2026/2/27
今読んでくださっているみなさんの中にも、
理不尽だと思うことや、
納得できない出来事に出会うことは、
日常の中にいくつもあるかと思います。

本当なら、
怒ってもいいはずの場面。
声を上げても、責められないはずの状況。
それでも私は、
怒れないまま立ち止まってしまうことがあります。
「怒るべきだ」
そう思う自分がいる一方で、
どうしても感情が前に出てこない。
その状態に、
自分自身が戸惑ってしまうこともあります。
怒れないのは、
覚悟が足りないからなのか・・・。
優柔不断だからなのか・・・。
あるいは、
逃げているだけなのか・・・。
そんなふうに、
自分を責める気持ちが浮かぶこともありました。
議員として多くの方々にお会いする中で、
怒らない人ほど、
多くのことを抱え込んでいる“ひと”に出会います。
声を荒げることもなく、
強い言葉を使うこともなく、
ただ静かに、
その状況を引き受けてしまう人たちです。
その“ひと”たちは、
何も感じていないわけではありません。
怒りがないわけでも、
問題に気づいていないわけでもない。
ただ、
怒りを外に出すことで、
関係が壊れてしまうことや、
状況がさらに悪くなることを、
よく知っているだけなのだと思います。
怒りは、
ときにとても大切な感情です。
不正や理不尽に気づくための、
重要なサインでもあります。
でも同時に、
怒りは人を消耗させる感情でもあります。
怒り続けることは、
簡単ではありません。
だから私は、
怒れない自分を、
すぐに否定しなくてもいいのではないか、
と思うようになりました。
怒れないということは、
何も感じていないということではない。
見ていないということでもない。
むしろ、
状況を複雑なまま受け止めようとしている、
一つの反応(感情)なのかもしれない・・・。
怒ることが正しい場面もある。
でも、
怒れないまま考え続けることにも、
意味があるのではないか。
まだ私自身、
答えを出せていません。
ただ、
怒れない自分を責める前に、
その感情が何を守ろうとしているのかを、
考えてみたいなと思っています。
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