2026/5/10
【なぜ敦賀は港町になったのか】
皆様、いつも大変お世話になっており誠にありがとうございます。ふくいの党、福井県議会議員の堀居哲郎です。
本日もまた我が街敦賀について少し考えてみたいと思います。
敦賀といえば港町。
多くの人がそういうイメージを持っていると思います。
実際、敦賀は古くから日本海側の重要な港として発展してきました。
しかし、ふと疑問に思うことがあります。
なぜ敦賀は港町になったのでしょうか。
今日は、その理由を少し深掘りしてみたいと思います。
日本海と京都を結ぶ場所
敦賀が港町として発展した最大の理由は、
京都に近い日本海の港だったことだと思います。
昔の日本では、京都が政治や文化の中心でした。
その京都にとって、日本海への玄関口の一つが敦賀でした。
敦賀から琵琶湖方面へ向かい、
そこから京都へとつながるルートは、古くから利用されてきました。
つまり敦賀は、
日本海と都を結ぶ重要な拠点だったのです。
大陸への玄関口
敦賀港は、古代から大陸との交流の拠点でもありました。
日本海を渡れば、
・朝鮮半島
・中国大陸
とつながります。
そのため敦賀は、
日本と大陸を結ぶ玄関口の一つとして発展してきました。
港町というのは、人と文化が行き交う場所でもあります。
敦賀の文化の中には、こうした交流の歴史が息づいています。
北前船の時代
江戸時代になると、敦賀は
北前船の寄港地として大きく発展します。
北前船は、大阪と北海道を結ぶ海上物流のネットワークでした。
その航路の中で敦賀は、
・物資の集積地
・物流の中継地
として重要な役割を担っていました。
港町としての敦賀は、この時代にさらに発展します。
鉄道と港
明治時代になると、敦賀は新しい役割を持つようになります。
それが
鉄道と港の結節点です。
日本海側からの物資は、
敦賀港 → 鉄道 → 関西
というルートで運ばれていました。
敦賀は、
海と陸をつなぐ物流拠点として発展していったのです。
港がつくった街
こうして振り返ると、敦賀という街は
・日本海と京都を結ぶ場所
・大陸への玄関口
・北前船の港
・鉄道と港の拠点
という役割を持ちながら発展してきました。
つまり敦賀は、
港が街をつくった都市とも言えるのです。
敦賀は海に開かれた街です。
日本海に面し、
古くから人と物が行き交う港を持つ街。
そんな街は、日本の中でも決して多くありません。
港町としての歴史は、敦賀の大きな財産です。
この歴史を、これからの敦賀の魅力として更にどう活かしていくのか。
敦賀の未来を考えるうえで、
港の存在はとても大きいものだと思います。
敦賀には、まだまだ語るべき物語があります。
これからも敦賀の魅力を発信していきたいと思います。
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ホリイ テツロウ/46歳/男
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