2026/6/15
「特別権力関係」とは、戦前の行政法で用いられた考え方です。
公務員、学生、受刑者などは国家や行政との特別な関係にあるため、一般国民よりも権利保障が弱くてもよいとされていました。
しかし戦後、日本国憲法の制定により、この考え方は否定されたと教えられています。
ところが、本当に消えたのでしょうか。
私は、児童相談所と里親の関係を見ていると、戦後に否定されたはずの特別権力関係が、形を変えて残っているように見えます。
特別権力関係とは、国家や行政機関と一定の特別な関係にある人について、一般国民とは異なる強い支配関係を認める考え方です。
戦前の日本では、公務員、学生、受刑者などがその典型とされました。
行政の命令に従うのが当然。
不服を言う余地は少ない。
裁判所も行政内部の判断に深く介入しない。
こうした発想が、戦前の行政法には強くありました。
しかし、戦後憲法は違います。
基本的人権の尊重。
法の下の平等。
適正手続。
裁判を受ける権利。
こうした考え方の下では、「特別な関係にあるから権利保障が弱くてよい」という発想は、本来通用しないはずです。
ここで問題になるのが、児童相談所と里親の関係です。
里親は公務員ではありません。
行政組織の職員でもありません。
地域の普通の家庭が、子どもの養育を引き受けているのです。
ところが現実には、
児童相談所が委託する。
児童相談所が評価する。
児童相談所が指導する。
児童相談所が委託解除する。
そして、その判断に対して里親側が実効的に争う手段は極めて限られています。
児童相談所の判断に異議を唱えれば、
「扱いづらい里親」
として見られるのではないか。
今後、委託が来なくなるのではないか。
そのように恐れる里親も少なくありません。
これは本当に対等な関係なのでしょうか。
里親は、児童相談所の部下ではありません。
行政の下請けでもありません。
子どもの養育を担う、地域の大切な家庭です。
それにもかかわらず、児童相談所の評価や判断に逆らいにくい構造がある。
委託解除の判断が不透明でも、里親側が実質的に争いにくい。
子どものために意見を述べても、行政に逆らったかのように扱われる。
この構造は、現行憲法の下では本来あり得ないはずの、特別権力関係的な行政支配に見えます。
本来、現代行政法の考え方では、
行政だから正しい。
専門家だから従え。
という発想は認められません。
強い権限には、強いチェックが必要です。
しかし児童福祉の現場では、
「子どものため」
「専門家の判断」
という言葉の下で、行政の判断が極めて強い力を持っています。
そして、その判断過程は必ずしも十分に透明とは言えません。
行政が委託する。
行政が評価する。
行政が解除する。
行政が記録を持つ。
行政が次の委託にも影響を持つ。
このような関係の中で、里親が児童相談所に対して自由に意見を述べられるでしょうか。
ここに、戦前型行政法の残像が見えます。
もちろん、現在の日本が戦前そのままだと言いたいわけではありません。
しかし、
行政内部の判断が極めて強く尊重される。
当事者の声が届きにくい。
外部チェックが弱い。
不服を言うと不利益を受けるのではないかと恐れる。
こうした構造を見ると、特別権力関係が名前を変えて生き残っているのではないか。
そう考えざるを得ません。
児童相談所問題は、単なる福祉行政の問題ではありません。
戦後憲法が掲げた人権保障と、戦前から続く行政文化の衝突という側面を持っているのです。
児童相談所問題は、感情論だけで語るべき問題ではありません。
もちろん、子どもや親、里親の苦しみは重要です。
しかし、それだけでは制度は変わりません。
必要なのは、
児童相談所にどのような権限があるのか。
その権限にどのようなチェックがあるのか。
当事者はどのように異議を述べられるのか。
行政判断はどこまで外部から検証されるのか。
という行政法の視点です。
特別権力関係という古い行政法の論点は、実は児童相談所問題を考える上で、今なお重要な手がかりになります。
私はこの問題について、noteでさらに詳しく解説しています。
▼特別権力関係が戦後も生き残っている?児童相談所と里親制度から見える行政法の亡霊

https://note.com/takasan_japan/n/n7f12830773b2?sub_rt=share_b
行政法を学んだことがある方ほど、ぜひ一度考えてみていただきたいテーマです。
戦後に消えたはずの「特別権力関係」。
本当に消えたのでしょうか。
#特別権力関係 #行政法 #児童相談所 #里親 #児相問題 #子どもの権利 #地方自治
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