2026/5/12
岩本麻奈参議院議員の投稿には
多くの示唆が含まれています
人間ドックを受けて
「異常なかった🙌」と
喜んだのも束の間で
間もなく…
という話も珍しくありません
私自身も白血病の疑いで
精密検査を受けましたが
胸骨に穴を開けて骨髄を
抜き取る「骨髄穿刺」というもの
中々苦痛を伴うものですが
結果はいつ発症するか
わからないので1年に1回は
受診するようにという
「経過観察」に
あれから20年以上経ちますが
一度も受診しなかったのは
自身の考えに基づいてのものです
以下、転載👇
〜〜〜
🕊️ “早く見つける”は、本当に正義なのか
ー偽陽性社会と医療の構造
最近、ある医療関係者と話していて、改めて強く感じたことがある。それは、「偽陽性問題は、想像以上に大きなモンスターである」ということだ。
医療において、「早期発見」は長く正義とされてきた。病気は早く見つけた方がいい。検査は多い方が安心。異常は早めに拾った方がいい。もちろん、それ自体は間違いではない。
実際に、早期発見によって救われる命はある。がん検診によって治療可能な段階で病気が見つかり、命をつないだ人もいる。乳がん、大腸がん、子宮頸がんなど、科学的根拠に基づいて推奨されている検診があることも事実である。もちろん私は、検診そのものを否定したいのではない。ただ...
“より早く見つけること”は、常に人を幸せにするのか。
“異常を拾うこと”は、常に医療の勝利なのか。
ここに、現代医療が避けて通れない大きな問答がある。
🔸「異常」と「病気」は同じではない
まず確認しておきたい。
“異常が見つかること”と、“健康ではないこと”は、必ずしも同じではない。
検査には、必ず誤差がある。本当は病気ではないのに、「異常かもしれない」と判定されることがある。これが偽陽性である。
すると何が起きるか。
再検査。精密検査。生検。CT。MRI。通院。経過観察。
そして何より、「自分は病気かもしれない」という不安が始まる。
医療者側から見れば、たった一項目の軽い異常かもしれない。
「よくあることです」「念のためです」「大きな心配はいりません」そう説明することも多い。
だが、受け取る側にとっては違う。
検査結果の一行が、その人の人生の空気を変える。
朝起きた瞬間から、頭の片隅に不安がいる。旅行の予定も、仕事の予定も、家族との会話も、どこか色が変わる。医学的には一つの所見でも、人生に与える影響は小さくない。
🔸偽陽性は「医療費」だけの問題ではない
偽陽性の問題は、精神的負担だけではない。それは巨大な医療資源の消費にもつながる。
米国では、マンモグラフィーにおける偽陽性と乳がんの過剰診断に関連する医療費だけで、年間約40億ドルに上るとの推計がある。これは2015年にHealth Affairsに掲載された研究である。
もちろん、この数字だけをもって「乳がん検診は無意味だ」と言うのは乱暴である。
実際、米国予防医学専門委員会、USPSTFは2024年に、40歳から74歳の女性に対し、2年ごとの乳がん検診を推奨している。一方で同じ勧告の中で、偽陽性、追加検査、侵襲的手技、過剰診断、過剰治療といった害も明記している。
つまり、重要なのは単純な二分法ではない。
検査は善か悪か。早期発見は正義か欺瞞か。そういう話ではない。本質は、利益と不利益をきちんと比較しているか、ということである。
🔸過剰診断という静かな問題
ここで近年、世界的に議論されているのが「過剰診断」である。
過剰診断とは、放置していても生涯症状を起こさず、命にも関わらなかったかもしれない病変を、検査によって「病気」として見つけてしまうことである。
米国国立がん研究所、NCIも、過剰診断を、マンモグラフィーやPSA検査などのスクリーニングによって、症状を起こさないまま終わった可能性のあるがんを発見することとして説明している。そこには不安や不要な治療という害も伴う。
見つかった瞬間、人は患者になる。ラベリングされる。
