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谷川 健一郎 ブログ

しゃんぎり祭りに参加して――伝統とは何か、を考えた

2026/4/22

太鼓の音が、体の内側に響く。

山車が角を曲がるたびに、沿道からどよめきが起きる。

囃子の音が重なり、空気そのものが祭りの色に染まっていく。

今年のしゃんぎり祭りは、追い綱責任者という役を担っての参加だった。

疲労感と充実感が混ざり合ったあの感覚は、毎年のことなのに、毎年新鮮だ。

今年は特に、いくつかのことが頭から離れなかった。

伝統とは何か。

地域とは何か。

そして自分はこの町とどういう関係を結んできたのか。

祭りの喧騒が静まったあとの静けさの中で、ゆっくりと考えた。

 

※軽い感じで書いたバージョンはこちら


「うらやましい」という言葉の意味

祭りの最中に、大人になってから武豊に引っ越してきた方と話す機会があった。

しばらく祭りの話をしたあと、その方がふと言った。

「子どものころのともだちと一緒に祭りを担えるのが、うらやましい」と。

 

その言葉に、少し驚いた。

自分はずっと、「よそから来た人間」という感覚を薄く持ち続けていたからだ。

幼いころに武豊町に引っ越してきた。

地元の同級生たちが当たり前に持っているような、

生まれたときからこの土地と結びついているという感覚を、

自分は持てないのではないかという思いが、どこかにあった。

これはルーツへの想いとトレードオフの関係だと思っていた。

けれど、その一言で気づいた。

自分はいつの間にか、「外から来た人間」ではなくなっていたのだ。

 

武豊に来て、30年以上が経つ。二十歳から、祭りに関わり続けてきた。

子どものころに一緒にソフトボールをした仲間と、今も同じ山車を引いている。

その積み重ねが、この町においては確かな「根」になっていた。

自分では気づいていなかっただけで、気づけば深く根を張っていた。

そのことを、他所から来た方の「うらやましい」という言葉が、教えてくれた。

自分がこの町を「自分の町」だと感じてきたのと同じように、

この町もまた自分を「この町の人間」として受け入れてくれていた。

そういうことだったのだと思う。


スーツから祭り衣装へ――二つの役割を生きる一日

しゃんぎり祭りは、この地域最大の神事だ。

山車の運行だけが祭りではない。

まず式典がある。

神社での神事に、地域の代表者たちが正装で臨む厳粛な場だ。

議員という立場上、自分はスーツに身を包んでその場に連なる。

宮司の祝詞が読み上げられ、空気が引き締まる。

祭りの喧騒とはまったく異なる、静かな時間がそこにある。

 

式典が終わると、早着替えをして山車の運行に加わる。

スーツを脱ぎ、祭り衣装に袖を通す。

その瞬間に、自分の立ち位置がすっと切り替わる感覚がある。

来賓として式典に臨む「議員」から、仲間と一緒に綱を引く「地区の一員」へ。

どちらも本物の自分だが、まとう空気が変わる。

 

兼任になっていったのは、必然だったと思っている。

自分はまだまだ、会議で議論するだけでなく現場を歩きたい。

話を聞くだけでなく一緒にやってみたい。

そんな感覚が、気づけばこういう形になっていた。

 

実はこれは、会社員としての自分にも共通する感覚だ。

勤務先のチタコーポレーションには「現場主義」という文化がある。

データや報告書だけで判断するのではなく、

自分の目で見て、手を動かして、その場の空気を体で掴む。

そういう姿勢が仕事の基本として根づいている。

祭りへの関わり方も、突き詰めれば同じことだ。

祭りを「観る」のではなく「中に入る」。

その引力が、自分の中にずっとある。

議員として神事の場に立ち、担い手として山車を引く。

一日の中でその両方を経験できるのは、この祭りならではのことだ。

そしてそのどちらにも、地域への深い敬意が流れている。

形は違っても、向かっている先は同じだ。


追い綱責任者として感じたこと

今年も追い綱責任者という役割を担った。

山車を動かす仕事の中で、追い綱というのは縁の下の力持ちのような役回りだ。

華やかな梶方、囃子のような表舞台ではないかもしれない。

しかし山車が坂を下るときなど、速度を制御しなければならない場面では、

追い綱を握る者の判断と連携が、安全を左右する。

責任者として、仲間に指示を出しながら、自分もまた綱を握る。

実際に責任者の立場で動いてみると、あらためて実感することがある。

山車は一人では絶対に動かない、ということだ。

綱を引く人

梶を切る人

太鼓を叩く人

笛を吹く人

山車の上で人形を操る人

周囲の安全を確認しながら誘導する人

――それぞれが自分の持ち場を全うして、初めてあの重い山車は動く。

誰かが欠けても成り立たない。

そして誰もが、自分の役割に誇りを持って臨んでいる。

当たり前のことのようで、実際にその中の一役を担い、

見渡す立場になってみると、その当たり前のことに改めて感動する。

分業と信頼の上に成り立っている。

そして毎年その体制が再構築されている。

ひとりひとりが当事者感覚を持って参加しているから、

この祭りは長い年月にわたって続いてきたのだろうと思った。


現場で聞こえてくる声――ただし、それだけが答えではない

中に入って動いていると、外から見ているだけでは絶対に聞けない声が自然と耳に届いてくる。

参加者の本音だ。

「最近は若い人が減ってきた」

「あの段取りは昔からやりにくかった」

「うちの区はこの役割が重すぎる」

「それでもやっぱり、この祭りが好きだ」

格式張った場ではなく、綱を一緒に引きながら、汗を流しながら出てくる言葉には、

アンケートや会合では決して出てこないリアルがある。

 

