2026/8/20
お元気ですか?荒川区議の大月です。

先日、新宿Loftで開催された書籍「限界地方政治」の発売に伴うイベントに参加してきました。Loftというと、雑貨屋さんをイメージしますが、新宿にあるイベントスペースでした。出演者は選挙ウォッチャーちだいさん、清義明さん、そして菅野完さん。料金は2,000円。生で話を聞けて、さらに写真まで撮れたことを考えると、非常に濃密な時間だったと思います。
正直に告白すると、私は奥山俊宏上智大学教授の『兵庫県告発文書問題』を読み終えるのに時間がかかり、その流れで『限界地方政治』も未読のまま参加してしまいました<(_ _)>
兵庫県問題については、菅野完さんや子守康範さんのYouTubeなどを見続けてきたこともあり、それなりに理解しているつもりです。しかし、今回改めて菅野さんの議論に触れ、「これは兵庫県だけの問題ではなく、民主主義そのものの問題だ」と感じました。
■民主主義に賢明さを求めてはいけない
今回、私が最も印象に残ったのは菅野完さんの次の主張です。
「兵庫県知事選は民主主義の暴走ではない。民主主義の通常運転だったのではないか」
私たちはつい「民意は正しい判断をするのが、民主主義だ」と考えてしまいます。菅野氏が言うには、民主主義とは、「何が真実か」「何が公正か」を決める仕組みではありません。
例えば、宇宙の真実は多数決で決まりません。(理解できる人が少ないですからね)地球が太陽の周りを回るかどうかは選挙で決める話ではないのです。つまり、民主主義は真実を生み出す装置ではなく、社会の意思決定を行う装置に過ぎないということです。
■アメリカ建国の父たちは知っていた
興味深いのは、約250年前のアメリカ建国の父たちが、この危険性を理解していたことです。多数派が常に正しいとは限らない。むしろ、多数が暴走した時、それを止める「より大きな多数」は存在しません。
だからこそ彼らは、単純な多数決だけで国家が動かないように様々な制度を設計しました。
その代表例の一つが議会です。議会とは単なる多数決機関ではありません。本来は「多数の暴走」を修正するための濾過装置なのです。
【続く】
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ホーム>政党・政治家>大月 たけひろ (オオツキ タケヒロ)>【視察】「限界地方政治」のイベントで、兵庫県問題が映し出す民主主義の危うさ