手術。薬。通院。経過観察。保険。家族への説明。人生設計の変更......だが、その介入が本当に寿命を延ばしたのか。生活の質を高めたのか。本人の幸福に資したのか。
それは、実は簡単には答えられない。
🔸“検査万能主義”とラテンの人々
アメリカは、この問題を見直している。一般住民に対する一律の健康診断について、Cochrane Reviewは、診断数は増える一方で、総死亡率、がん死亡率、心血管死亡率の低下は示されなかったと報告している。これは非常に重い指摘である。
「検査すればするほど健康になる」
「異常を拾えば拾うほど寿命が延びる」
そう単純には言えないということだ。
もちろん、症状がある人、リスクが高い人、家族歴がある人、既往歴がある人に必要な検査を行うことは重要である。また、日本でも厚生労働省や国立がん研究センターは、科学的根拠に基づき、利益が不利益を上回るがん検診を推奨している。だが、それと、健康な人に対して際限なく検査項目を増やすことは別問題である。
そして興味深いのは、長寿国は必ずしも「検査大国」ではない、という点である。
例えば、フランス、スペイン、イタリア。これらの国々は、日本ほど「一律健診文化」が強くない。もちろん必要な検査や、推奨されるがん検診は存在する。かかりつけ医制度は確かに日本より浸透しているかもしれない。
いずれにせよ、日本のように、毎年大量の項目を測定し、“異常の芽”を広く拾い続ける文化とは少し異なる。
むしろ彼らは、
よく食べる。
人と長く話す。
よく歩く。
家族と過ごす。
太陽を浴びる。
人生を味わう。
そうした「生活そのもの」を健康の土台としている側面が強い。
それでも、平均寿命や健康寿命は世界でも上位であり、日本との差は“劇的”というほどではない。
これは極めて示唆的である。
つまり、人間の健康とは、“どれだけ多く測定したか”だけでは決まらない可能性がある、ということである。
日本型の医療文化は、「異常を早く見つけ、管理する」方向へ進化してきた。一方、ラテン文化圏には、「多少の揺らぎを抱えながら、生を楽しむ」という思想がどこかに残っている。
もちろん、どちらが完全に正しいという話ではない。
日本の医療は、多くの命を救ってきた。清潔さ。几帳面さ。早期発見。制度設計。それらは世界に誇るべき強みでもある。
だが一方で、“測定され続ける人生”が、人間を本当に幸福にするのかという問いも、これから避けて通れなくなる。しかもそれは、個人の不安や時間の問題にとどまらない。限られた医療資源や医療費を、どこに振り向けるべきなのかという、社会全体の問題でもある。
健康とは、異常値を減らすことなのか。それとも、多少不完全でも、笑い、食べ、愛し、人とつながりながら生きることなのか。
医療が高度化する時代だからこそ、私たちは「何のために健康でいたいのか」を、もう一度問い直す必要があるのだと思う。
🔸「安心」は、時に依存を生む
人は、不安になると、「何か対策を立てたくなる」ものだ。
検査を受ける。数値を測る。異常を探す。そして、“予備軍”という言葉が増えていく。
境界型。軽度異常。リスク群。前段階。すると今度は、
「では、どう介入しますか?」
という市場が始まる。薬。サプリ。アプリ。継続モニタリング。追加検査。予防プログラム。
気がつけば、人は「健康になる」ためではなく、
“異常を管理し続ける”方向へ誘導されていく。
ここに、現代医療の静かな構造がある。
不安が検査を生み、検査が異常を生み、異常が介入を生み、介入が市場を生む。そして一旦できた市場は、さらに不安を必要とする。
🔸本来の予防とは何か
もちろん、予防そのものを否定するつもりはない。本当に必要な検査はある。救命につながるスクリーニングもある。高リスクの人に対する早期介入が、人生を守ることもある。
だが、本来の予防とは、過剰に測定し続けることではないはずである。
よく眠る。身体を動かす。食事を整える。人と関わる。自然に触れる。ストレスを減らす。孤独を避ける......
