2026/3/28
| 小森さだゆき | 参政党 / 高槻市議会議員
「日本人が国際会議で世界を驚かせた歴史」をご存じでしょうか。今から約100年以上前、日本は世界で初めて「人種差別の撤廃」を国際会議で堂々と提案しました。今回は、その中心人物である牧野伸顕と、当時日本を苦しめていた「黄禍論」について深掘りします。

19世紀末から20世紀にかけて、欧米諸国では「黄色人種が白人文明を脅かす」という強い警戒心が広がっていました。これが「黄禍論(こうかろん)」です。
日清戦争や日露戦争での日本の勝利は、当時の白人至上主義社会に大きな衝撃を与えました。その結果、アメリカでの排日移民法や、オーストラリアの白豪主義など、日本人やアジア系の人々に対する具体的な排斥運動へとつながっていったのです。
この差別的な国際情勢に風穴を開けようとしたのが、明治の重臣・大久保利通の次男であり、外交官として活躍した牧野伸顕(まきの のぶあき)でした。
1919年、第一次世界大戦後のパリ講和会議に出席した牧野は、国際連盟の規約に「人種差別を撤廃すること」を明記するよう提案しました。これは当時の常識を覆す、極めて先駆的で道徳的な主張でした。
この「人種差別撤廃案」の採決結果は、以下の通りでした。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 賛成票 | 11票(日本、フランス、イタリアなど) |
| 反対票 | 5票(アメリカ、イギリスなど) |
| 最終結果 | 議長裁定により「否決」 |
多数決では明らかに賛成が上回っていました。しかし、議長を務めたアメリカのウィルソン大統領が、「重要な問題については全会一致が必要である」という後付けのルールを持ち出し、日本の提案を葬り去ったのです。
牧野伸顕が目指した「人種平等の精神」は、当時の世界標準からはあまりに早すぎたのかもしれません。しかし、日本が人種差別の壁を壊そうと立ち上がった事実は、その後のアジア・アフリカ諸国の独立運動に多大な希望を与えました。
私たち高槻市民、そして日本国民として、この先人たちが示した勇気と正義感を正しく理解し、誇りを持って次世代に語り継いでいく責任があると強く感じています。
| 小森さだゆき | 参政党 / 高槻市議会議員
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