2024/7/12
こんにちは。兵庫県川西市議会議員の長田たくや(ながたく)です。
ハンセン病を調べるほど、「今と同じだ」と怒りを覚えます。
前回のブログ記事はハンセン病にまつわる理不尽さを書きましたが、今回はそこで紹介した小笠原 登(のぼる)医師を深掘りします。
■ 小笠原氏の出自と経歴
1888年、愛知県あま市の寺院(園周寺)の家に生まれる。
京都帝国大学医学部を卒業し、同大助教授に就任。
■ 学説をめぐる攻防
小笠原は「ハンセン病が強烈な伝染病や遺伝病でもなく、”罹りやすい体質”が問題だ」と主張しました。
当時、ハンセン病医療の絶対的権威であった光田健輔ら療養所の医師たちが即座に反論。早田晧(沖縄の隔離所園長)は、批判文を出し、大阪朝日新聞は小笠原の学説を「不正確」と断じました。大阪帝国大学の桜井方策も小笠原の学説を朝日新聞で批判しました。
■ 学会とマスメディア
【1941年、第15回日本らい学会】
初日、小笠原は「ハンセン病の発病条件は、体質と栄養不良による虚弱不良にある」と述べました。
稲葉俊雄、野島泰治、桜井方策らが反論し、小笠原も応酬しました。
2日目、野島は小笠原を攻撃し、さらに座長を務めた村田正太は「らいは伝染病か?」と詰問。小笠原が伝染病の広義と狭義について説明した上で、「伝染病であることは認めます。しかし…」と発言すると、村田は「それでよろしい!」と議論を打ち切ったのです。
この論争は小笠原に「ハンセン病は伝染病である」と言わせることが目的でした。後日、朝日新聞はうなだれる小笠原の写真を掲載し、完全敗北と報道。大阪毎日新聞も同様の論調。
一方、新愛知新聞は「伝染するが恐るべきものではない」と正しく報道しました。
なんと後日、らい学会は京都帝国大学に小笠原の処分を迫りましたが、大学側は拒否しました。
■ やっぱり
ほんと朝日・毎日新聞は、歴史問題に限らず医学にまで悪影響を及ぼしていたのですね。一方、愛知の地方紙は筋を通し、近年のCBCテレビによるmRNAワクチン報道にも通じる姿勢を感じます。また、この頃の京都帝国大学は気概ありました。
■ なぜ孤軍奮闘できたか
祖父は漢方医。実家の寺にはハンセン病患者が治療を求めて集まっていました。患者と接するなか、「簡単には感染しない」実感を得たとみられます。1931年に論文「三つの迷信」を発表。
1)不治の病 2) 遺伝の病 3) 強烈な伝染病 —— これらは迷信だと断じ、世の風潮に逆らって発信しました。
当時は「デマ」と言われたのでしょう。しかし、結果的に正しかった。
■ 孤高の医師
小笠原は素手で触診していました。また患者の前では消毒の所作を見せないよう看護師に指示。無用な恐怖を与えないためです。多くの医師が患者と廊下ですれ違う際に顔を背けた時代、彼は正面から向き合ったのです。
一方、学会の権威であり「救らい」として神聖化された光田らは、小笠原の主張を激しくバッシングしました。
参照:小笠原 登 - NPO法人 国際留学生協会/向学新聞
■ 既視感:令和のコロナ禍
宝塚市の医師(児玉慎一郎):
実地で「治せる病」と判断後、防護服・マスクを着けずに訪問診療。市内でほぼ一人だけ。専門が整形外科にも関わらず懸命に患者対応された。
尼崎市の医師(長尾和宏):
クリニックで発熱外来で積極的に診療し、mRNAワクチンによる副反応にも親身に対応。
イベルメクチンの有効性を経験論から発信。学術的議論の余地はありつつ、一部の医師から猛烈な人格攻撃を受けた。
元京大の准教授(宮沢孝幸):
緊急事態宣言の効果限定を指摘し、「1/100作戦」(ウイルス量を減らす現実的対策)を提唱。mRNAワクチンの有効性と安全性への懸念を表明し、学会とも戦われました。ところが京大は守るどころか追い出した。
——歴史は繰り返す。ハンセン病と新型コロナをめぐる構図は驚くほど似ていると思いませんか。
疑問なのは、ハンセン病に詳しいはずの人・団体が、なぜコロナ禍で少数派の訴えを守らなかったのか。最終的には情報格差が無関心を生み、誤りを固定化したのだと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
素敵な1日でありますように。
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