2026/4/22
いりょういりょうあるけど・・。

高額療養費制度の見直しが2025年末の予算編成を通じて現実となった。政府は自己負担限度額の引き上げと所得区分の細分化、年間上限の新設を柱とする改革を進め、2026年8月以降段階的に実施する方針である。制度の持続可能性を掲げる今回の改正は一見すれば合理的な再設計に見えるが、その内実を精査すれば社会保障の理念そのものが変質しつつあることに気づかされる。
【参考図、厚労省作成】

今回の改正の目的は医療費の増大に対応するために給付を抑制して自己負担を引き上げることである。政府は「制度の持続可能性確保」を理由に掲げて負担増を正当化している。高齢化の進展や高額医薬品の普及を踏まえればやむを得ない面もある。問題は負担の配分と社会的帰結にある。第一に、今回の見直しは広範な国民に負担増をもたらす点である。制度利用者の大多数が影響を受け、約8割が実質的な負担増となるとの試算もある 。その増加は段階的とはいえ、所得に応じて最大で数十%に及ぶ可能性がある。これは単なる制度調整ではなく国民生活に直接的な圧力を加える政策である。第二に、中間層への影響が看過できない。高所得層への応能負担強化という名目のもとで実際には年収数百万円台の層にも負担増が及ぶ構造となっている。従来の制度が持っていた「広く薄く支える」という保険原理は後退し、「払える者が払う」論理が強まっている。その「払える者」の範囲が曖昧なまま拡大している点ことは政策の歪みといえよう。第三に、医療アクセスへの影響である。高額療養費制度は本来、医療費による破産を防ぐ最後の防波堤として設計された。だが負担増が進めば患者が治療を控える、あるいは中断する事態が現実味を帯びる。実際、長期療養患者にとっては治療を中断せざるを得ない可能性も指摘されている。これは単なる財政問題ではなく生命と健康に直結する問題である。政府側の論理にも一定の合理性はある。医療費の増大は不可避であり、保険料の引き上げにも限界がある以上、給付と負担の見直しは避けられない。問題は、その調整の方法である。今回の改革は負担増を先行させる一方で医療提供体制の効率化や無駄の削減といった構造改革が十分に議論されているとは言い難い。
今回の制度改正で直面したのは「誰が医療費を負担するのか」という根源的な問いである。社会全体で支えるのか、それとも個人の負担を拡大するのか。日本の医療保険制度はこれまで社会に重きを置いてきたが、その重心が確実に個人へとシフトしている。持続可能性は重要である。しかし、それが社会保障の理念を空洞化させるものであってはならない。制度を守るために国民の安心が損なわれるのであれば、それは本末転倒である。いま求められているのは、単なる負担増の是非ではなく「どのような医療社会を目指すのか」というビジョンそのものなのである。
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ホーム>政党・政治家>坂本 雅彦 (サカモト マサヒコ)>持続可能性の名の下で改正高額療養費制度の施行を迎える