2025/4/12
こんにちは。兵庫県川西市議会議員の長田たくや(ながたく)です。
雑談ちっくなお話ですが、美保関という場所をご存知でしょうか。
島根半島の先っぽですね。

■ 国引き神話
この美保関は、神話”国引き神話”に登場します。
出雲国の風土記によれば、八束水臣津野命(やつかみづおみつぬのみこと)は「高志(こし)の都都(つづ)の三埼」(石川県の能登半島)に余った土地があったので、「夜見嶋(弓ヶ浜)」を綱にし、「火神岳(ひのかみだけ)」(大山)につなぎとめて引いてきた、という内容が書かれています。
朝鮮半島(新羅)、隠岐の島からも余っている土地を引っ張ってくっつけました。3つの穂(土地)から三穂となり、その先っちょだから三穂崎となり、美保崎へ漢字が変わり、最終的に船の関所役となったため”美保関”になったとされます。

不思議なのは、神話の時代に地図なんてないですよね。おそらく。それがなんで山の向きや土地の方向などを形で理解できたのだろうか・・・不思議ですね。
■ 美保関事件
1927年、美保関沖にて大日本帝国海軍の夜間演習で大事故が起こりました。
軽巡洋艦の「神通(じんつう)」が、駆逐艦「蕨(わらび)」に衝突したのです。当時、夜戦ではサーチライトをともせば敵に狙われるため、暗いままで戦闘することも想定されていました。その実戦演習で蕨は沈没し、91名の兵隊が亡くなったのです。
この要因は、ワシントン海軍軍縮条約(1921年)までさかのぼります。船の大きさなどに制限がかけられてしまい、シーパワーを基本とする日本にとっては不利となる状況でした。そこで戦力の差を技術で埋めようとしたのです。そのため訓練が非常に厳しいものとなりました(日本人らしいですよね)。

後続の姉妹艦である那珂(なか)は、神通たちを避けようとして、運悪く駆逐艦「葦(あし)」の後方に衝突してしまいます。葦は沈没こそしませんでしたが、28名もの死者を出しました。計119名もの犠牲者を出したこの事件は、”海の八甲田山”とも呼ばれています(産経新聞)。
その後は、神通の艦長が軍法会議にかけられ、会議前日に責任をとって自決します。訓練を指示した上位の参謀長や軍団長は責任を取らなかったとのこと。これは様々な批判があったそうです。
■ 神通の改修
神通は艦首が丸ごとなくなってしまい、航行不能に。那珂は自立航行ができました。下の写真でも、衝突の衝撃がすごいことがわかります。神通は、改修されて先端が、スプーン・バウから凌波性に優れたダブルカーブド・バウへ変更されました。

余談ですが、日本軍艦を擬人化(美少女化)したゲームに『艦これ』というのがあります。神通の前髪は、このダブルカーブト・バウが表現されているようです。艦これの”マニアじゃないとわからない”こだわりがめっちゃ好きなんですよね。
復帰した神通は、第2水雷戦隊(駆逐艦を主体とした艦隊)、の旗艦(リーダー)を務めることになります。その戦果から「華の二水戦」と称されました。
■ 神通の最後
1943年7月12日にソロモン諸島コロンバンガラ島沖で発生した海戦で沈没します。のちに、戦史研究家サミュエル・E・モリソンから「神通こそ太平洋戦争中、最も激しく戦った日本軍艦である」と評されています。
水雷戦隊の主力は駆逐艦で、接敵して魚雷を打つ役割でした。その指揮役として、駆逐艦よりも大きくて頑丈な軽巡洋艦がその任を担いました。コロンバンガラ沖の夜戦では、定石通りに神通はサーチライトによる索敵を敢行します。これは同時に相手から狙われるということでした。案の定、集中砲火を浴びることになります。その分、駆逐艦たちは攻撃を免れ、アメリカの軽巡を攻撃することに集中ができました。
神通は艦の前半分だけになっても、サーチライトを照らし続け、砲撃を止めずに戦い抜きました。その様は「神通、鬼人のごとし」と評されたそうです。戦力的に不利な状況であったにも関わらず、日本は神通一隻の沈没でアメリカの軽巡3隻が大破、駆逐艦1隻が沈没という大戦果となりました。




少し距離はありますが、一度は訪れてみる価値がある場所です。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
素敵な1日でありますように。
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