2026/7/4
午前4時過ぎ、強いオレンジ色の太陽の光が、東に向いた窓に矢のように差し込んで来ました。今日の函館は終日、晴れの予報です。
1)岸田國士『紙風船』が問いかけるもの
6月20日、函館で上演された岸田國士の戯曲『紙風船』を鑑賞しました。
今回の公演は、単に『紙風船』を上演するものではありませんでした。函館の古い映像とともに、岸田國士の作品を函館・大沼公園を舞台に脚色した意欲的な舞台です。夫を建築士の金谷貴明さん、妻をアーティストの大貫万里子さんが演じ、脚本・演出・構成は工藤龍生さん。約100年前に書かれた作品が、まるで函館で生まれた物語であるかのような、不思議な一体感がありました。
劇中では、大きな事件は起こりません。夫は新聞を読み、妻は絵を描いています。散歩に行こうか、友人の家へ行こうかと話しながらも、結局は何も決まりません。二人は大沼公園へ旅行したつもりになって空想を楽しみますが、それも現実ではありません。
しかし、その何気ない会話の中に、夫婦の愛情や孤独、期待や失望、そして互いを思いやる気持ちが実に繊細に描かれています。言葉以上に沈黙が語り、「間」が感情を表現する作品です。
私は観劇しながら、「百年前の作品とは思えない」と何度も感じました。
現代は、スマホやSNSでいつでも誰とでもつながれる時代です。しかしその一方で、家族や夫婦、職場や地域で、本当に心を通わせる対話が十分にできているかと問われれば、決してそうとは言えません。
『紙風船』に描かれているのは、「相手を思っているのに、その思いがうまく伝わらない」という、人間にとって普遍的な姿です。だからこそ、この作品は100年という歳月を超えて、今なお私たちの心を打つのでしょう。
今回の公演を紹介した大貫万里子さんの文章には、こんな一節がありました。
「何もしない。ただ、ここにいる。それだけで全部が動き出す。」
まさに『紙風船』を表す言葉だと感じました。
私たちは、「何かをすること」に価値を見いだしがちです。しかし、この作品は、同じ時間を過ごし、相手の存在を感じ、言葉だけではなく沈黙をも分かち合うことにも、大きな意味があることを教えてくれます。
作品の最後、庭に子どもの紙風船が転がり込んできます。夫は夢中になって紙風船をつき始め、妻は子どもを呼び込みます。閉ざされていた二人だけの世界に、小さな風が吹き込み、日常の中に新しい喜びと希望が芽生えるような、印象深い幕切れでした。
紙風船は、とても軽く、壊れやすいものです。しかし、だからこそ、力任せではなく、相手を思いながら、そっと突き上げなければ続きません。人と人との関係も同じではないでしょうか。相手を思いやり、言葉を交わし、ときには沈黙にも耳を傾けながら、大切に育んでいくものなのだと思います。
金谷さん、大貫さん、お二人の演技は本当に素晴らしく、その世界にすっかり引き込まれてしまいました。とりわけ、歌でしか知らなかった大貫さんの目線や表情、そして絶妙な「間」の取り方は、この作品の静かな感情を見事に表現していたように思います。
来週7月8日には、この作品で妻を演じられた大貫万里子さんとインスタグラムで対談します。今回の舞台は「100年前の作品を上演した」のではなく、「100年前と現代とを交差させた舞台」だったように感じています。その思いや、舞台で表現された「間」や「沈黙」の意味について、お話を伺いたいと思っています。
今回は、岸田國士の『葉桜』も上演されました。こちらも人の心の機微を見事に描いた作品で、深い余韻が残りました。この作品についても、いずれ改めて書いてみたいと思います。
さあ今日も、ブレずに曲げずに、確実に前進します。
【26年7月4日 その6886『逢坂誠二の徒然日記』8583回】
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