2022/7/16
江戸川区「上一色」「本一色」の地名の由来 (金井たかしの「江戸川区情報」)
江戸川区の地名の由来をいろいろと調べてきていますが、今回は「一色」の地名です。ここは「上一色」と「本一色」に分かれていて、江戸川区北端部に位置する地区です。この「本一色」の地名の読み方については、私のなかでは少し混乱があります。子どもの頃「もといっしき」という呼び方がされているのを聞いていたのですが、今は「ほんいっしき」と読むのが正式ということだからです。読み方が変わった時期としては昭和61年の住居表示の時で、その時に「ほんいっしき」が正式な読み方になったということのようです。今回は、この「一色」の地名の由来について確認をしてみたいと思います。
「一色」の地名の由来については、江戸川区の公式資料『江戸川区地名の変遷とその集解』で「二、鎌倉時代の村名」のところに記載がありました。
まず、応永五年(1398年)の『葛西御厨注文』の江戸川区内の村名の中に「一色」という村名が記載されていたということですので、「一色」は約600年前にすでに存在していた地名であることになります。
そして「一色」の地名の由来ですが、「後に上一色、本一色とわかれている。一色の地名は一色氏に関係があると思われる。もともと一色とは荘園制度からきたもので全国的にこの地名も多く又その地名を負うた一色氏が多いわけである。近くに武蔵一色氏があり、葛飾郡幸手宿に一色城があって一色氏の城址といわれているという。本一色には鹿島山があり貝塚で、もとひさご形の古墳状の小丘であったし古墳時代から鎌倉時代にかけての土器等の出土品がある。」と記載されています。
この記述では、「もともと一色とは荘園制度からきたもので全国的にこの地名も多」いとされています。そこで、「荘園制度からきたもの」ということの意味を確認してみます。
まず、平安時代(794年から鎌倉幕府の成立まで)には大きな寺社や貴族の荘園が各地にでき、農民は荘園領主(土地を所有する地方の豪族)に年貢、公事(くじ:糸・布・炭・野菜などの手工業製品や採取物)、夫役(ぶやく:労働で納める税)を納めました。年貢と公事が免除されて夫役だけが徴収されるところが「一色」(一つの種類・同じ種類の意味)と言われたようです。また、中世(鎌倉時代・室町時代)の荘園では年貢・公事の両方を負担するのを「名田(みょうでん)」といい、年貢のみを負担する地種を「一色田(いっしきでん)」と呼んでいたようです。これらから、「一色」という地名は、荘園制度の下で、一種類の税だけが徴収されていた地区のことを指すものであることがわかります。
「上一色」と「本一色」の元の「一色」の地名は、荘園制度に基づく地名であり、歴史ある地名であることがわかりました。このような歴史ある地名である「一色」はこれからも残したいものです。(筆者金井たかしのプロフィール)
弁護士 金井高志(金井たかし)
(江戸川区在住 弁護士 武蔵野大学[江東区]法学部・大学院教授)
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