2026/8/22
お元気ですか?荒川区議の大月です。Loftイベントの続きです。

■兵庫県議会はなぜ濾過装置を止めたのか
私は兵庫県問題の核心はここにあると思っています。
本来であれば、第三者委員会や百条委員会の調査結果を待ち、事実関係を積み上げてから判断するべきでした。しかし、兵庫県議会は世論の沸騰に押され、「生の多数決」に近い判断を行ってしまいました。
結果として、自らが担うべき濾過装置としての役割を放棄したように見えます。
なぜそうなったのか。
19世紀の思想家トクヴィルは、多数派の意見が道徳的権威を持つ危険性を指摘しました。
多数派に逆らう人は、「多数と違う」というだけで正当性を失ってしまう。
その空気は非常に強力です。
結果として、人は「多数に紛れる安心」を選びがちになります。
当時、多くの県議が「まさか再選はしないだろう」と考えていたのかもしれません。
しかし、歴史は別の結論を示しました。
■選挙は真実を保証しない
その後の知事選挙では、さまざまな情報や物語が飛び交いました。
そして選挙結果によって「民意」が示されたという見方が広がりました。
しかし、ここで私たちが考えなければならないのは、
選挙で勝つことと、事実認定が正しいことは別問題である
という点です。
選挙は政治的正統性を与えます。
しかし、それは調査機関や司法、報道、議会が担うべき事実認定の役割まで代替するものではありません。
民主主義が成立するためには、選挙だけではなく、議会、報道、第三者委員会、司法など複数の制度が相互に補完し合う必要があります。
【続く】
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ホーム>政党・政治家>大月 たけひろ (オオツキ タケヒロ)>【視察】「限界地方政治」のイベントで、兵庫県問題が映し出す民主主義の危うさ②