憲法制定初期の、維新の元勲たちの国政運営の叡智を感じるところです。

なお、美濃部の天皇機関説は、昭和天皇も正しいものであると考えていました。しかしながら、詳細は割愛しますが、天皇機関説は昭和期の帝国議会において厳しく攻撃され、やがて議会の外でも天皇機関説を排撃する運動が盛り上がり、ついには美濃部の著作は発売禁止とされてしまうことになります。加藤陽子・元東京大学教授は、その後の歴史を見ると、このときに懸かっていたものは、実は単なる一学説の妥当性ではなく、戦前の日本が立憲政治を選ぶのか、官僚専制政治を選ぶのかといった、日本の命運を分ける問題であったとしています。戦前の歴史を学ぶにつれ、議会における議論の重大さ、特に、一時の熱にとりつかれるのではなく、あるべき筋を通すことの大事さを痛感します。

憲法記念日ということもあり、今回は少し長くなりすぎてしまいました。次回は、「天皇の地位」の続きとして、主に明治憲法第3条と55条を見ていきたいと思います。

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