結局、人間の身体は、こうした極めて古典的な営みの上に成り立っている。どれほどAIが進歩しても、どれほどウェアラブルが精密になっても、人間が生き物であるという事実は変わらない。
🔸偽陽性社会が奪うもの
偽陽性問題が深刻なのは、それが単に「余計な検査が増える」という話にとどまらないからである。
人の時間を奪う。心の平穏を奪う。家族の会話を変える。医療費を増やす。医療者の労力を消耗させる。本当に医療が必要な人へのインフラを圧迫する。
そして、不安とストレスは、それ自体が身体に影響を与える。
健康になるために検査を受けたはずなのに、検査によって不安が増え、生活の質が下がり、医療への依存が深まる。それでは本末転倒ではないか。医療は、人を安心させるためにある。だが、設計を誤れば、医療は人を“不安の管理”へと閉じ込めてしまう。
🔸AI時代だからこそ、問い直すべきこと
ここから先の医療は、おそらく「病気を治す医療」だけではなく、「リスクを予測し、管理する医療」へ向かっていく。
AI。ウェアラブル。連続モニタリング。ゲノム解析。行動データ。予測医療。技術はさらに進歩するだろう。
私は、その可能性を否定しない。むしろ、正しく使えば、医療はもっと個別化され、不要な検査や不要な介入を減らせるはずだと思っている。だが、その時代だからこそ、私たちは一度立ち止まる必要がある。
“早く見つける”ことは、本当に常に正義なのか。
見つけたあと、人は本当に幸せになるのか。
その検査は、誰のために行われているのか。
その不安は、医学的に必要な不安なのか。市場が作った不安なのか。
健康は確かに宝である。だが、健康を守るために、どこまで時間とお金と心を差し出すのか。
そもそも人生の目的は、検査値を整えることなのか。
それとも、限られた時間を、自分らしく生きることなのか。
🔸一律検査から、賢い個別化へ
これから必要なのは、
一律に測る医療から、意味のある人に、意味のある検査を届ける医療へ移行すること
である。
リスクの高い人には、しっかり検査を届ける。
症状のある人には、迅速に医療につなげる。
科学的根拠のある検診は、適切な年齢と間隔で受けられるようにする。
一方で、利益が不確かな検査を不安に乗じて広げることには、慎重であるべきだ。昔ながらの養生を大切にする道もある。自分の身体の声を聞き、異常を感じたら行動するという、野生の知性もある。
あるいは最先端の個別化医療によって、ゲノムデータや生活データから、自分に本当に必要な検査だけを選ぶ未来もある。
いずれにしても、皆が同じように、同じ頻度で、同じ検査を受け続けることの意味を再考する時期に来ているのではないだろうか。
医療は、人を守るものである。だからこそ、医療が人を不安に閉じ込めるものになってはいけない。
早く見つけること。
測ること。
管理すること。
介入すること。
そのすべてが、本当にその人の人生を豊かにするのか。
ラテンの国々が思い出させてくれるように、人は、健康になるためだけに生きているのではない。生きるために、健康でありたいのである。
その境界線を、私たちは見失ってはいけないのだと思う。
<脚注>
Ong MS, Mandl KD. National Expenditure for False-Positive Mammograms and Breast Cancer Overdiagnoses Estimated at $4 Billion a Year. Health Affairs. 2015;34(4):576-583.
マンモグラフィーにおける偽陽性および乳がん過剰診断に関連する米国年間医療費を約40億ドルと推計。
Krogsbøll LT, Jørgensen KJ, Gøtzsche PC. General health checks in adults for reducing morbidity and mortality from disease. Cochrane Database of Systematic Reviews. 2019; Issue 1: CD009009.
一般成人への健康診断は、新たな診断数を増やす一方で、総死亡率・がん死亡率・心血管死亡率を低下させる効果はほとんど、または全く認められなかったとするレビュー。
U.S. Preventive Services Task Force. Breast Cancer: Screening. Final Recommendation Statement. 2024.
40〜74歳女性に2年ごとの乳がん検診を推奨。一方で、偽陽性、追加検査、侵襲的手技、過剰診断・過剰治療などの害も明記している。
National Cancer Institute. Definition of Overdiagnosis.
過剰診断とは、症状を起こさなかった可能性のある病変をスクリーニングで発見することと説明。
厚生労働省・国立がん研究センター「がん検診」関連資料。
日本では、利益が不利益を上回る科学的根拠のあるがん検診として、胃がん、大腸がん、肺がん、乳がん、子宮頸がん検診が推奨されている。
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