2026/8/22
8月21日(金)午後、#西都原古墳群(宮崎県西都市)へ🔍
19日(水)から同日まで、大田区議会こども文教委員会の行政視察で鹿児島市・都城市・宮崎市を訪ねた(改めてご報告します)のに合わせ、自主視察しました。
JR宮崎駅から西都バスセンターまで宮崎交通バスで約1時間🚌 さらに、タクシーで10分ほどのところ🚕
#一ツ瀬川 の扇状地に市街地があり、その左岸の新田原(にゅうたばる)台地、右岸の西都原(さいとばる)台地に、多くの古墳が存在します。特に、西都原古墳群は、前方後円墳31基、円墳279基、方墳1基とこの地域でも最大の古墳群です。
#宮崎県立西都原考古博物館 を見学。古墳時代の展示だけかと思いきや、旧石器時代、縄文時代、弥生時代の展示も。そこにあるのは、「#南九州」というアイデンティティ、あるいは、独自性。
縄文時代といえばの貝塚は、貝よりもっとよい食べ物に恵まれていたのか、実は少ない。一方で、貝自体は南の島嶼部から装飾品などの形でも伝わるなど親しみはあり、縄文土器も縄目の文様ではなく貝殻でつけた文様である「貝文」です。弥生時代は、北部九州には銅矛が多く分布する一方で、南九州には青銅器の文化は見られません。
しかし、古墳時代になると、南九州にも大量の青銅鏡がもたらされるようになります。また、#列島最大の帆立貝形古墳 である「#男狭穂塚(おさほづか)」、#九州最大の前方後円墳 である「#女狭穂塚(めさほづか)」が築造されるなど、列島全体の政治権力の影響がみえます。
その一方で、井戸のように垂直に竪穴を掘った後、水平に横穴(玄室)を掘り進める、南九州独特の「#地下式横穴墓」が見られるなど、独自性もあります。横穴墓は他地域でも見られるものですが、丘陵の傾斜地ではなく地下に築くのは、下層部ほど硬くなっていて崩れにくい火山灰土の特徴を生かしたもののようです。
なお、ちょうど令和8年度国際交流展「#百済と九州 〜横穴系埋葬施設にみる交流の証〜」が行われていて、地下式横穴墓も含む横穴系埋葬施設が百済から九州へ、逆に九州で発展したものが百済に伝わるなど、互いの影響が見られるとのことでした。百済の中興の祖・ #武寧王 の陵墓も、横穴系埋葬施設なのだそうです。
2年前に、福岡県太宰府市の九州国立博物館を訪ねた際に、九州という視点から見た日本史や国際交流史を感じましたが、今回は、南九州という視点に気づかされました。
また、古墳といえば、都内最大級の前方後円墳である「亀甲山(かめのこやま)古墳」はわが大田区にあり、また、お隣の世田谷区には関東最大級の帆立貝形古墳である「野毛大塚古墳」もあります。
北部九州出身者として、「日本考古学発祥の地(=大森貝塚)」を抱える者として、そんな親和性も感じながら見学しました。
#西都原考古博物館 を出ると、目の前は「男狭穂塚」「女狭穂塚」。もっとも、フタコブラクダのこぶのように並んだ、シンボリックな二つの古墳は、樹木に覆われていて、知らなければそれとはわかりません。
そこから歩いてすぐのところには、「4号地下式横穴墓」。円墳の「111号墳」の横に建屋があり、室内に説明板があります。ただし、実物を見ることはかないません。
どの方向を見ても、円墳や前方後円墳を数多く見渡すことができます。バスの時間の関係で、滞在時間はわずか2時間。もう1時間あれば、広大な古墳群をもっと散策できたのですが、今回は遠望するのみ。また機会に恵まれれば、じっくり訪れてみたいです。
なお、こうした西都原古墳群が築かれるような土地の重要性を継承してか、日向国府や日向国分寺が置かれたのは、現在の西都市であることも書き添えておきます。
#歴史大好き議員
#チクメン #一所懸命 #とことん現場主義
#あなたと共に政策実現
#大田区議会議員 #庄嶋たかひろ #庄嶋孝広








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