2026/4/22

4年間、全議会で質問に立ち、現場を歩き続けました。城山土砂災害の「見舞金」による責任回避を許さず、市が「公の営造物」の管理者として誠実な賠償責任を果たすよう質しています。実績と実務能力の田中エリナに、市民の命と尊厳を守る1票を託してください!
松山市議会議員選挙2026立候補した田中エリナ(無所属)です。
私は4年間、全質問に登壇し、一度も市民の声を逃しませんでした。
アリーナ、土砂災害、商店街…机上の空論ではなく、全現場を歩いて集めた「真実」で行政を動かします。
4年間働き抜いた実績。その一点で、私「田中エリナ」を選んでください。
詳細プロフィール・ホームページ
https://tanakaerina.com/
松山城土砂災害から7ヶ月、市が主張する「適切な対応」と住民が抱く「不信感」の正体
1. はじめに:当たり前だった日常が奪われた夜
昨日まで当たり前のように明日が来ると信じていた日常が、一瞬にして奪い去られる。2024年7月に発生した松山城城山の土砂災害は、私たちにそんな残酷な現実を突きつけました。
この災害で最も痛ましいのは、犠牲となった方々が「寝ている時に土砂に埋もれて命を落としてしまった」という事実です。もし、自分や自分の家族が同じ状況に置かれたら、私たちは行政に対して何を思うでしょうか。
発生から7ヶ月が経過した今、松山市議会では「市は市民に真に寄り添った対応ができていたのか」という、極めて重い問いが投げかけられています。行政が繰り返す「適切」という自己評価と、被災した住民が抱く拭い去れない「不信感」。その間にある深い溝の正体を、行政アナリストの視点で分析します。
2. 見舞金と「生活再建」の大きな乖離:計上されただけの「死んだ予算」
松山市は発災後、独自の要綱に基づき「見舞金」を支給してきました。その詳細は以下の通りです。
* 7月の初動支給: 遺族(5万円)、住宅全壊(3万円)、半壊(2万円)、床上浸水(1万円)
* 8月の追加支給: 全世帯(20万円)、半壊世帯(14万円)、一部損壊(7万円)
さらに10月には、生活再建支援を目的として1億7000万円の補正予算が計上されました。被害を届け出た83件で単純に割れば、1件あたり約200万円の計算となります。
しかし、ここには「予算はついているが、救いにはなっていない」という皮肉な現実があります。自動車や建物、家財に甚大な被害を受けた住民にとって、200万円という額は元通りの生活を取り戻すにはあまりに不十分です。市側が提示する金額と実際の被害額が折り合わず、結果として予算は執行されないまま「膠着状態(こうちゃくじょうたい)」に陥っています。計上された1億7000万円は、現場では機能していない「死んだ予算」となっているのが実情です。
3. 「見舞金」という言葉に隠された責任回避と「公の営造物」の重み
住民が抱く不信感の根源は、市が「賠償」ではなく「見舞金」という言葉に固執し続けている点にあります。
今回の災害現場となった松山城城山は、市の所有物、つまり国家賠償法上の**「公の営造物(おおやのえいぞうぶつ)」**にあたります。行政には、その管理において極めて高い安全性を確保する義務があります。しかし、市は発生メカニズムの調査を愛媛県の委員会に委ねるのみで、自ら第三者による「賠償責任の検証」を行う姿勢を見せていません。
田中議員は議会において、この「責任の所在を曖昧にする姿勢」を次のように鋭く指摘しました。
「賠償責任の所在を市民が納得できる形で検証することなく……賠償ではなく見舞金として支給している状況では、市民との間に溝が生まれるのも自然なこと」
県に調査を「外注」し、自らの法的責任(賠償)を「お見舞い」という恩恵的な言葉にすり替える。この行政特有の責任回避の構図が、住民との間に決定的な温度差を生んでいます。
4. 「説明会は3回」という数字のトリック:実績の水増しが生む不信
市側は「対応は適切だった」とする根拠の一つに、住民説明会を「3回実施した」という実績を挙げました。しかし、これには看過できない「数字のトリック」が隠されています。
実態は、3回のうち2回は県が主催した説明会に市が「参加」したに過ぎず、松山市が主体となって開催した説明会は、発生から7ヶ月以上が経過してようやく開かれた「直近の1回」のみなのです。
住民はこれまで、要望書や質問状に対する回答の遅れに苦しんできました。それにもかかわらず、行政側が「他者の主催も含めて3回」と実績を水増しして答弁する姿勢。これこそが、住民が「自分たちの苦しみが見えていない」と不信感を募らせる最大の要因です。行政側が自画自賛のために用いる「適切」という言葉が、いかに現場の感覚から乖離しているかを物語っています。
5. 行政に求められる「真の寄り添い」:基礎自治体の果たすべき責任
災害対応において田中議員が強調したのは、「相手の立場に立っておもんぱかる(推し量る)」という、極めてシンプルながらも重い視点です。
松山城は市のシンボルであると同時に、市の管理下にある「公の営造物」です。そこから発生した災害で人命が失われたという事実に対し、市民に近い「基礎自治体」である松山市が果たすべき責任は、事務的な処理や予算の積み上げだけではないはずです。
* 「適切」という言葉で自らの対応を正当化せず、住民の「不十分だ」という声に誠実に向き合うこと
* 県の調査を待つだけでなく、自ら第三者による責任検証を行い、賠償に向けた道筋を明示すること
* 要望に対する回答のスピードを上げ、住民を「待たせる側」としての自覚を持つこと
これらの姿勢があって初めて、行政の言葉に体温が宿ります。
結び:私たちは行政の「適切」をどう監視すべきか
松山城土砂災害をめぐる議論は、決して一自治体の問題に留まりません。それは、「行政が自らを『適切』と評する時、そこに住民の納得は含まれているのか」という、地方自治の根本を問うものです。
住民と市が双方が納得できる形での「早期の決着」が待たれますが、そのためには行政側が「見舞金でお茶を濁す」姿勢を改めなければなりません。
もし、あなたの街で同じことが起きたとき、行政が「予算は確保した」「説明会には参加した」と形式的な答弁に終始したら、あなたはどう感じますか? 私たちは、行政が使う「適切」という言葉の裏側にある事実を、常に厳しい目で監視し続ける必要があります。
#松山市議会議員選挙2026候補者
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