2026/6/12


議会で一般質問をしていると、「なぜそこまで同じテーマを追い続けるのですか」と聞かれることがあります。
もちろん今すぐ解決しなければならない課題もあります。ですが政治家にはもう一つ大切な役割があります。
それは、この地域が歩んできた歴史や価値を未来へ残していくことです。僕にとって関良助という人物は、まさにその象徴の一人です。
関良助。
和三盆の歴史を語るうえで欠かすことのできない人物です。奄美大島からサトウキビを持ち帰り、向山周慶へ託したことで、現在の和三盆文化の礎を築いたと伝えられています。
ところが、その存在はあまり知られていません。
僕自身、2021年の一般質問で和三盆の歴史について取り上げ、VR和三盆資料館という形で後世へ残せないか提案しました。
その後も調査を続けてきましたが、調べれば調べるほど不思議な人物でした。
名前は「良助」なのか「良介」なのか。
亡くなった場所はどこなのか。
いつ亡くなったのか。
資料によって内容が異なります。これだけ和三盆の発展に関わった人物でありながら、はっきりした記録が驚くほど少ないのです。
だからこそ気になりました。歴史の空白を埋めたい。地元の子どもたちに伝えられる形で残したい。
そんな思いで一般質問を続けてきました。
そして今年。
とても大きな出来事がありました。
2025年6月、東かがわ市議会で関良助について一般質問を行いました。
実は同じ時期、奄美市議会でも関良助について一般質問が行われていたのです。
200年以上前に亡くなった一人の人物。その人物について、出生地である奄美と、人生の大きな転機となった東かがわの両市で同じ年に一般質問が行われる。
こんな偶然があるでしょうか。僕は偶然ではなく必然だったのではないかと思っています。
奄美市議会では、関良助を奄美の歴史上重要な人物として認識し、資料収集や調査研究を進めたいという答弁もありました。
東かがわ市でも教育現場での活用や、奄美との交流について前向きな答弁が行われています。
これまで点だったものが、少しずつ線になり始めています。
関良助を調べていて感じるのは、これは単なる歴史研究ではないということです。
和三盆と黒糖。
奄美と東かがわ。
これらはすべて一本の線、サトウキビでつながっています。
歴史が分かれば教育につながり、教育は観光へ。観光は産業につながります。
そしてなにより地域への誇りにつながります。
だから僕は「甘味の道(Sweet Road)」という考え方を提案しています。奄美と東かがわを歴史で結び、文化で結び、人で結ぶ取り組みです。
まだ始まったばかりです。分からないこともたくさんあります。
関良助の人生には今も多くの謎が残されています。ですが、その謎を解き明かそうとする人たちが今、奄美にも東かがわにもいます。それだけでも大きな前進です。
政治は予算や制度だけではありません。地域の記憶を守ることも政治の大切な役割だと思っています。
200年以上前に亡くなった関良助。香川における和三盆の歴史に欠かすことのできない人物ですが、その歴史は驚くほど少ないままです。
しかし今、出生地である奄美市と、縁の地である東かがわ市。両市でその歴史が紐解かれようとしています。
いつか子どもたちが和三盆やサトウキビだけでなく、関良助を詳しく学び、「そんな人がいたんだ」と誇らしく語れる日が来るかもしれません。その未来につながる一歩を、これからも積み重ねていきたいと思います。
次回は、香川ではほとんど知られていない関良助さんの故郷・奄美大島について、さらに関良助さんのお父さんである當済という人物にも触れてみたいと思います。
関良助の人生をたどっていくと、そこには和三盆だけでは語りきれない、奄美の歴史と人々の想いが見えてきます。
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ホーム>政党・政治家>山口 だいすけ (ヤマグチ ダイスケ)>200年以上の時を超えて。関良助の歴史が再び動き始めた