2026/6/18
| 小森さだゆき | 参政党 / 高槻市議会議員
日本が大きく門戸を閉ざした「鎖国」。その直前、徳川家康の傍らで日本の外交を支えた一人の英国人がいました。その名は三浦按針(ウィリアム・アダムス)。今回は、彼が日本の歴史に与えた影響と、鎖国への流れについて考えます。
1600年、豊後国に漂着したリーフデ号の航海士であったウィリアム・アダムスは、時の権力者・徳川家康にその才能を見出されました。幾何学や航海術、そして当時の国際情勢に精通していた彼は、家康の厚い信頼を得て、外国人としては異例の「旗本」に取り立てられます。
按針は、スペインやポルトガルといったカトリック諸国だけでなく、オランダやイギリスといったプロテスタント諸国との交易を促しました。彼のアドバイスにより、家康は特定の国に依存しない多角的な外交を目指したのです。
しかし、家康の死後、幕府の政策は一転して「鎖国」へと向かいます。そこには、単なる排外主義ではない、当時の統治者としての切実な判断がありました。
カトリック諸国の布教活動が、背後にある軍事的侵略と結びついているのではないかという強い警戒感がありました。幕府は支配体制を盤石にするため、キリスト教を禁止し、思想的な統制を強める道を選びました。
西国の大名たちが貿易を通じて巨万の富を築き、幕府を脅かす軍事力を持つことを防ぐ必要がありました。貿易を長崎の出島に集約し、幕府が完全に管理下に置くことが鎖国の大きな目的の一つでした。
鎖国は一度の命令で決まったのではなく、以下のように段階を経て進められました。
| 年(西暦) | 主な出来事 |
|---|---|
| 1612年 | 幕府が直轄領に禁教令を発令 |
| 1624年 | スペイン船の来航を禁止 |
| 1633年 | 第一次鎖国令(奉書船以外の海外渡航禁止) |
| 1639年 | ポルトガル船の入港を完全に禁止 |
| 1641年 | オランダ商館を出島に移設し、鎖国体制が完成 |
三浦按針が伝えた「世界の現実」は、結果として幕府にキリスト教の脅威を教え、鎖国を後押しする皮肉な結果となりました。しかし、この時期に培われた知見があったからこそ、日本は完全に孤立することなく、オランダを通じて世界の動きを観察し続けることができたとも言えます。
現代のグローバル社会においても、独自の文化と秩序を守りながら、いかにして国際社会と対峙していくかという課題は、江戸初期の日本が直面した問いと通じるものがあるのではないでしょうか。
| 小森さだゆき | 参政党 / 高槻市議会議員
この記事をシェアする
ホーム>政党・政治家>小森 さだゆき (コモリ サダユキ)>三浦按針と鎖国への道~