2026/6/16
児童相談所の一時保護、里親委託解除、施設入所変更。
これらは、しばしば「子どもの安全確保」「専門的判断」「児童相談所の裁量」という言葉で説明されます。
しかし、本当にそれだけで済むのでしょうか。
子どもが現に安心して暮らしていた里親宅から、突然引き離される。
学校生活、友人関係、兄弟関係、地域とのつながり、学習環境、そして「自分には帰る場所がある」という安心感を奪われる。
しかも、本人も里親も虐待を否定しているにもかかわらず、児童相談所が一度「虐待」と判断すると、その後に事情が変わっても、なかなか撤回されない。
これは単なる児童福祉行政の問題ではありません。
子どもの人格形成そのものに対する、国家的・行政的介入の問題です。
児童相談所の判断には、非常に大きな権限があります。
一時保護できる。
里親委託を解除できる。
施設入所に変更できる。
里親登録を抹消できる。
これらは、子どもの人生を根本から変えてしまうほど強い権限です。
本来であれば、その権限は、子どもの利益のためにだけ使われなければなりません。
ところが現実には、一度児童相談所が「虐待あり」「安全ではない」「委託継続は困難」と判断すると、その後に矛盾が明らかになっても、素直に撤回されないケースがあります。
子どもが「帰りたい」と言っている。
里親が虐待を否定している。
学校や周囲の関係者から見ても、家庭的な養育環境があった。
司法判断やその後の事情から、当初の判断に疑問が出ている。
それでも、児童相談所や自治体は、自分たちの最初の判断を守り続ける。
ここで問われるべきは、非常に単純です。
誰を守っているのか。
子どもを守っているのか。
それとも、児童相談所の判断の正しさを守っているのか。
子どもの利益のために予算を使っているのか。
それとも、行政の面子を守るために税金を使っているのか。
児童相談所は「子どもの安全」を理由に動きます。
もちろん、本当に虐待があり、命や身体に危険がある場合には、児童相談所の介入は必要です。
しかし問題は、虐待の存在が争われ、本人も里親も否定しているような場面です。
そのような場面で、十分な調査もなく、現に子どもが安心して暮らしていた里親宅から引き離し、施設や別の里親に移すなら、子どもは何を失うのでしょうか。
住む場所を失う。
学校生活の安定を失う。
友人関係を失う。
兄弟関係を失う。
信頼できる大人との愛着関係を失う。
将来への希望を失う。
これは、単なる「措置変更」ではありません。
子どもの人生の土台を壊す判断です。
児童相談所の裁量とは、子どもの人格形成を破壊する自由ではありません。
この問題は、憲法論として考える必要があります。
憲法13条は、個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利を定めています。
憲法26条は、教育を受ける権利を定めています。
そして、旭川学力テスト事件最高裁判決は、子どもが自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような国家的介入は、憲法26条・13条の観点から許されないという重要な考え方を示しています。
つまり、子どもは行政が管理する対象ではありません。
子どもは、自由かつ独立の人格として成長する主体です。
その子どもが、現に安心して暮らし、学び、成長していた環境を、行政が一方的に奪うなら、それは単なる福祉行政ではなく、憲法上の問題になります。
詳しい憲法論については、noteブログで整理しました。
「裁量」で子どもの人生を壊せるのか:旭川学テ判決から見る児童相談所の違憲性
https://note.com/takasan_japan/n/nc27bf75b1221?sub_rt=share_sb
この問題は、特定の児童相談所だけの話ではありません。
児童相談所は都道府県や政令市などが設置しています。
つまり、同じような運用が各地で行われれば、全国どこでも同じ問題が起こり得ます。
児童相談所長が、一度決めた判断を撤回しない。
自治体が、児童相談所の判断を守るために裁判で争う。
子どもが帰りたいと言っても、「安全ではない」と説明して施設入所を続ける。
里親側が虐待を否定しても、行政の最初の認定が優先される。
子どものための予算が、子どもの居場所を回復するためではなく、行政の判断を守るために使われる。
これが全国で起きるなら、児童福祉行政は、子どものための制度ではなく、行政組織を守る制度になってしまいます。