議員という立場で住民の声を聞くことの難しさは、「聞ける声」と「本当の声」の間にある距離にある。

役場の窓口に来る声、議会への陳情の声、地域懇談会で発言される声。

それらはどれも本物だが、選別されたものでもある。

一緒に汗をかいている場で出てくる声は、その手前にある、もっと生の感覚だ。

ただし、ここで気をつけなければならないことがある。

声を聞くことと、聞いた声をそのまま政策に反映することは、まったく別の話だ。

住民の声に耳を傾けることは政治の基本だが、

その場の多数意見や感情的な要求に流されるだけでは、ポピュリズムに陥る。

政治家の仕事は、声を集めることではなく、声の奥にある本質的な課題を読み解き、

長期的な視点から判断を下すことだ。

そのバランスをどう取るかは、いつも難しい問いだ。

しかし少なくとも、現場に入らなければ聞けない声があることは確かだ。

そしてその声なしに、本質的な判断はできない。

だから自分は、中に入り続ける。


祭りは「政(まつりごと)」だった

山車組と区の関係は深い。

練習も段取りも当日の動きも、すべてが地区のまとまりの中で回っている。

いわば祭りの運営は、地域自治の縮図だ。

かつては、祭りの運営がそのまま自治会運営に直結していた。

祭りごとと政(まつりごと)はもともと同じ言葉だということは、頭では知っていた。

しかし今年は、そのことを理屈ではなく、肌で感じた気がした。

 

山車を動かすためには、誰が何の役割を担うかを決めなければならない。

当日だけでなく、事前の準備から後片付けまで、膨大な調整が必要だ。

揉め事もある。意見の相違もある。それを何度も話し合い、納得の上で動いていく。

その過程で、誰がリーダーシップを発揮できるか、誰が場をまとめられるか、

誰が信頼を集めているかが、自然と見えてくる。

 

共同作業の中で人間関係が育まれ、

信頼の積み重ねが地域の意思決定を支える基盤になっていく。

祭りはただの伝統行事ではなく、地域の人間がお互いを知り、

関係を更新し続けるための場だったのだ。

地域コミュニティの空洞化が言われて久しいが、

山車組と地区の結びつきが機能し続けているのは、偶然ではない。

祭りが、その結節点であり続けているからだと思う。


変化することは、裏切ることではない――時の洗礼という視点

今のしゃんぎり祭りは、昔と同じではない。

連絡手段はスマートフォンになり、練習の記録は動画で残されるようになった。

山車の曳き方や所作についての解釈も、世代が替わるごとに少しずつ更新されてきた。

「昔はこうだった」「本来はこうするものだ」という声が、毎年どこかで聞こえる。

変化を惜しむ気持ちは、よくわかる。

しかし、自分はひとつの結論に至った。

伝統を守ることと、変化し続けることは、矛盾しない。

考えてみれば、今日の祭りの形は、何百年もの間に無数の人間が手を加え、改め、洗練させてきた結果だ。

不合理なものは自然と淘汰され、本質的なものだけが残り続けてきた。

その意味で、長い年月の洗礼を受けてきた文化には、一種の真理が宿っているのではないかと思う。

流行や風潮ではなく、時代を超えて人間の心を動かし続けてきたものには、それだけの理由がある。

 

だとすれば、変化を恐れる必要はない。

表層的な形は時代に合わせて更新されていい。

むしろ、更新されなければ本質を失う。

道具も変わる。作法の細部も変わる。関わる人の顔も、世代ごとに入れ替わっていく。

それは仕方のないことではなく、そうあるべきことだ。

変わってはいけないのは形ではなく、この祭りを受け継ぎたいという気持ちだ。

この地域を愛する気持ちだ。

そしてそれこそが、伝統の本質なのだと思う。

残ってきたものの核心は、技法でも作法でもなく、

その祭りを通じて地域への愛着を育て、次の世代に手渡そうとする意志そのものだ。


武豊が好きだという気持ちが、伝統だ

太鼓の音と、子どもたちの声と、大人たちの笑い顔の中を歩きながら、そんなことを考えていた。

よそから来た自分が、この町の祭りの担い手になれた。

それは自分の努力というよりも、この町がそういう場所だったからだと思っている。

来た人間を、時間をかけてその一部にしていく。

武豊という町には、そういう気質がある。

大人になってから来た人が「うらやましい」と言う町は、そうそうないと思う。

 

議員として住民の声を聞く仕事をしていると、この町の課題も当然見えてくる。

人口減少の予測、コミュニティの維持、若い世代の定住。

解決すべきことは多い。

しかしその一方で、こんなに豊かなものを持っている町でもある、と祭りのたびに思う。

しゃんぎり祭りは、その豊かさの象徴だ。

江戸時代から続く太鼓の音が、今年もこの町に鳴り響いた。

スーツを脱いで祭り衣装に袖を通した瞬間、追い綱を握って仲間と力を合わせた瞬間、

子どものころの友人と同じ山車を引いた瞬間。

そのひとつひとつが、自分とこの町をつなぐ確かな糸だ。

武豊を好きだという気持ちが、自分のすべての出発点にある。

その気持ちこそが、受け継がれてきた伝統の正体なのだと、今年のしゃんぎり祭りで改めて確かめることができた。


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著者

谷川 健一郎

谷川 健一郎

選挙 武豊町議会議員選挙 (2023/04/23) [当選] 1,028 票
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肩書 サラリーマンと武豊町町議会議員の兼業です。
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