2025/8/18
1945年8月18日未明。
終戦を迎え、武装解除を進めていた日本軍の部隊の前に、濃霧の中、突如としてソ連軍が上陸してきました。
報告を受けた樋口季一郎中将は、即座に反撃を指示します。
ソ連を熟知していた樋口中将は、終戦後もソ連が侵攻してくることを予測しており、ためらうことなく命令を下したのです。
濃霧の中で音や光を頼りに、上陸用艦船に砲撃を加え、命中させる火砲部隊。
さらに孤立する味方を救うために、戦車第十一連隊、通称「士魂部隊」が動員されました。池田末男隊長は最期の訓示を行い、階級章を外してワイシャツ姿にハチマキを締め、戦車にまたがり先頭に立って突撃していったと伝えられています。

兵士たちは「もうすぐ家に帰れる」と思っていた矢先、それでも日本をソ連軍の侵攻から守るために戦わざるを得なかったのです。まさに日本最後の防衛戦でした。
この奮戦により、スターリンの「北海道まで占領する」という野望は阻まれました。
スターリンは樋口中将を戦犯として処刑しようとしましたが、それを阻んだのは、かつて樋口が救ったユダヤ人たちの証言でした。
樋口季一郎は満州勤務時代、シベリアに逃れてきたユダヤ人を救うためにビザを発給し、満鉄総裁の松岡洋右に列車を用意してもらい脱出を助けたのです。激怒したナチス・ドイツに対し、揉み消し工作を行ったのは当時の上司・東条英機でした。松岡や東条には功罪さまざまな評価がありますが、この功績はほとんど知られていません。
終戦後、満州・樺太・千島では多くの日本人がソ連軍の侵攻により命を落としました。民間人への残虐行為も多数報告されています。朝鮮半島やドイツが分断されたように、日本も同じ運命を辿っていたかもしれません。
しかし、樋口季一郎らの活躍があったからこそ、日本は分割占領を免れ、今日に至っています。ロシアにとって千島列島全島や北方領土は「血で勝ち取った戦利品」という扱いですが、その背後には日本を守ろうとした人々の奮闘がありました。
ウクライナの現状を見てもわかる通り、防衛のためには戦わなければなりません。
日本の自衛隊には現在も第11戦車大隊が存在し、士魂部隊の伝統を示す「士」の文字がマーキングされています。
私たちが平和に暮らせているのは、歴史の陰で日本を守るために奮戦した人々の存在があったからです。その事実を忘れてはならないでしょう。
樋口季一郎中将のお孫さんである樋口隆一教授が書かれた本でも、活躍が書かれています。

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