この問題を考えるうえで、三重県松山訴訟は非常に重要です。

https://note.com/takasan_japan/n/ne98eceb619c6?sub_rt=share_sb
報道や原告側の主張によれば、里親でありファミリーホームを運営していた松山健さん夫妻のもとで、兄弟が長年生活していました。
そこは、単なる一時的な預かり先ではありません。
兄弟にとって、生活の場であり、学びの場であり、成長の場であり、人格形成の土台となる場所でした。
ところが、児童相談所の判断によって、一時保護、里親委託解除、里親登録抹消へと進みました。
その後、兄については家庭裁判所が虐待なしと判断し、松山家との養子縁組を許可したとされています。
にもかかわらず、弟は施設に残されたままです。
ここで問われるべきは、単に「里親登録抹消が適法か」という話ではありません。
子どもが現に享受していた家庭的環境、学習環境、兄弟関係、愛着関係、将来への希望を、児童相談所が「裁量」という言葉で奪ってよいのか。
家庭裁判所が兄について虐待なしと見た家に、なぜ弟だけ戻れないのか。
行政は、子どもの利益を守っているのか。
それとも、一度下した虐待認定と処分を守っているのか。
ここが問われています。
この問題を、福祉の専門家だけに任せてはいけません。
政治家こそ、児童相談所行政を勉強すべきです。
なぜなら、児童相談所は強力な行政権限を持つ機関であり、その運用をチェックし、制度の欠陥を正すのは政治の役割だからです。
自治体議員であれば、自分の自治体や都道府県で、児童相談所がどのような運用をしているのかを確認すべきです。
一時保護の平均日数はどうなっているのか。
里親委託解除の判断過程はどうなっているのか。
子どもの意見聴取は形式的なものに終わっていないか。
虐待認定を後から見直す仕組みはあるのか。
児童相談所長の判断を外部から検証する仕組みはあるのか。
行政の判断を守るために、どれだけの予算が裁判や弁護士費用に使われているのか。
国会議員であれば、児童福祉法の改正や、児童相談所の判断に対する司法審査・第三者審査の強化を検討すべきです。
子どもの生活環境を根本から変える判断については、行政内部だけで完結させてよいのか。
子どもの意見をどのように実質的に尊重するのか。
里親やファミリーホームを一方的に切り捨てる制度運用になっていないか。
こうした点を、国と自治体に迫る必要があります。
児童相談所は必要な機関です。
虐待から子どもを守る役割は、社会にとって重要です。
しかし、必要な機関だからこそ、間違ったときの被害は大きくなります。
強い権限を持つ機関ほど、透明性と検証が必要です。
「児相は専門機関だから仕方ない」
「子どもの安全のためなら仕方ない」
「裁量だから仕方ない」
このように考えてしまうと、子どもの声は行政の言葉に飲み込まれてしまいます。
子どもの人生が壊された後で、「難しい判断だった」と言われても遅いのです。
児童相談所行政で最も大切なのは、子どもの最善の利益です。
しかし、現実の運用を見ると、時にその優先順位が逆転しているように見えることがあります。
子どもが帰りたいと言っている。
里親が虐待を否定している。
家庭的環境が失われている。
それでも、児童相談所が一度決めた判断を撤回しない。
自治体がその判断を守るために税金を使って争う。
このとき、私たちは問わなければなりません。
その予算は、誰のために使われているのか。
その裁量は、誰を守るために使われているのか。
その行政判断は、本当に子どもの人生を守っているのか。
政治家は、この問いから逃げてはいけません。
児童相談所の裁量を、子どもの人格形成を破壊する自由にしてはいけません。
憲法13条・26条の下で、子どもは行政に管理される対象ではありません。
自由かつ独立の人格として成長する主体です。
その子どもの居場所、学び、愛着関係、希望を奪う児童相談所行政を放置するなら、それは政治の怠慢です。
今こそ、国も自治体も、児童相談所行政の裁量と透明性を見直すべきです。
市川市から日本を変える。
子どもの人生を、行政の面子で壊させてはいけません。
「裁量」で子どもの人生を壊せるのか:旭川学テ判決から見る児童相談所の違憲性

https://note.com/takasan_japan/n/nc27bf75b1221?sub_rt=share_sb
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